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4月15日はTHE ALFEEの坂崎さん、17日は高見沢さんの誕生日で、ともに70歳になりました70歳…古希です。父が古希の時、私と妹家族で集まって初めての長寿の祝いをしましたっけ。孫もいて、十分おじいさんのお祝いって感じだったのに今のTHE ALFEEの3人とあまりに違うイメージに驚きますそして今年THE ALFEEはデビュー50周年year色々なコラボが発表されてます。まずは27日放送の明石家さんまさん主演のドラマ「心はロンリー、気持ちは『…』FINAL」のテーマソング。この春のライブのオーラスで歌われている「ロマンスが舞い降りて来た夜」で、ポップな感じの曲です。まだ発売予定は決まってないようですが、新しい曲が出るというのはうれしいものです。それからアニメ「シンカリオン チェンジ ザワールド」」のテーマソング。これは夏頃の予定だそうです。こちらは桜井さんボーカルだとか。また20th Centuryが歌っているドラマ「特捜9 season7」のエンディングテーマ「旅立ちの鐘 」は高見沢さんの作詞作曲です。MVを見たのですが、と〜ってもいい曲。彼らの雰囲気にもあっていて、高見沢さん、ほんとに色々な曲を作るな〜と感心します。(でもやはり高見沢さんらしいフレーズを感じてしまいます)二十世紀 FOR THE PEOPLE (初回盤A CD+Blu-ray) [ 20th Century ]
2024年04月17日
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当初娘は結婚式はしたくないとのことだったのであちらのお父様の意向で昨年の10月に「きちんとした結納」を行いました。その場で婚姻届けにもサインしたし、結婚指輪も交換したし、ケーキ入刀ならぬ鯛の塩釜焼を木槌で叩いて開く…なんてこともしたりして本当に結婚式のようでした。翌週には入籍、さらにその翌週からは一緒に住むようになったので、これで一段落~…と思っていたら、半月も経たないうちに「やっぱり式をすることにした」とやはりあちらの意向が強かったようです^^;私としてはもう一通り終わった気分だったので、「え、やるの!?」という気持ちで…(ひどい母^^;)今回は親戚や友人も参加するので、どうしたらいいのか迷う事、気を遣う事も多かったのです。でも主催は娘達なので、こちらがあまり口も出せないし、様子も良くわからないまま日々は過ぎていきました。夫や息子がきちんとふるまえるのかもものすご~く心配で、メニエール病になってしまったのも、これらのことが一因だったかもしれません。結婚式当日は、季節外れの初夏のようなお天気でした。娘達は式の前にホテル内の数か所で写真を撮ると聞いていたのでそれを見に行こうと思ったのですが、どこからスタートかもわかりません。広いホテル内外をしばらくウロウロして、やっと撮影しているところを見つけました。2人の衣装を見るのもこの日が初めてでした。思っていたよりも大人っぽいドレス姿の娘。写真撮影中も二人顔を見合わせてニコニコが止まらない様子でした。結構外国の方が多くて、すれ違う時にお祝いを言って下さる方もたくさんいました。カメラマンの他に担当の方やメイクの方もついて回ってくださって、まるで芸能人のようでした^^;日本庭園でも撮影したのですが、今年は桜の開花が遅くて、ちょっと残念でした。式のリハーサルまでは控室で待機。息子はホテルから30分程という近さのところに住んでいるのに、結局ギリギリまで現れず、いつものごとくハラハラさせられました人前式なのですが、夫が娘と共にバージンロードを歩くことになっていました。私は見てるだけ~…と気楽にしていたのですが、リハーサルの時に、ベールダウンをする役目があると聞いてびっくり娘は「言ってなかったっけ^^;」そして本番です。まずはムコドノが一人で入場(なんだか寂しい感じ^^;)次に夫と娘がドアを入ってきて、そこで私がベールダウン。そして夫と娘がバージンロードを歩いていきました。前まで行ってムコドノにバトンタッチ。二人で誓いの言葉を読み上げ、一同の拍手で結婚承認ということになりました。そこにムコドノのお兄さんの娘さん(5歳)がリングガールとして結婚指輪を運んできてくれました。これもリハーサルまで知りませんでしたが、とてもかわいらしいお嬢さんで、和やかな雰囲気に包まれました。指輪を交換し、ベールをあげて誓いのkiss…おぉ、するんだ~結婚証書にサインして、参列者からのフラワーシャワーを浴びながらの退場となりました。親族は残って親族紹介です。こちら側は私達夫婦と息子だけだったのに、夫ったら息子の紹介の時に「次男の…」(うちに次男はいません(/o\))。ダメダメでした(>_<)披露宴は見晴らしのよい16階の会場でした。