タコ社長,オーストラリア・メルボルンのスローライフな日々

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タコ社長1952

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テーマ: 海外生活(7776)
カテゴリ: 移住模索期
「時給は1400円です。早速、明日から教えてください。」恵比寿にあった日本語学校の面接を受け採用になっ た。1985年の2月のことだった。その年の6月にはオーストラリアに行こうと思っていたので、ほんの数ヶ月の仕事だった。私とそれほど年の変わらない御兄弟お二人でやられている本当に小さな学校だった。しかし、少人数制の学校とはいえ、教壇に立つのは初めてのことだった。

教える時間は、一週間でも15時間程度。とてもじゃないが、生活できるような金額じゃない。六ヶ月の失業保険があったのでやっていけていた。そして、まだ実家に住んでいたので出費も少なく済んだ。

「タコさんね、とてもじゃないけど、 男の人は日本語教師では食べていけないわね。」同業の女性教師がいった。「でもね、主婦が片手間にやっている女性教師が多いから、男性は貴重で仕事を見つけるのには有利だけどね。」40代前半の主婦であったその女性が羨ましそうに話かけてくる。

「タコさん、できたらずっと続けてください。 もう一つの教室も始めますから。」
「実は、6月にオーストラリアに行こうと思っているんです。」
「えっ、本当ですか。」
校長先生、丁寧な言葉にもがっかりとした感じが読み取れた。
「新しい、パンフレットには男性教師としてタコさんを入れたばかりなん ですよ。」
私は、申し訳ないという思いはあったが、オーストラリアで日本語教師をする、という夢の一段階としての日本での日本語教師を、ずっと続けるわけ にはいかなかった。そして、6月の初めの最後のクラスを終えて、予定通りオーストラリアに旅立った。校長先生は優しく握手をして激励してくれた。



恵比寿の日本語学校の校長先生、よほどしつこいか、よほどズボラかどっちかだろうが、なんとなく少し嬉しくはなった。

毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
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Last updated  2010年04月02日 02時42分26秒
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