京阪の駅名にもある「淀屋橋」。その橋の名前は、江戸時代の豪商「淀屋」にちなんだものであることはよく知られています。
淀屋の初代は「淀屋常安(じょうあん)」。淀屋橋のさらに下流に「常安橋」がありますが、もちろん、初代淀屋の名に由来しています。中之島で米市場を開き、大坂を天下の台所とならしめた、その基礎を築いた人です。
大阪冬の陣では徳川方に肩入れし、陣屋や兵への食料を提供しました。その功績が家康に認められ、八幡に山林田地300石の土地を与えられ、名字帯刀が許されたということです。
代々、淀屋は発展を続け、四代目になると多くの大名に金を貸していたようで、「上方以西の大名で淀屋から借金をしていない者はない」と言われるぐらいでした。その総額は20億両、現在なら120兆円とも言われています。日本の国家予算(一般会計)が85兆円だそうですから、途方もない金額ですね。
ところが、元禄15年(1702年)に五代目を引き継いだ淀屋辰五郎は、宝永2年(1705年)、幕府から闕所(けっしょ)処分を受けてしまいます。いわゆるとり潰しです。
「町人の身分をわきまえず、ぜいたくが目に余る」という理由で、米商の免許を取り消された上、家財等を没収されて、大坂から所払いにされました。ほんとうの理由は大名貸しの借金棒引きだとも言われています。
淀屋辰五郎旧邸の碑
同上
正徳5年(1715年)、初代が徳川家康から拝領した八幡の土地が淀屋に返還されました。日光東照宮の100年祭の恩赦だそうです。
享保元年(1716年)、江戸に潜伏していた辰五郎は八幡に戻り、八幡柴座に住まいを構えたということです。上の写真は八幡柴座に建てられた石碑です。
栄華を極めた淀屋の夢の跡は、この石碑だけでは想像しづらいですね。
梅が咲き出していました 2018年01月21日 コメント(2)
実りの秋(山田池公園にて) 2017年10月01日