ムコドノが釣り好きなので、飾りの花やテーブルクロスなどは、海をイメージした水色系でまとめられていました。テーブルナプキンも船の形をしていました。司会などもなく新郎新婦の挨拶で開宴し、次は夫が乾杯の音頭です。内容を聞いていなかったので、これまたハラハラでしたが、なんとか無事に^^;ケーキ入刀後はファーストバイト最近はこれ、流行りなんですかね?娘、ムコドノの口に無理やり押し込んでた感じでした食事の合間、渋る夫を連れ、娘の友達、ムコドノの友達、ムコドノの親族のテーブルに挨拶に行きました。娘の友達の事は時々話も聞いてきたので、これまでのお礼も言えて良かったです。ムコドノの友達はみなさん楽しい方で、ムコドノの人柄もわかる感じでした。娘に「○○(ムコドノの名前)の良さを見つけてくれてほんとありがとう!」なんて言っていて「こちらこそありがとう」という気持ちになりました。結納の時は参加できなかったムコドノのお兄さん夫婦と姪御さんにも初めて会いました。お父さん、お姉さんもですが、みなさん穏やかな感じの方で、娘はいい方と出会ったんだなと思いました。ムコドノは実家が九州で大学も九州でしたから、親族や友人も九州の方がほとんど。娘の大学時代の友人も2人が九州、1人は関西からと、ほとんどの方が遠くからの泊りがけの出席でした。遠くから集まってくれてほんとにありがとうという気持ちでした。お祝いスピーチなどはなく、多くの時間、娘達もテーブルを回っておしゃべりに花を咲かせるような会でした。唯一の余興は娘のコントラバスと友人のチェロでの二重奏。コントラバスは、神奈川の自宅から都内の式場までゴロゴロ運んできたそうです。チェロも九州からわざわざ持参してくれたそうです。チェロとコントラバスの二重奏なんて、なかなかないですよね^^;「花束贈呈とか要らないからね」と言っていたのですが最後は新郎新婦から親や出席者への感謝の手紙の朗読があり、親には記念品と感謝状のプレゼントがありました。感謝状には生まれてからこの日までの日数が書かれていました。1万数百日…長かったのか、短かったのか…もうすでに結婚しているわけだし、涙が出るような場面はありませんでしたがベールダウンしながらちょっと言葉をかけた際には、少し胸に迫るものがありました最後はムコドノのお父様がきちんと挨拶をしてくださって、無事お開きとなりました。ゲストや親族の方には「これからもよろしくお願いします」とあいさつしましたが考えたらムコドノにあいさつをするのを忘れました約1年前初めてうちに来て以来、もう10回位会っているし、先日もうちに泊まっていったばかりなので、私ももうすっかり緊張感を失ってしまっていたようです^^;ムコドノ、改めて娘をよろしくお願いしますね。人前結婚式誓約書 写真台紙付 レーチェヌバックベージュ 人前式の演出アイディア集付き 結婚式 人前式 誓いの言葉 コンパクトサイズリングピロー クラシカル(完成品)クリアボックス付き【ブライダル リング ピロー 白 ウエディング 結婚式 リングガール リングボーイ 小物 ファーストピロー リボン ウェディング サムシングブルー 上品 シンプル 家族婚 プレゼント ギフト 結婚祝い お祝い ケース】
2024年03月30日
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実家の譲渡所得の確定申告が終わり、残るは私の方の確定申告です。市役所で税理士さんによる申告相談があると聞いたのですが、予約が取れなかったので当日の朝、整理券をもらいに行きました。整理券の配布は9時。あまり早朝から並ばないで…とのことだったので、8時半過ぎに行ったらすでに長蛇の列配布が始まる前に係の人が来て「このあたりの方は難しいかもしれません」と言われてしまいましたそして配布開始。もらえますように…と願っていましたが、20人ほど前で終わってしまいました先頭の人は5時半頃から並んでたらしいです正直者が馬鹿を見た感じです仕方なく別の日に他市で開催される申告相談を慌てて予約して、そちらに行きました。税理士さんがパソコン前に待機していて、相談と申告の両方ができるようでした。予約はしていたものの、たくさんの人が来ていて、結構待たされました。やっと順番になり、2つの事について相談したのですが、その件について詳しくないとのことで別の税理士さんに回されてしまいましたが、なぜだかその方もあまり自信がないみたい。まず1つの件を説明して、自分で計算してきたメモを見せると、ずいぶん長い事それとにらめっこして「う~ん、これでいいんじゃないですか^^;」と。もう1つの件も良く知らなかったようで申告システムに一緒に入力しながら、私が「こっちですよね?」なんて誘導する感じに。(ほんとに大丈夫~)とりあえず申告できてホッとしたのですが、ちょっと残るモヤモヤ。今回私が申告することになった2つの件、そんなに特殊な事でななく、実際には多くの人が該当してるんじゃないかと思うのですが税理士さんがあまりよく知らないというのはどうしてなんでしょう。みんな申告してないのかしら。それともみんな自分でちゃんと理解して、自分で申告してるのかしら。今回私が払うことになった税金はほんとに微々たるものですが、申告しないでいて、あとで連絡がきたりしたら嫌なので申告しました。でも逆に申告したことで「計算が違ってますよ」とか言われたらそれも嫌ですね^^;税理士さんに立ち会ってもらってやったんですしね。いちばんわかりやすい確定申告の書き方 令和6年3月15日締切分 [ 土屋裕昭 ]
