2番手の正捕手のベースボール名鑑

2番手の正捕手のベースボール名鑑

2010年08月29日
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テーマ: おくやみ(9)
カテゴリ: プロフィール
山本 小鉄(やまもと こてつ、1941年10月30日 -2010年8月28日)は、新日本プロレスに所属していたヘビー級の元プロレスラー。本名は山本勝(やまもと まさる)。リングネームは豊登の命名。神奈川県横浜市南区出身。現在はタレントととしても活動、芸能事務所、インターテイク所属。
公称身長170cm、体重100kg。現役引退後は、解説者・レフェリーとして活躍した。
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横浜市立横浜商業高等学校卒業後、東海金属工業株式会社に勤務しながらYMCAでボディビルに打ち込み、1963年日本プロレスに入門、力道山最後の弟子となった。同年7月19日に北沢幹之戦でデビューを飾った。
1967年1月、星野勘太郎とともにアメリカ遠征に出る。テキサス州ダラスなどで力強いファイトを展開し、小型でもパワフルであると評判だったヤマハのオートバイにあやかって名付けられた「ヤマハブラザーズ」のタッグチーム名で名を上げた。ダラスではフリッツ・フォン・エリックの家に住み込み、身の回りの世話をしていた時期がある。ワールドリーグ戦でゴリラ・モンスーンを破ったのは日本プロレス史上に残る番狂わせとして有名である。
1971年12月、アントニオ猪木が日本プロレスを追放されると猪木に協力し、翌年の新日本プロレス旗揚げを実現させた。この頃から現場責任者・コーチとして活動している。
1979年1月、「ヤマハ・ブラザーズ」として国際プロレスに乗り込み、グレート草津・マイティ井上組を破ってIWA世界タッグ王座を獲得した。この時期の異名は人間爆弾であった。
1980年4月4日の引退後は、レフェリー(後に審判部長)を務める傍ら同団体道場のコーチや新日本プロレス学校の校長を歴任し、鬼コーチ、鬼軍曹と呼ばれながら若手レスラーを育てた。「ワールドプロレスリング」のレギュラー解説者として、古舘伊知郎、桜井康雄と組んだことでも知られており、わかりやすく的確な解説は評価が高い。一方で、審判部長として試合を見守る役目も負っており、試合を止めるべく席を立つ前の「あっ、ちょっと待ってください」という一言は、一時期ファンの間で流行した(著書のタイトルにもなっている)。ビッグ・バン・ベイダー日本初登場の解説で”インベーダー”と間違えたことがある。
その後永田裕志、中西学ら「TJ軍」後見人のほか、J sports ESPNで放送されている新日本プロレス中継「S.X.W」の解説を務める。

2010年8月28日、低酸素性脳症の為に逝去[1]。68歳没。





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最終更新日  2010年08月29日 14時01分12秒
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