タコ社長,オーストラリア・メルボルンのスローライフな日々

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テーマ: 国際恋愛(198)
カテゴリ: 忘れられない人々
「おじさん、アデールさんと仲良くね。」

若干33歳の私を、「おじさん」と呼んでくれる人がいた。1985年7月、バスでオーストラリア半周の旅に出ていたときの話しだ。反時計回りに、メルボルン、アデレード、エアーズロック、ダーウィン、タウンズビル、ケアンズ、ブリスベン、シドニーと周りメルボルンに戻った。約一ヶ月の旅だった。遅れてきた青年末期の男が、遅れを取り戻そうと躍起になっているような頃のことだ。

アデレードから出たバスの中で知り合ったオランダ人のアデール、そして行くところ行くところで出あったのが東京から来ていたAちゃんとYちゃんだった。この二人が私を「おじさん」と呼んでくれていた。

日本に帰ると必ずメールをくれる。会うことはなかなかできないが、時々このブログを見ていてくれるらしい。もう22年前に出あったオーストラリア友達だ。因みに、オランダに帰ったアデールは、永住権を取って1年後にメルボルンに戻ってきて会ったが、歯車が合わず空回りに終わった。その頃から、オランダに縁はあったようだ。

今回、メルボルンに戻る時にきも二人からメールをもらったが、Yちゃんのメールに、「いってらっしゃい」とあって複雑な気持ちになった。私には、「いってらっしゃい」と言われる対象の国が2つある。どちらの国からも「いってらっしゃい」なのだろうか。50歳を過ぎてからの日豪間の旅は、だんだんと重くなってきている。体の方は若干軽くはなったのだが、気持ちの方は年々重くなる。両親のことが気になる。

30代で「おじさん」と呼ばれることには苦笑いも出たが、これも考えようで。100歳を超えても「おじさん」なのだろうから、それも良かったななんて思える年になってきている。







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Last updated  2007年12月01日 09時07分15秒
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