2024年02月21日
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昨年の夏に実家が売れたので、今回確定申告が必要でした。不動産屋で「税務署に聞いて」と言われていたのですが、結局年明けまで何もしないまま過ごしてきてしまいました^^;また、私も今回初めて確定申告しなくてはならないことがありました。税務署のHPを見たりして色々調べたのですが、やはりわからないことがたくさんそれで1月に、隔月で市役所で開催されている税務相談に行ってみました。税理士さんが相談にのってくれるのですが、実家の件も私の件もあまり扱わない内容だったのかベテランそうな税理士さんだったにもかかわらず、資料を開いて考えこんだりする状況になってしまいました。相談時間は1人20分程度となっていて、次の方もいたこともあり、結局両方とも正確な回答は得られず「税務署に聞いて」という事になってしまいました。(順番が最後だったら、もう少し話を聞けたかもしれません)結局は税務署か不動産売却の件と私の件は同時には相談できないようで、まずは不動産売却の件で予約しました。当日は契約書などはもちろん、思いつく限りの資料を持って税務署へ行きました。担当してくれたのは若い女性の署員さんだったので、失礼ながら「大丈夫?」と思ってしまいました。まだ確定申告期間の前だったこともあり、私は「相談」のつもりで行ったのですが、パソコンを前にすぐに申告の手続きが始まりそうになったので、慌てて質問をぶつけました。担当者さんはその件にはやはりちょっと不慣れだったようで、だいぶ色々話をして、やっと私も理解して申告できる状態になりました。…というかこの時期でも申告できるんですね電子申告のシステムは家で少し予習してきたし、必要な資料はそろっていたので、その後は割とスムーズに進みました。譲渡所得の所得税は利益の約15%、住民税は後日連絡が来るそうですが5%、合わせて20%です。高い~(>_<)それでもやっと実家売却の確定申告が済んでホッとしました。不動産の売却にかかる譲渡所得の税金〔第2版〕 [ 武田 秀和 ]
2024年02月20日
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夫の事故には本当にまいっているのですが、まわりの皆さんにとっても助けられています。職場では「都合に合わせて休んでいいから」とか「おしゃべりしたり、気分転換しに来るつもりで」とか「力になれることがあれば言って」などと言ってもらって、本当に都合に合わせて休んだり、早退させてもらったり甘えさせてもらっています。(その代わり、今は一人暮らしなので、他の日は遅くまで仕事したりもしてますが^^;)行けなくなったALFEEのチケットを引き受けてくれた友人、武道館で数年ぶりに再会した友人も、話を聞いてくれたり、温かい言葉をかけてくれました。ブロ友の皆さんも優しいコメントをくださったりして、本当にありがたく思っています。ブログを書くことで少し気持ちが整理できたりもしました。そして子供達。娘は、事故の翌週の日曜日に帰省しようか?と言ってくれました。「しゃべり相手になろうか」とか「美味しいものでも食べよ」と。引越しの時でさえ「来なくていい」と言った都内に住む息子は病院がうちから遠いことを知り「もし宿がほしいとかあれば遠慮なく」と言ってくれました。子供達からこんなことを言われるようになるとは…皆さんがいなかったら、こんな状況、とても耐えられなかっただろうなと思っています。感謝の気持ちでいっぱいです。
2022年12月26日
