このところ連日の「いい刺激」のシャワーを相変わらず満喫中です。
その中でふと感じたことで、相変わらずまとまっていないのですが
ずーっと、私は「その人のこだわり」という言葉というか感性というかが
とても大事なんじゃないか、と思っていたんです。
でも「いい刺激」のシャワーの中で
「こだわり」に「こだわっている人」が時として
「こだわりという枠に括られて」いて、ちょっと不自由感が
あるんじゃないかな、そうでもないのかな?と感じることがありました。
「こだわり」の追求がもっと「こだわり感」を創っているみたいな。
一方で「自分らしさ」を突き詰めていった方は
その過程はとても苦しいししんどいけれど
(もちろん、こだわりの追求が楽!と言っているわけではないのですが)
何ていうのか、そこを抜けると自然体な感じがします。
上手く言えないのですが
「こだわり」の追求は「型」の追及で
「らしさ」の追求は、自分の感性という見えにくい
(型じゃない、ということなんですが)部分の追求っていう感じでしょうか。
「型」になっているものだから「型」になっていないものよりは
見えやすいし、手に入れやすいものだけれど
あくまでも、それはやっぱり、自分らしさを現す一つの「型」に
過ぎない、のではないかな。
「らしさ」は、その「こだわり」の奥にある、っていうのかな。
どうせなら(と、いう言い方も変ですが)その奥の部分まで
見つけていきたいなぁ、なんてことを思っている、
秋晴れの今日です!