
1963年4月16日、天満橋~淀屋橋駅間が地下路線として開業したときに、天満橋駅は地下化されました。それを記念して書かれたのがこの文字です。OMMビル建設のため、ホーム上に移設されたそうです。
それにしても、「先覚の志ここに成る」とはどういう意味なのか? この話をするには、戦前からの「市営モンロー主義」の話に触れなければなりません。
「市営モンロー主義」を一言でいうならば、「市内交通に営利企業は手を出すな」という施策のことです。
大阪の場合、大阪環状線の内側にかろうじて入ることはできても、地下鉄線の内側へ入り込むことはかなりの困難だったようです。京阪線の建設計画では、当初、高麗橋(こうらいばし=北浜の近く)を大阪側の起点としようとしたそうですが、大阪市の反対で天満橋に変更させられたといいます。
天満橋駅周辺の地図を見ると、少し東寄り、いまは「大阪マーチャンダイズ・マート・ビル(OMMビル)」の駐車場の出入口になっていますが、そこに「京阪東口」という名前の交差点があります。当時はここに天満橋駅の東口があったようです。天満橋駅は地下鉄谷町線によってブロックされた形になっていました。
「先覚の志ここに成る」の文字を見るにつけ、大阪中心部への延伸は「悲願」だったことが伺えます。京阪本線の天満橋駅が開業してから53年を経ての「悲願達成」だったわけです。月日は流れ、中之島駅に達するまでに98年、1世紀近くかかったことになります。