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先日の福島沖を震源とした地震で、一部の火力発電所が止まっている影響で、昨日、初めてで突然の「電力需給逼迫警報」が発令されました。節電しないと突然大規模停電になる…なんて言われたら節電せざるを得ないです。今や電気がないと本当に困りますから。ギリギリまで照明もつけずに過ごしたり、お湯もケトルでなくガスで沸かしたり。夕食後は後片付けより先にお風呂に入りました。(停電したら困るので)雪がちらつくような寒い日でしたが、うちの暖房はガスファンヒーターがメインなので、寒さに凍える心配はあまりありませんでした。いつもなら夜はパソコンを触ったり、テレビを見たり、ポータブルオーディオで音楽を聞いたりするのですが、それらを使うことも気がひけました。早々に寝てしまえば電気も使わないのですが、そう早くも寝れない年齢^^;仕方なく、太陽光や手回しで充電できるラジオをつけて、新聞を読むことにしました。NHK FMでちょうど「ベスト オブ クラシック」を放送していました。しかも大好きなチャイコフスキーの「交響曲第5番」。ただ、最初は小さなモノラルのラジオから流れる音はとても残念な感じに聞こえました。でも曲がだんだんと進むうちに、不思議とそれがあまり気にならなくなりどんどん引き込まれていきました。最後の方ではなんだか涙があふれてくる始末災害の疑似体験…といったら本当の災害に遭った方たちから怒られそうですがそんな体験の中で、音楽がある素晴らしさを感じたからかもしれません。やはり音楽は「不要不急ではない」と思いました。幸い停電は回避されました。今日も朝のうちは警報が出ていましたが、午前中には解除されたようです。それにしても私たちの生活はあっけなく崩れるようなところで成り立っているんだな…と思った出来事でした。またオール電化の家が多くなっていますが、熱源としてガスもあった方がいざという時いいのかもしれないと思いました。トイレもタンクレスのは停電の時は使えないですよね。うちもリフォームで1つはタンクレスにしたのですが、もう一つは従来のままにしてあります。チャイコフスキー:交響曲 第5番 [ 西本智実 ]Toyyot 携帯ラジオ 防災ラジオ ポケットラジオ ソーラーラジオ 2000mAh ラジオ小型 手回しラジオ 懐中電灯 AM/FM受信ラジオ 多機能 ソーラー/手回し/USB充電可能 災害用 台風 震災 津波 停電などの緊急に対応 軽量 赤い
2022年03月23日
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ふと見ると、ブログの閲覧数のカウンターが9並びの数字になっていました。いちじゅうひゃく…と数えて改めてビックリ。あと1でもう100万アクセスでした。ブログを始めたのは2009年、前のパート先を事実上クビになり、その後の就活中でした。ということは、今の仕事とブログは同い年という事で、両方共思いがけず長く続いています。当時、子供達はまだ中学生でした。自分の備忘録やストレス発散として書いているこんな日記ですが、ずいぶんたくさんの方が読んでくれたのですね~。読んでくれるだけでなく、コメントもたくさんいただいてきました。本当に感謝です。
2021年09月03日
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テレビで美味しそうなチーズケーキ屋さんが紹介されていました。見ると、所在地は私が結婚前に住んでいた街。へ~、そんなのあったかな?とグーグルマップで場所を確認しましたが記憶にありません。その街に住んでいたのは25年以上前なので、その後できたのかもしれません。ふと、自分の住んでいたアパート、まだあるんだろうか…と思い、地図を拡大していくと…なんと、当時のままのアパート名が表示されましたさらにストリートビューに切り替えてみると、外観もほとんど変わらずそこにありました。当時だって結構古い感じだったのに、リフォームとかして使ってるのかしら…そのアパートには大学3年から結婚するまでの約8年間住んでいました。家賃は振込などではなく、近くに住んでいた大家さんのところに毎月持っていっていました。旅行が好きなおじいさんで、海外に行ったときの写真をたくさん見せてくれたりしました。国内旅行は…?と聞いたら、国内はもっと年を取ってからでいい、なんておっしゃってたけどその後行かれたかな~。私の部屋の下の階には大家さんの妹さんが住んでいて、時々おすそ分けしてもらったりしました。アパート自体はおしゃれとはとてもいえない部屋だったけれど6畳の部屋(畳でした)と普通のサイズのシンクや2口コンロのある結構広いキッチンもあって、お風呂とトイレも別でした。ただ洗面所はなくて、流しで歯磨きしてたな~^^;洗濯機もベランダだったな~^^;部屋は4つしかなかったので、すべて角部屋。私の部屋は南東と南西に窓のある2階だったので、陽当りも良かったです。なにより新宿まで電車で5分ほど、駅からも歩いて10分ほどというところで今思えばほんとに便利なところに住んでいたな~と懐かしく当時の事を思い出しました。そしてチーズケーキが食べたくなりました^^;「選べる!椿屋珈琲店のチーズケーキ」ベイクドチーズケーキとレアチーズケーキからお選びいただけます。 ギフト に大人気。 お返し 家族 子供 送料無料 プレゼント 贈り物敬老の日 ギフト 内祝い
2019年11月04日
