タコ社長,オーストラリア・メルボルンのスローライフな日々

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テーマ: 海外生活(7776)
カテゴリ: カテゴリ未分類
可なり前の話だが、オーストラリア人の3組のカップルと私たちとで、映画鑑賞のグループを作っていたことがあった。月に一度、幹事を決めてその幹事が選んだ映画を見るというものだった。

私の番が来たときに、たまたま上映していた周防監督の「Shall we ダンス?」を見ることにした。日本映画は、オーストラリア人に受けるのとそうでないのが割りとはっきりしているように思える。最近の日本映画は、暴力とセックスがどぎついのが多い中、割とゆったりと見られたこの映画は、いまだにこの会の中で語り草となっているほど受け入れられた。

因みにあの、窓から見えるダンススタジオは、私が幼い頃より利用させていただいている、西武池袋線江古田駅から見えるスタジオという設定だった。江古田にはあの日大芸術学部があり、そして私が6歳の夏に40日も入院した練馬病院もある所だ。

四畳半と六畳の警察官住宅長屋に住んでいた私は、近くの豪邸のベルを押して逃げる遊びに熱中したりする徒競走少年だった。ところが、練馬区向南幼稚園雪組みの時、あわや左足切断かという恐れもあった大病をした。そしてこの江古田の病院に入院したのだ。

左足の皿に水が溜まったのが原因で、その膝が腫れ上がり歩行ができなくなった。町医者で一度手術したのだが良くならず、練馬病院で二度目の手術となった。手術の前に両親はもしかしたら切断になるかも知れない、と医者から言われたと後で知った。

「お父さんはね、お前のところに毎日見舞いに行っていたんだよ。お前が寂しいと思ってね。」前回、帰国して母の作った芋の煮っ転がしを食べていたとき、その母から聞いた。そして、ほとんど毎日私のベットの横に仮設ベットを置いて寝泊りしていたという。

父も母も見舞いに来てくれたことは覚えてはいるがそれが毎日であったこと、そしてほとんど毎朝病院から職場の警察署に出勤していたことをあらためて知ることになった。この話を聞いて食事の箸を置いて続けられなくなってしまった。

一時帰国の際、今度は私が病んでいる父の面倒を見る番になっている。

毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
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Last updated  2010年04月04日 17時49分06秒
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