京阪・光善寺駅の名前の由来となった出口御坊・淵埋山光善寺は、浄土真宗の蓮如上人が61歳のときから3年間住まわれたところです。ここから近畿一円に伝道にでかけたといいます。
光善寺(正面)
光善寺の正面の門の左側に、何やら石碑が立っています。
「蓮如上人御腰掛石霊跡」の案内
左を指さす絵があり、「是ヨリ二丁」と書かれています。ここから南へ2丁(200メートルほど)先に「御腰掛石」なるものがあるということですね、行ってみましょう。
京街道沿い
道なりに南へ行くと、T字路がありました。この左手に何かあるようです。
なんとなく趣きがある道ですね。この道は旧・京街道だそうです。とはいっても、京街道が整備されたのは豊臣秀吉の時代。蓮如上人が生きたのはその100年前です。

「御田地」の石碑
「親鸞聖人 蓮如上人 御田地」と書かれた石碑。御田地って、なんでしょう? ここに出口御坊の田があったのか? これについての説明はなし。
「蓮如上人御腰掛石之碑」
明治四十二年己酉四月、つまり1909年に建てられた記念碑です。これによると、「蓮如上人は越前の国吉崎よりこの地へ移られた。9軒あった在家のうち箕屋の空念(つまり石見入道光善)に道を説いて聞かせるために石に腰かけた、これはその霊跡である」ということだそうです。
荒れてしまっていたので同志を誘ってこの土地を買って整備し、上人の遺徳を千載に伝えたい、と書かれています。
「腰掛石」
蓮如上人が腰掛けたと伝わる石です。
「蓮如上人御遺跡」の碑
石碑は新しいように見えますが、「文明七年乙未歳八月下旬」、つまり1475年と刻まれています。蓮如上人が加賀の国吉崎を出て出口に着いたそのときを指しています。
左側の面には「河内国茨田郡中振郷之内山下庄出口村九軒在家之内 箕屋某」と書かれています。
枚方・出口の地に住んだのはわずか3年ですが、解りやすく仏の道を説き、人々を引きつけた蓮如上人。この石の上でどんな説法をしていたのでしょうね。
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