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相模女子大学グリーンホールでのコンサートの翌日の夜、Yちゃんのアドレスから「Yの夫です」というタイトルのメールが届きました。続く文章に頭が真っ白になりました。Yちゃんがこの日天国に旅立ったというのです。先日のNHKホールに行けて良かったということや葬儀の日時などが書かれていましたが内容が頭に入ってこず、何度も読みかえしているとやはりNHKに一緒に行ったSさんから電話が入りました。私はまだ信じられない気持ちの方が大きくて、茫然としていたのですがSさんは電話口で泣きじゃくっていました。とりあえず一緒に告別式に行く約束をして電話を切りました。告別式は日曜日でした。セレモニーホールのある駅で式の始まる1時間前にSさんと待ち合わせしたのですが、2人ともその30分ほど前には着いてしまいました。そのままホールへ向かいましたが、まだほとんど人が集まっていない時間だったのでご主人やお姉さん、お母さんとも長めにお話しすることができました。初めてお会いしたお姉さんの顔や話し方がYちゃんにそっくりで、余計に悲しくなりました。Yちゃんが亡くなったという知らせを聞いてから一緒に映った写真を探したのですが1989年の夏のイベントの時に撮ったものしかみつかりませんでした。でもお母さんやお姉さんはその写真を見て「まだ子供だねぇ」と涙を流しながら笑ってくれました。棺の中のYちゃんの顔はこの間会った時よりもさらに小さく感じました。この間まで笑顔を見せてくれていたのに、もう目を開けてくれることはないなんて…。祭壇の脇にはALFEEの40周年の時にもらった名前入りの感謝状が飾られていました。それと坂崎さんの書写真も。坂崎さんが撮った写真と筆で描いた言葉1がつの額に入っているものです。坂崎さんが大好きだったYちゃんが1枚買ったというのは聞いていましたがその書をみて涙が溢れました。「お別れを言いにきてくれたんだね」買ったのはもう何年も前のはずです。遠い未来のはずだったこの日のためにこれを選んだのかな…でもそれももう聞くこともできません。告別式後喪主であるご主人が挨拶されましたが、途中涙で言葉が詰まっていました。そして最後のお別れの時。順に棺にお花を入れていきます。私は了解を得てお花と一緒に二人で一緒に映った写真とALFEEのこの春のツアーで1本だけ手に入れた銀テープを半分入れました。両方とも裏にメッセージを書いて。Yちゃんと出会ったのは私が初めてALFEEのコンサートに行った1984年の5月でした。一人でホールの外で不安そうな顔で立っていたのであろう私にALFEEファンとしてはちょっと先輩だった彼女が声をかけてくれました。たまたま同い年だったという事もあり、それ以来交流が続きました。会った頃は彼女は埼玉、私は東京に住んでいましたが彼女は卒業後実家の愛媛に帰ったりしたし、結婚後は埼玉と千葉で住まいが近くになることはなく、会うのはほとんどがコンサートの時でした。でも手紙やメールなどでもALFEEのことはもちろん、個人的な悩みなどいろいろなことを話しながら笑ったり、泣いたり、気づいたら35年もたっていました。2年前に病気が見つかり、闘病生活に入った彼女でしたがNHKホールや武道館、夏のイベントなど、チケットをとったコンサートの時にはALFEEを思う気持ちからか体調が落ちつき、奇跡的に一度も空席を作ることはありませんでした。病気が進んでからは優しいご主人がいつもホール近くまで送り迎えをしてくれていました。先日のNHKホールの時ははじめて入口までご主人が送ってくれ、そこでSさんと私が引き継ぐ形での参加になりましたが、コンサート中は立ったりこぶしを振り上げたりすることもありました。「免疫力が上がった」「またね」と笑顔で別れましたがそれから1か月もたたないうちに旅立ってしまいました。「天河の舟」という曲が発表された頃、その舟にいつか乗って行ってしまうであろうALFEEを想像して泣いていたYちゃんだったのに彼女が先にいってしまいました。私は子供が小さい頃はあまりコンサートに行けない時期もありましたが彼女のALFEEに対する情熱に引っ張られてここまできた気がします。私の青春のすべてにALFEEがあり、彼女がいました。その彼女を失い、翼を片方もがれたような気持ちです。【中古】パンフレット(ライブ・コンサート) パンフ)THE ALFEE AUBE 2007 天河の舟
2019年06月23日
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平昌オリンピック、予想以上のメダルラッシュで盛り上がりましたね。職場は1年で一番忙しい時期に入ってきて録画したフィギュアスケート男子やエキシビションもまだ全部は見れてません。(もちろんフリーの羽生選手・宇野選手のあたりは生で見ましたが)二人とも素晴らしい演技でしたし、試合後の様子もほほえましかったです。朝日新聞デジタルに羽生結弦選手の素敵な特集がありました。写真や音声や動画でまとめてくれています。栄光の影の想像もできないような道のり。ウルっとしちゃいました。でも幼い頃の写真はかわいかったですSPIN DREAM孤高の星Sportiva 平昌五輪特集号 【表紙】 羽生結弦 (集英社ムック)[本/雑誌] (単行本・ムック) / 集英社
