これから「蹉だ神社」の話をしたいと思いますが、その前に「蹉だ」(さだ)という地名について調べてみました。
「蹉だ」の「だ」は、「足」へんに「它」と書きます。あいにく漢字コードにない(PC依存性があるので使えない)ため、やむを得ず「蹉だ」と書くことにします。
ちなみに「蹉だ」と「足摺り」は同じ意味だそうです。四国・高知県の有名な足摺岬は、別名「蹉だ岬」ともいうそうです。
先日、菅相塚のところで、菅原道真とその娘・苅屋姫の物語をご紹介しましたが、苅屋姫はこのとき「足摺り(あしずり)して歎き悲しんだ」と言われています。
私は、悲嘆して足がもつれてつまずき、前にのめって倒れそうになっている様を思い浮かべました。「足摺り」を辞書で調べると「じだんだを踏むこと」って書いてありますけど、このとおりだと駄々っ子みたいですよね。

「蹉だ神社」の境内に掲げられた説明板によると、菅原道真が大宰府に赴く際に「遥に京の都を望み深く名残りを惜みて西へ旅立たれり 此の休息ありし山を菅相塚と称ふ」となっています。
そして苅屋姫は「御別れを惜まれ御跡を慕ひて此地にならせられしが遂に及ばずして遥に西天を望み蹉だして悲嘆せらる 其旧跡を蹉だ山と名づく」ということです。この説明どおりですと、苅屋姫が「蹉だして悲嘆」したのは「菅相塚」ではなく「蹉だ山」だということになります。
菅相塚は蹉だ神社から南東1キロメートルほどのところにあります。蹉だ神社のほうが淀川に近く、見渡すには都合の良い場所にあるように思えます。しかし菅相塚のほうが高台にあり、実際、建物の間から淀川も見えるそうです。地図を見ると菅相塚の北側には「蹉だ山公園」「淀見公園」「淀見通り」などの地名が見受けられます。
刈屋姫が「蹉だした」正確な場所は分かりませんが、いずれにしても、この周辺は淀川を見渡すのに適した場所だったのでしょう。
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