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加藤塾@塾長のブログより
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第十八巻 建仁三年(1203)十月小十三日戊申
(頼朝様の墳墓の法華堂で追善供養の法事を行いました。指導僧は真智房法橋。将軍実朝さまもお堂へお参りです。源大夫右近将監親広が布施を与える担当です。)
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「小カップ大関飲んで酔いません 話言葉が滑らかな宵」(山葵)
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【吾妻鏡】(10月8日)
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第十八巻 建仁三年(1203)十月小十日乙巳
(昨日の弓始めの射手十人を、北側の御殿の竹の内庭に呼び出されて、褒美を与えました。ある人には飾りのない刀。ある人には簡易な鎧の腹巻一両。東平太重胤・和田兵衛尉常盛・足立八郎がこれを手渡しました。)
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「ももちゃんは人見知りせずニコニコと 赤子からくる柔らかな風」(山葵)
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【吾妻鏡】(10月7日)
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第十八巻 建仁三年(1203)十月小九日甲辰
( 快晴です。今日は、新将軍の政務始め式です。午の刻(昼十二時)に、指導職の遠江守北条時政殿・大江広元以下の家政機関の事務官〔それぞれ平服です〕達が、政務事務所の席に着きました。二階堂民部丞行光が、始め式用の縁起文書を書きました。図書允清定が受け取って、遠江守北条時政殿が将軍の前へ持って行きました。事務所へは出られず、御簾の中でもっぱら見ました。遠江守北条時政殿が元の席へ戻った後で、御馳走と乾杯の儀式をしました。それから初めて鎧兜を着ました。又、馬にも乗りました。北條時政殿が手助けをしました。小山左衛門尉朝政・足立左衛門尉遠元が、鎧兜や背中にかつぐ大きな袋のホロをつける儀式や、やり方を全てお教えになりましたとさ。
夜になって、将軍になって初めての弓を射る儀式がありました。北条五郎時房が担当して、図書允清定が矢の記録係です。和田左衛門尉義盛が的を献上しましたとさ。
射手は、一番が和田左衛門尉義盛 対 海野小太郎幸氏。
二番が榛谷四郎重朝 対 望月三郎重隆。
三番が愛甲三郎季隆 対 市河五郎行重。
四番が工藤小二郎行光 対 藤沢二郎清親。
五番が小山七郎朝光 対 和田平太胤長。)
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「朝食に鮭がよいとの伝説で 右に習えと切り身を買いに」(山葵)
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【吾妻鏡】(10月6日)
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第十七巻 建仁三年(1203)九月大十五日庚辰
(空は晴れ風も静かです。今日、将軍〔十二歳〕の元服式です。戌の刻(午後八時頃)、遠江守北条時政殿の名越の屋敷でその儀式を行いました。大江広元・小山左衛門尉朝政・安達九郎左衛門尉景盛・和田左衛門尉義盛・中條右衛門尉家長を始めとする御家人達が百人以上も侍所の席に着きました。江間四郎義時殿と源右近将監親廣が、道具類を持ってきました。予定時刻に将軍が出てきました。髪切役をしたのは遠江守北条時政殿。冠をかぶせる役は大内前武蔵守義信でした。次に休憩所に行ったうえで、御膳に手を付けました。義時と源親廣が給仕をしました。運び役の人は、結城七郎朝光・和田兵衛尉常盛・和田三郎重茂。東平太重胤・波多野次郎経朝・桜井次郎光高です。〔それぞれ将軍のおそばに仕える身分の低い者の内、両親健在の連中を選んでこの役にしました〕次に、鎧・太刀・馬を献上しました。佐々木左衛門尉廣綱・千葉境平次兵衛尉常秀以下がこの役を果たしました。)
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「落雁と羊かん求肥の重ね菓子 出雲の景色一つ切り取り」(山葵)
<出雲三昧(いずもざんまい)桂月堂TEL 0852-21-2622松江市天神町97>
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