ぐうたらたぬき途中下車

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2010年12月06日
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京阪の駅名にもある「淀屋橋」。その橋の名前は、江戸時代の豪商「淀屋」にちなんだものであることはよく知られています。

淀屋の初代は「淀屋常安(じょうあん)」。淀屋橋のさらに下流に「常安橋」がありますが、もちろん、初代淀屋の名に由来しています。中之島で米市場を開き、大坂を天下の台所とならしめた、その基礎を築いた人です。

大阪冬の陣では徳川方に肩入れし、陣屋や兵への食料を提供しました。その功績が家康に認められ、八幡に山林田地300石の土地を与えられ、名字帯刀が許されたということです。

代々、淀屋は発展を続け、四代目になると多くの大名に金を貸していたようで、「上方以西の大名で淀屋から借金をしていない者はない」と言われるぐらいでした。その総額は20億両、現在なら120兆円とも言われています。日本の国家予算(一般会計)が85兆円だそうですから、途方もない金額ですね。

ところが、元禄15年(1702年)に五代目を引き継いだ淀屋辰五郎は、宝永2年(1705年)、幕府から闕所(けっしょ)処分を受けてしまいます。いわゆるとり潰しです。

「町人の身分をわきまえず、ぜいたくが目に余る」という理由で、米商の免許を取り消された上、家財等を没収されて、大坂から所払いにされました。ほんとうの理由は大名貸しの借金棒引きだとも言われています。

京阪八幡市駅周辺 淀屋辰五郎旧邸淀屋辰五郎旧邸の碑

京阪八幡市駅周辺 淀屋辰五郎旧邸同上

正徳5年(1715年)、初代が徳川家康から拝領した八幡の土地が淀屋に返還されました。日光東照宮の100年祭の恩赦だそうです。

享保元年(1716年)、江戸に潜伏していた辰五郎は八幡に戻り、八幡柴座に住まいを構えたということです。上の写真は八幡柴座に建てられた石碑です。

栄華を極めた淀屋の夢の跡は、この石碑だけでは想像しづらいですね。






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最終更新日  2010年12月08日 01時36分04秒 コメント(2) | コメントを書く
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