歎異抄を学ぶ
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教化には、2種類の読み方があります。きょうか、と、きょうけ、です。教化(きょうか):[名](スル)人を教え導き、また、道徳的、思想的な影響を与えて望ましい方向に進ませること。「人民を―する」「―活動」教化(きょうけ):[名](スル)《「きょうげ」とも》1 仏語。人々を教え導いて仏道に入らせること。教導化益(けやく)。2 法要の際、仏前で朗唱する讚の一種。ということが、大辞泉に掲載されている。私は学生であるので、どうしても「きょうけ」として記載する必要があるが、意味が人に教えを導き~とあるので、私にそのような力はまだないと断言出来るだけに、このテーマの回答が出せないでいる。『私にとって、教化とは何か』というテーマだということから、私にとっての教化は、まだこれから学び、自分が納得いくものを得てからが教化だと思う。教化に限らず、人にものを教えるという行為は、まず自分がそのことをちゃんと理解して体得していないことには人に説明も出来なければ、導くことも出来ないであろう。それは、先生という職業がまさにいい例で、数学の先生なのに、数学が苦手では元もないということだ。だから、きょうけとして私がするべきことは、いかに正しく教化としての仏道を学び、それを口に出して表現出来るかが課題だと感じる。だからこの大学生活も私にとっても、当初から、いろいろな先生方の話を伺っても、いまいち自分のものにならない世界だったのが、最近になって自分に身についていくのが少し実感出来るようになったことからもこれが教化としての導きなのかもしれない。大学入学時、私の場合、一つだけ知りたいことがあった。それは、「さとりとは何か」これが大きな課題であり、大学へきた唯一の解決したい目標であった。今もそれは変わらないが、日々の生活の中で疑問は増える一途である。今は、さとりという意味も知りたいし、何をしたらさとれるのかも知りたいさらに、なぜ、さとりという言葉が全てどの図書にもひらがなで書かれている理由も知りたい辞書でひくなりこのPCなどで文字を変換すれば分かるが悟り、覚りと出てくる悟り:理解、(仏教)真理を会得覚り:察知、常用外真理とは何か、真理を会得するとは何かこれがこの大学での課題かと思っている。さて、本題に戻して『私にとって、教化とは何か』与えられた課題に対する答えは、私の将来の夢です。大学で学ぶことは全てではないが、解行共に身に付けていかないことには教化することは出来ないと思っています。現在の私の夢は、説法者としての教化です。まだこの大学に通う前は、教化以前に発心の段階でこの導きにすら気づかなかったのですが、最近思うのが、これもまた仏の導きであるのならば、教化もまた導きであると感じています。現在の私の学習において、教化は自力であるのか他力であるのかは分からないのですが、他力であるのならば、解としての知識は私の夢のいったんを担っていることになるわけですから学びの場を与えられたことを感謝しています。
2006年06月12日
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