2018年02月26日
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先日、昔大好きだったアーティストのコンサートパンフレットなどをオークションに出品しました。嫌いになったわけじゃないので、かなり迷いましたが、少しずつ断捨離してかないと…。しまい込んだままにしていたり、捨ててしまうよりは、誰か好きな人に引き取ってもらったほうがその品物も幸せだろう…と思い切りました。いざ出品してみると、熱心なファンの方が何名もいらして、全て無事落札されました。今はオークションの取引連絡は簡略化されていて、一言も自分の言葉で連絡しなくても取引が終了します。ところが、今回とても熱心なファンの方がいらして、長年探していたものが見つかってほんとにうれしい、と何度も伝えてくれました。私もそんな方に譲ることが決まって、ほんとによかったと思いました。そしていよいよ商品を発送する朝、夢を見ました。そのアーティストが「さよなら」ってささやきながら制服姿(!)の私の肩をそっと抱きしめてくれたのです。何とも言えない気持ちでした先日の「おんな城主 直虎」での直虎と龍雲丸の別れのシーンの影響かもしれませんねおんな城主 直虎 完結編【電子書籍】[ 森下佳子 ]
2017年10月03日
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パソコンが不調です。しばらく日記の更新やいただいたコメントに返信できなくなるかもしれません。その時は、ついに壊れたな、と思ってお許しください。絶不調パソコン完全復活&延命マニュアル Windows XP対応 [ 佐々木康之 ]
2017年09月29日
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http://www.oita-u.ac.jp/000028887.pdf
2017年05月02日
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熊本の地震、とても大きな被害になっています。はじめの震度7の時は、震度のわりにはそれほどの被害でなくてよかった、なんて思ったのですがその後何度も起きている大きな余震(じつはそれが本震だったそうで)でその後の被害の方が深刻なようです。東日本大震災のあとは、関東でも余震が頻発して、緊急地震速報もしょっちゅう鳴って怖かったけど、余震の規模と回数はその比ではなさそうです。 九州には25年ほど前に2回行っています。1回目は大分、熊本、長崎、福岡の有名どころを友達と2人でぐる~っと周りました。その時気に入ったのが阿蘇山ちかくにあった小さな山、「米塚」でした。黄緑色の草に覆われたような、とても綺麗で可愛い山でした。http://www.jalan.net/kankou/spt_43422ab2010002985/「あれに登ってみたいね」という話が盛り上がって、それをメインにもう一度訪ねたのです。実際に行ってみたら、結構背の高い草というか木というか…が生い茂っていて大変な思いをしながら、それでも上まで登ったのはいい思い出です。今は登ることができないそうですから、貴重な経験をしました。 街中の居酒屋で生まれて初めて食べた馬刺しは、美味しくておかわりしちゃったっけ。熊本城は閉館時間が迫っていたので、駆け足で上まで登ったっけ。 黒々とそびえ立っていたその熊本城は瓦がほとんど落ちてしまって、茶色っぽく見える姿が悲しいです。早く余震が収まって、安心して過ごせる日が戻ると良いのですが。 熊本に一緒に行った友達というのは、昨年プチ同窓会をしようとして怒らせてしまった彼女です。彼女はあの旅のこと、覚えているかな…
2016年04月18日
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5年前の3月11日、東日本大震災が発生しました。今日はあの日と同じ金曜日。これまで以上にあの日のことを思い出します。 幸い私の家族や家は無事でしたが、同じ千葉県でも被害にあった方も多いし、職場にはご家族を亡くした方もいました。私も物不足や計画停電(実際停電はありませんでしたが)などで多少は日常生活に影響を受けました。それでも今はほぼあの日を思い出さないで済むような暮らしをしています。唯一変わったことといえば、食洗機を使うのをやめたことくらい。少しでも電気を使わない生活をしたい…と。 テレビや新聞を見れば、まだまだ辛い日常を送ってらっしゃる方はたくさんいます。福島の原発近くのまちへの帰還も始まっていますが公表される数値が本当なのか、本当にそこで生活して大丈夫なのかと思ってしまいます。 私は何をしたらいいのか、できることはあるのだろうか、考えていきたいです。
