タコ社長,オーストラリア・メルボルンのスローライフな日々

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タコ社長1952

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テーマ: たわごと(27736)
サラリーマン時代の夜の接待は、私が担当するときは六本木マキシム、部長、課長がする場合は赤坂のニューラテンクォーター(ラテン)あたりだった。ここは、格が違った。

当時の赤坂には、花馬車、コパカバーナ、ゴールデン月世界、ミカドなど多くの中大型ナイトクラブがあった。コパカバーナはデビ夫人が勤めていたときに、当時のスカルノインドネシア大統領と知り合い、その第三夫人になったというエピソードもある。ミカドは夜の都バスの観光コースでのあった。二階の一般席にちょっとの間だけ座ってショーを観たりしていた。団体で入って来るの異様な感じがした。

京都ではベラミがあり、私も何回か行ったことがあった。スーツなしで入ろうとしたら、店に揃えてあったスースを貸してくれた。カジュアルでは入れなかった。ベラミは山口組三代目田岡組長が狙撃にあったところでもある。

そんななか、やはりラテンが飛びぬけて豪華だった。130人からの超一流のホステスを抱え、300人ほどが収容できた。ラテンは、ホテルニュージャパンの地下にあり、このホテルとセットになっていた。藤山コンツェルンの藤山愛一郎外務大臣と、ロッキード事件で取りざたされた中国児玉機関の児玉誉士夫がこの店の開店に関係している。昭和34年のオープンだった。

地下に入ると真っ赤なじゅうたんがあり、2メートルはある幅でゆっくりとやや右に回って入る。すると、そこはもう全くの別世界だ。恐らく、行ったことはないが、ラスベガスのナイトクラブはこういう感じなのだろう。こんな所に20代の若造が入った日にゃもう本当に浮き足立ってしまう。しかし、そこはしっかりと抑えて常連のような顔でお客の接待に使った。トイレに入るとそこには白い服に蝶ネクタイの年取ったサービスの人がいて、終わるとさっとタオルを出してくれた。当然、チップを置かないとならない。最初、このシステムが分からなくてそのまま出てきて部長に怒られたことがあった。

座るだけで何万も取られるこの豪華なナイトクラブで、私はお客の接待の仕方を学ばせてもらった。しかし、ときには自分たちだけで来るいわゆる「社内接待」にも使ったりもした。

毎晩9時と11時にショーがあった。その間は、ホステスと踊ったりもできる。いつだったか、アメリカのLAノッカーズという5人の金髪超美人ダンサーのショーがあり、そのダンスに見とれてしまったことがあった。それぞれのダンサーは身長は180センチ以上はあり動きも豪快だった。その内の1人のサリーというダンサーが席に回ってきて、酒の勢いもあって話し込んで休日に浅草に連れて行くことになった。

昼を食べたあと電車で浅草までいった。まさか私がぺーぺーの平社員だとは思っていなかったらしく、電車で行くといったらビックリして何だか機嫌が悪くなってしまった。高級クラブに顔を出す人間は全て金持ちだとでも思っていたのだろうか。それでも、なんとか浅草の町を見て回ったが結構気を使って私は楽しめなかった。一つだけ面白かったことは、
いやというほど人が振り返ってくれたことだ。可也目だったようだ。なんであんな男と、といった視線も感じられたが悪い気はしなかった。でも疲れた。



ラテンは、1982年に上のホテルニュージャパンの大火事に影響されだんだんと力を失っていった。マネージャーを初め従業員、ホステスの高級なサービスを受け夜の世界の作法の方には私も滅法強くなっていったが、肝心の昼の本職の方はイマイチでいろいろと行き詰まり、1984年に9年弱勤めた会社を退職することになり、かたぎの世界に戻ることになった。

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Last updated  2009年04月06日 07時52分09秒
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