宇治川の橘島に、「宇治川先陣之碑」と刻まれた大きな石碑があります。

これは、平安時代の末期、寿永(じゅえい)3年(1184年)の「宇治川の戦い」にちなんだ碑です。平家物語では「宇治川先陣」として語られています。
前の年の寿永2年(1183年)7月、源義仲(木曽義仲)らに攻められた平家は、幼い安徳天皇を連れ、三種の神器を持って西国に逃れていきます。
義仲軍は上洛を果たしますが、大軍を維持するための食糧が不足し、略奪や狼藉が起こり、都の治安回復は思うにまかせません。また、皇位継承にまで口を差し挟んだりしたため、後白河法皇は義仲を疎んじ、源頼朝を頼るようになります。
寿永2年11月、焦った義仲は、後白河法皇の居所である「法住寺殿」を襲い、後白河法皇や後鳥羽天皇を幽閉してしまいます。
寿永3年(1184年)1月、源頼朝が派遣した源義経の軍は、宇治を攻めます。このとき、先陣争いをしたのが、義経軍の二人の武将、佐々木高綱(ささきたかつな)と梶原景季(かじわらかげすえ)です。
平家物語でも水量の多さに言及していますし、今の暦でいう2月から3月にかけてですから、すごく冷たい川の中に入っていったのでしょうね。
義経軍は宇治川を突破、そのまま京に突入し、後白河法皇の身を確保することに成功します。
義仲は瀬田方面へ逃走、瀬田を攻めていた源範頼(みなもとののりより)の軍によって討ち取られます。
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