2016年03月11日
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例年通り仕事が忙しかった12月。それでも 23・24日は武道館でTHE ALFEEと共に素晴らしい時を過ごせました。29日に私と夫の仕事が休みになると同時に上の子も帰省してきました。手付かずだった大掃除もしなくちゃいけないわ、みんなの3食の準備もしなくちゃいけないわで大忙しの年末でした。元日は夫の実家で集まりがあり、2日の午後には上の子がアパートに戻っていきました。 これでやっと少しゆっくりできるな…と思っていた2日の夜。もうずいぶん前からくすぶっていたものに火をつけてしまったのは私の方でした。ところが、火は思いがけない方向に燃え上がり、私が火をつけたはずなのに、大やけどをしてしまったのも私の方でした。 どうして、いつからこんなことになってしまってたのか。これまでの20数年はなんだったのか。私がいけなかったのか。悲しくて、わからなくて。 今年はカレンダーの並びが悪く、4日からもう仕事かぁ…と思っていましたが仕事で忙しくしてる間はあまり考えずにいられたのでかえって救われました。台所で、お風呂で、布団の中で、通勤途中でも、職場でも、一人になると涙が溢れてくる日々でした。平常心で仕事をするのも大変でしたが、家に帰るのも苦痛でした。ブログを書く気力も失ってました。 解決もしていないし、できる問題のような気もしません。半世紀も生きてきた人間が、生まれ変わったように変わることなんてできないでしょうから。このまま…とも思いましたが80を過ぎても私の事をいつも心配してくれている両親に、これ以上心配かけることはできません。もう少し頑張らないと。
2016年01月31日
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3月半ば、高校時代の友人のご主人が亡くなったと、別の友人から連絡がありおとといの日曜日、お悔みに行ってきました。6年ほど前に皮膚がんになり、治ったものの、一昨年別のところに転移していたそうです。そして余命1年を宣告されたのだそうです。 その友人とはいつも一緒にいるという友達関係ではなかったのですが不思議と気が合って、交換日記をしたりもしていました。卒業後は別の大学に進みましたが、私のアパートに彼女が泊まりに来て夜中までおしゃべりしたりしたものでした。 それでもお互い結婚すると、会う機会もあまりなくなり年賀状とたまのメールくらいの付き合いになってしまっていました。だから6年前のご主人の病気も知らなかったし、余命宣告されていたことも全く知りませんでした。今年の1月に久しぶりにメールをもらって会いたいね、と言われていたのですが、ちょうどうちの子が受験真っ最中だったので終わって落ち着いた頃にでも・・・と返事をしていたのです。今思えば、その時いろいろ話したかったのかもしれません。 彼女に会うのは13年ぶりくらいでした。久しぶりに会うのがこんな状況なんて・・・余命宣告されてから、彼女がどんな気持ちで過ごしてきたのか・・・。本当につらかったことでしょう。何を言っても慰めになる気がしませんでした。 それでも少しずついろいろな話をしました。もちろんご主人の事や彼女の事が中心でしたが高校時代の事や私の周りの事も、時には笑いながら話をしました。すぐに帰った方がいいのか、なるべく長くいた方がいいのかも迷ったのですが結局、夕食も一緒にしてから別れました。また会おうね、と約束して。 彼女には子供がいません。こんな状況で小さい子がいたら、それはまた大変かもしれませんがこの先、一人っきりになってしまうというのも寂しいかもしれません。また、お母さんも少し前になくなっているし、お父さんも今は施設に入っているそうです。彼女みたいにとってもいい子が、こんなつらい目にあうなんて、残酷すぎます。
2012年03月27日
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仕事帰り、公立高校の願書にはる収入証紙を買いに市役所に行ったら献血車が来てました。 学生時代から結婚するまでは東京に住んでいて、大学も仕事も新宿を通っていってたのですが、その新宿西口に献血ルームがあったので、ときどき協力してました。でも、BSEが発生した後、ある期間、イギリスに旅行した人は献血できないと言う事になったんですよね。 私は大学4年の今頃、卒業旅行と称して21日間のヨーロッパ旅行をしたんです。(今思えばバブリ~な時代でした^^;)イギリスは3日間の滞在だったのですが、やはりダメと言う事でそれ以来ず~っと献血してませんでした。 ところが最近、今はその規制が緩和されて、私の条件では大丈夫になったと言う事を知りました。市役所に献血車が来るのはたま~になので、これも何かの縁かな、と久しぶりに協力することにしました。 もう20年ぶりくらいなので、昔の記録は残ってないと思ってたのですがちゃんと残ってて、今回で26回目でした。久しぶりなので少し心配でしたが、なんともなかったので、また機会があれば協力していこうと思いました。
