同じく足立寺史跡公園の一画に、和気神社がありました。
和気神社
石標
「和気清麿公?跡」「足立寺古跡」と書かれた石標がありました。
和気神社
御祭神は和気清麻呂(清麿)。古びた感じはなく、さりとて神秘的な感じでもなく、比較的最近に建てられたもののように見えます。
和気清麻呂は備前の国、現在の岡山県和気町の出身です。和気町にある和気神社は、和気氏の氏神です。
和気清麻呂のことを語るとき、「宇佐八幡宮神託事件」が出てきます。奈良時代の769年、宇佐八幡宮から称徳天皇(孝謙天皇)に対して「道鏡が皇位に就くべし」との託宣(神のお告げ)が出されたというものです。「道鏡事件」とも呼ばれています。
道鏡は、女帝の称徳天皇の寵愛を得て、僧でありながら太政大臣に、そして法王になりました。ついには天皇の位を望むようになったということです。
天皇は、宇佐の神託を確認するために和気清麻呂を遣わしました。そして「我が国は開闢以来、君臣の分定まれり。臣を以って君と為すこと未だあらざるなり」と、道鏡を天皇にしてはならぬという神託を持ち帰り、天皇に言上しました。
結局、和気清麻呂は失脚し、大隈国(鹿児島県)に流罪となります。道鏡を皇位につけたがっていた称徳天皇の怒りをかったからとも言われています。ほんとうに道鏡が皇位を狙っていたのかどうか、いろいろな異説もあり、かならずしもはっきりとはしていないようです。
いずれにせよ、称徳天皇は道鏡を皇位につけることはしませんでした。和気清麻呂は身をもって道鏡の横暴を阻止したわけです。
2年後、称徳天皇の崩御により道鏡は失脚。和気清麻呂は許されて都に戻ったということです。
和気清麻呂が大隈国に流されるとき、道鏡に両足を切られたという逸話があります。しかし八幡宮の力で元通りになったので「足立寺」を建てた、という言い伝えです。ここまでくると、何が事実なのかわからなくなりますね。
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