京阪・淀駅から北東の方向、納所交差点から始まる千本通りに沿って3キロほど歩くと、羽束師(はづかし)橋の東詰にやってきます。
羽束師橋
羽束師橋は、横大路地区と対岸の羽束師地区を結ぶ橋梁で、外環状線と呼ばれる都市計画道路の一部です。平成9年(1997年)4月に開通しました。両側4車線の車道橋と、その下に幅員4メートルの歩道橋との二層構造となっています。
羽束師というと、京都府民の方なら、運転免許試験場を思い浮かべるかもしれませんね。
羽束師橋付近
サイクリングロード
八幡市で見たサイクリングロードは、桂川の堤防沿いにここまで続いています。
魚市場遺跡
羽束師橋のすぐ下流側、サイクリングロード脇に、「魚市場遺跡」の石碑が建っています。
横大路の地は、かつては「草津湊(みなと)」と呼ばれ、京都・大坂間の交通の要衝として栄えました。生鮮魚貝類を商う問屋が軒を並べたといいます。慶応元年(1865年)には、徳川幕府の命により魚市場が設けられ、たいへん賑わったそうです。
しかし、明治に入り鉄道が開通すると、その機能が失われ衰退していきます。
同上
大正8年(1919年)に、かつての魚市場の跡に石碑が建立されました。
そのときの碑は昭和21年(1946年)の地震で倒壊しましたが、昭和60年(1985年)に再建されたということだそうです。
【追記】(2011年6月15日)
往時の横大路の様子が碑文に書かれています。一部分を要約して紹介します。
平安遷都以降、京と大坂の往来が盛んになり、草津湊のある横大路村には多くの品が集まり、たくさんの問屋が軒を連ねて物を売っていました。ことに生魚は、近くは摂津・播磨・和泉、遠くは紀伊・阿波・淡路などから淀川を遡って集まってきました。それらは横大路村から陸路で御所をはじめ洛中洛外、近畿各地にまで運ばれました。
そして慶応元年(1865年)には江戸幕府の命により魚を取引するための市場が開設されたということです。
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