
一言寺(いちごんじ)
京都市伏見区醍醐一言寺裏町
京都市営地下鉄東西線・醍醐駅から徒歩17分
醍醐中学校の北西の角、旧奈良街道に面したところに、「阿波内侍 念持仏 一言寺観世音」と書かれた石碑があります。ここが参道の入口です。


東に歩き、中学校の前を過ぎると、階段が見えてきます。階段を上がり、山門で振り返ると、小高い場所であることがわかります。


山門を入った正面に本堂があります。なかなか趣きのあるお寺です。
伝えられるところによると、「阿波内侍(あわのないし)」が出家して「真阿(しんな)」と名乗り、清水寺の観音さんの霊告によって、一言寺を建立したということです。
阿波内侍とは、「建礼門院(けんれいもんいん)」に仕えた女官で、少納言藤原通憲(信西)の娘とされています。
建礼門院は、高倉天皇の中宮・平徳子(たいらのとくこ)、つまり平清盛と時子の娘であり、安徳天皇の母ですね。壇ノ浦の戦いで安徳天皇と時子は入水し、徳子は捕えられて京に送られ、出家して大原の寂光院で余生を過ごします。阿波内侍も寂光院で建礼門院に仕えていました。
その後、寺は次第に衰退していきましたが、明治7年(1874年)に醍醐寺の塔頭である金剛王院(こんごうおういん)が移されて復興されました。通称は一言寺ですが、真言宗醍醐派の別格本山・金剛王院が正式名称です。
本尊の千手観音は阿波内侍の念持仏(拝むために普段から身近に置いておく仏像)だと言われています。本尊に一心に祈れば言下に願いが叶うと言われ、「一言寺」の名がついたのだそうです。
本堂の軒下には、「ただたのめ、佛にうそはなきものぞ、二言といわぬ、一言寺かな」と書かれた額が掛けられています。
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