という見出しの記事がありました。
カウンセリングを生業として、カウンセラーの育成にも関わっている私としては
猛烈に興味を惹かれました。
同様なことを日々感じていたんです。
多くの方のカウンセリングの場面を見てきて
大げさな言い方をすると 「魂がこもっていないカウンセリング」。
「とても表面的な関わりのカウンセリング」「定型化したカウンセリング」
「クライエントさんの「人となり」を掘り下げることがないカウンセリング」 と
と、なりやすくなってしまうのはどうしてなんだろうか、と。
この記事そのものは「監視スパイラル」というテーマで
記者の村田雅幸さんが
「監視カメラに守られた街が、続々と誕生しているという。」書き出しで
書かれているものですから「カウンセリング」とは直接関係がありません。
・「私達は今、他者への想像力をさまざまな場で失っている」という書き方で
監視カメラに映った人間・家庭用ビデオカメラに映った人間・
カメラ付携帯に映った人間が「平板化」している。
(そのままの引用ではありません。かいつまんでしまいました
そして、「平板化」という言葉に納得してしまいました 。「平板化」した相手を
平板化した目で見ようとしているのではないか 、という懸念です)
・ 自分を映す鏡でもある他人が見えなくなれば、やがて自分のことも見えなくなる。
(監視)カメラに記録された自分の姿から、「本当の自分」を探そうとする人が
でてくるのだろうか。
(自分も相手も同様に「固有の人」を表面だけを知ってわかった気になる人も
多いのではないかな。)
・ それを断ち切るにはたぶん、私達自身が、意識して自分の目で物事を見
他人への想像力をはぐぐんでいくしかない。
(と、結ばれていました。)
自分自身もその平板化した表面のみならず、深く知る(知ろうとする)こと
そのことを通じて、相手に対しても同じ部分(平板化したところのみならずにその深い部分)の想像力を働かせていくことができる。
と、いう事を考えさせられました 。
今日の関東は雨風の激しいお天気ですね。
足元に気をつけてでかけましょう。