2012年01月27日
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昨日は1日結構頑張った大掃除。今日も続きを・・・と思っていたのに今日からみんな休みだと思ったら気が抜けて、起きたら8時でした! それから朝ごはん作ったり洗濯したりさらに寝坊の下の子を起こして受験用の写真を撮りに行ったりしたら、もうお昼です。(受験料の振り込みは年明けにしました)それからお年玉用のお札を新券に両替に銀行に行き、買い物して帰り、年賀状用に家族そろって玄関前で写真を撮ったらもう夕方。今夜は遅れに遅れていたクリスマスパーティーの予定だったのでほとんど掃除ができないまま夕食の準備になってしまいました。 クリスマスパーティーと言っても、チキンとケーキを用意するくらいなのですが・・・チキンをオーブンで焼いている間に、ケーキ作り。スポンジは買ってきて、デコレーションするだけにしてしまいました。それでもチキンもケーキも割と好評だったので、一安心。 今夜は年賀状書きです。あ、クリスマスの飾りをしまって、お供え餅を飾らなきゃ。掃除終わってないけど、明日になってはいけないと母から教わったのでとりあえず飾らなくては。明日こそ早起きして掃除します。
2011年12月30日
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今朝のニュースで、東京電力管内の家庭では、去年の電気使用量より15%節電すると賞品がもらえる仕組みができると言ってました。 でも、もともと節電してる家ではそんなに節電できないですよね~うちは割と節電している方だと思うのです。エアコンもほとんどつけないし、冷蔵庫は常に弱、TVやDVDの主電源も切ってます。さらに今回の震災の後はお風呂の2つある照明も1個電球を外したし、食洗機も使ってないし、玄関の外の電気も誰かが帰ってくる時間だけつける程度にしました。これ以上何ができるかな~? あとはPCを付けてる時間(特に下の子のゲーム時間)やTVを見る時間(特に夫)、居眠りをしながら勉強してる時間の削減(上の子)・・・ってとこでしょうか。一般の家庭はどのくらい使っているのか知りたいです。
2011年06月13日
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昼間、宅配便が届きました。「あれ、何か注文してたっけ?」と思いつつ出てみると送り主は「文化放送」、懸賞の当選品でした。(歯ブラシも1本入っていたのですが、すでに主人が使ってしまいました) 以前はよく懸賞に応募していたのですが最近はあまりしていなかったしこれもいつ応募したのか忘れてしまったのですが当選は久しぶりだし、実用的なものばかりでうれしい! 今までで一番びっくりした当選品は「マウンテンバイク」ですある日帰宅すると、家の脇に大きな箱が置いてありました。組み立て式だったので、半分くらいの大きさにはなってましたが・・・多かったのは野菜ですね。トマト1箱とかきゅうり1箱とか。たぶんそんなのが当たっても困るから、あまり応募する人がいなかったのかも。でも、ご近所におすそ分けして喜ばれたりしました。
2011年06月11日
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久しぶりに何の予定もない日曜日。いろいろしたいことはあったのに、たいしたこともしないで終わってしまいました。家族が見ていた「20世紀少年」をなんとなく見ながらたまっていた新聞を読んで、洗濯して、掃除して。(古いのを読んでどうなると、家族に言われてます)「20世紀少年」も新聞を読みながらだったのでいまいちよくわからないまま・・・すご~くもったいない1日でした
2009年08月23日
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PCは結構前からさわっていたけれど、なんとなく使わないままになっていたブログ。ついに始めてみる事にしました。日々のつれづれを書いていこうと思います。
2009年06月19日
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