京阪・香里園駅の南東に、友呂岐(ともろぎ)神社があります。
友呂岐神社
香里園駅の西にある鞆呂岐(ともろぎ)神社と同じ「ともろぎ」ですが、漢字が少し違います。しかし、この地に古代からあった皇室の荘園は、「友呂岐」とも「鞆呂岐」とも書くようです。鞆呂岐神社のほうは平地にありますが、友呂岐神社の周辺は小高い丘になっています。
古い鳥居の跡
階段を上がる途中に、かつてあった鳥居のことが記されていました。倒壊の恐れがあったので再建したとあります。かつての鳥居には「寛保三年九月吉日 三井氏子中建立」の文字が刻まれていたようです。
寛保三年は1743年、世は八代将軍徳川吉宗の時代。「三井(みい)」は地元の地名です。
御所水
御所水の由来はよく分かりませんが、この地はかつては御所山と呼ばれ、皇室の別荘が置かれていたということですので、この水もそれに関係しているのでしょうか。
右側は布袋様でしょうかねえ。以前は無かったような気がします。
友呂岐神社の境内
階段のてっぺんには鳥居があって、広いとはいえないものの、手入れが行き届いた境内があります。
拝殿
裏の鳥居
裏側の鳥居です。こちらかた入ってくる参拝者も多いようです。
御祭神
境内に大きな石が置かれ、神社の御祭神の説明が書かれていました。それによると、「応神天皇」「菅原道真公」と並んで「茨田連袗子」と書かれています。
友呂岐神社は、「誉田別尊(ほんだわけのみこと=応神天皇)」を祭神とし、もとは「八幡神社」と称して、この地の氏神とされていたそうです。菅原道真公は、周囲の神社を合祀するときに加わったようです。
それでは、「茨田連袗子(まむたのむらじころもこ(あるいは、ころものこ)」とは?
絶間橋 」のところで「工事を成功させるために人柱を立てることになったと日本書紀に書かれている」と御紹介をしましたが、その人柱の一人が「茨田連袗子」です。ただし日本書紀に描かれている「茨田連袗子」は、トンチを利かせて死なずにすんだことになっています。
太間神社(現在の太間天満宮)が友呂岐神社に合祀されていたとき、「茨田連袗子」が祭神になったようです。現在でも太間天満宮には「茨田連袗子」にまつわる話が伝わっているらしいということです。
それにしても、もう1ヶ所で人柱となった「武蔵の強頸(こわくび)」は泣く泣く水に入っていったといいますから、なんだか割り切れない気持ちが残ります。
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