これって、面白い摂理だなぁ、って思います。
(えっ、摂理じゃない?!)
掃除をして整理をすると、探し物が見つかる。
それを失うことは怖いけれど、思い切って失うことを選んだら
別の何かが得られた。
何かを購入して、お金は手放したけれど、それ以上に得たものも多かった。
断腸の思いだったけれど、手放してみたら新しい何かが生まれた。
忙しい中、自分の時間は削ったけれど、やってみたら思わぬ結果が出た。
などは、普段意識はしないけれど、たくさんありそうですね。
もっと、面白いのは「入ってくるもの」をあてにして
何かを「手放した」ら、思ったようにはならない
何が違うのでしょうね。
「私は、あれを得るためにこれを手放す」という交換条件だからかな。
これが「私は、これを得たい・したい」という無条件の目的があって
そこに付随したものの一つが、結果「手放していた」ということの違いでしょうか。
最初から「探し物を見つけよう」とあちこちひっくり返したりしても
見つからないし、何だか逆にスゴイことになっちゃたり。
でも(キレイにしよう!)という目的があって掃除をすると
思いがけず(あ~~、これ探してた!)があること、って
どなたでも経験がおありじゃないでしょうか。
このことについては、私自身も大いなる勘違いをしてしまう時が多々あります。
(こんなに苦しいのに、何もいい事がない)
(これほどやった・やっているのに、何で上手くいかない)という事。
このことについて、どなたかが上手いこと言ってました。
「 必要なときには与えられない、必要なくなると与えられる 」って。
(どなたかを失念してしまってすみません)
「必要」だともがいている渦中に、そのことだけに気をとられたり
交換条件で「これを差し出すから」といっても、上手くはいかない。
そこにもがきや焦りがなくなった自分になった時に
それは、やってくるのかもしれませんね。