タコ社長,オーストラリア・メルボルンのスローライフな日々

タコ社長,オーストラリア・メルボルンのスローライフな日々

PR

×

Profile

タコ社長1952

タコ社長1952

Comments

タコ社長@ Re:「国高1969」というサイトを作りました(07/19) 「国高1969」管理人さんへ ありがとうござ…
「国高1969」管理人@ 「国高1969」というサイトを作りました あれからもう50年ですね。 時間があればの…
Yuta Kashiwagi @ Re:母と一緒に働いたプラスチック加工工場(08/11) こんにちは 来年からプラスチックの成形販…
タコ社長@ Re:いろいろバランスを取りながら、、、(09/24) 移転しました。 <small> <a href="http:…
タコ社長@ Re[1]:まず、皆さんのご意見を伺いたい!(01/17) 田楽みそさん >社長さん、初めまして。 …

Favorite Blog

今日の散歩 やすじぢいさん

バリの日本食レスト… JLmamoさん
From おおさか mayu0208さん
y'Odare cLub  To… y'Odare cLub. Tomochanさん
ようこそ我が家に ディジュさん
湘南のカモメ 湘南のカモメさん

Archives

2026年08月
2026年07月
2026年06月
2026年05月
2026年04月
2012年09月07日
XML
カテゴリ: タコ生徒・学生期
「神様の御心なら、私は何年でもタコのことを待つわ。」
黄色のニットの半袖のセーターが、大沼の湖面に眩しく凹凸を作って揺れている。ジュディーはそういいながら、真剣な眼差しで私を見つめている。

群馬県赤城山の教会のキャンプ場で、私たちは裏方として働いていた。1973年の7月から8月にかけての1ヶ月の仕事だった。私は大学2年生になっていた。

山の上には大沼と覚満淵という二つの湖がり、大沼でよくボートに乗っていた。この数年前から、東京の教会でオルガニストをしていたジュデーは、その優しい言動と素敵な容姿から「天使のよう人」と呼ばれていた。そんな彼女に憧れていたが、それこそ天使、雲の上の人ではあった。私は、9歳のときから金髪好きが板についていて、あまりに当然のように彼女を想うよういなっていた。そんな4歳年上の彼女が、私に好意を持っていてくれたことを知ったのが、このキャンプ場でのことだった。私にとっては、奇跡に近かった。

教会のキャンプ場だったから、二人は恋の激情に後押しされたとしても、品行方正が3回半くらい引っくり返った程度のいたって地味な愛情表現のまま、ただ見つめあう日々が続いた。今思うと、もったいなかったな、などと思える21歳の夏の終わりのことだった。

このジュディーとは、翌年の夏アメリカのシカゴと、西海岸のシアトルで再会することになる。

今、この赤城山、大沼、覚満淵が放射能汚染されてしまっている。




  • img_617875_33262984_10.jpg


毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
banner_23.gif

タコ社長の本業・オーストラリア留学

タコのツイッター   
Twitterボタン
Twitterブログパーツ





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2012年09月08日 00時40分37秒
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: