門真運転免許試験場は、門真市一番町23番16号です。一番町は、かつては「門真一番村」だったようです。
一番公民館
第二次大戦直後の東久邇宮(ひがしくにのみや)内閣が短期間で総辞職したのを受けて、1945年10月に誕生した幣原内閣。その人、幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)は、この門真一番村の出身です。
戦前から外交畑で活躍し、第一次大戦後のワシントン会議では全権委任を務めました。彼の国際協調路線は「幣原外交」とも称され、第二次世界大戦につながる軍部拡大路線を取った「田中外交」(田中義一)と対立していました。
戦後、戦後憲法の草案に関わり、とりわけ第9条の誕生に大きな役割を果たしたとも言われています。
幣原兄弟の碑と説明文
幣原兄弟の碑が一番公民館の裏手(右奥)にあります。
幣原兄弟の碑
兄の幣原坦(「たん」または「たいら」)は東洋史学者で、東京帝大教授、台北帝大学長などを歴任し、終戦後、枢密顧問官として活躍したということです。
碑の説明文によると、兄の幣原博士の研究によって、戦後、対馬が日本に帰属することになったそうです。また、現在も続く学徒援護会も幣原博士の功績によるそうです。
弟の幣原喜重郎は、各国の外交官を務めた後、大正13年に加藤内閣で初めて外務大臣になり、以後、歴代内閣で通算5年以上にわたり外務大臣を務めました。
戦後の昭和20年に総理大臣に任命され、「人間天皇の宣言」草稿を起案、「日本国憲法改正草案要綱」を発表したということです。
衆議院議長も務め、その在任中、78歳で世を去りました。
二人とも東京帝大の出身。父親が教育に熱心で、田畑を売ってでも上級学校に行かせたという話が残っています。
門真市立歴史資料館では幣原喜重郎について常設展示されているそうです。
梅が咲き出していました 2018年01月21日 コメント(2)
実りの秋(山田池公園にて) 2017年10月01日