いよいよ、石清水八幡宮の本宮へとやってきました。
南総門
上の写真の正面に見えているのが「南総門」です。ここから本殿へと進みます。左手に半分ほど見えている赤い建物が「手水舎」です。ここで手を清めます。
同上
南総門横の立て札
貞観元年(859年)、弘法大師の弟子で南都大安寺の僧・行教律師が豊前(大分県)の宇佐神宮(宇佐八幡宮)に参詣したおり、「われ都近く男山の峰に移座し国家を鎮護せん」との神託を受け、御神霊を奉安したのが起源と伝えられています。翌、貞観2年(860年)4月、清和天皇の命により社殿が建立されました。今年で1150年となります。
男山は京都の南西、すなわち都の裏鬼門を守護する社として、朝廷や武将をはじめ、広く信仰を集めていました。ちなみに鬼門(東北)には比叡山延暦寺があります。
とくに清和天皇の嫡流となる源氏一族は八幡大神を氏神としており、源氏の流れをくむ武士が全国各地に八幡宮を勧請(=分霊)しました。
源義家は石清水八幡宮で元服し、自らを「八幡太郎義家」と名乗ったことは有名です。以来、八幡宮は勝負必勝の神・厄除開運の神として崇拝されてきました。
鎌倉の地にある鶴岡八幡宮は、石清水八幡宮から勧請したものだそうです。
ところで、石清水八幡宮のホームページには「遷座」という言葉が使われています。つまり勧請ではなく、八幡大神は宇佐神宮から石清水八幡宮に「移った」ということです。しかし自らを「総本宮」とは言っていません。
一方、宇佐神宮のホームページでは、宇佐神宮が全国の八幡宮の「総本宮」だと明記されています。そして歴史年表には「859年(貞観元年)、僧行教、八幡神を男山に勧請する」とあります。しかし翌年の社殿建立には触れていません。なんだか微妙です。
南総門(内側)
本殿
同上
石清水八幡宮の現在の社殿は、徳川三代将軍家光によって寛永11年(1634)に造営されました。本殿をはじめとする16棟が国の重要文化財に指定されています。
本殿正面
本殿正面の屋根の下を撮ったのが上の写真です。龍や虎でしょう、見事な細工が施されています。
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