小枝橋
京都市伏見区中島秋ノ山町
近鉄京都線 竹田駅より西へ徒歩20分
「王政復古の大号令」のあと、徳川将軍家の領地返納が強行採決されたことを不満とする会津藩や桑名藩は、慶応4年(1868年)正月1日に挙兵、大坂から京へ攻め入ろうとしました。これを薩摩・長州の新政府軍が迎えうちます。
薩摩藩が城南宮に大砲を据えて陣を構えていました。竹田街道を北に進んできた桑名軍や幕府大目付・滝川具挙(ともあき)らは小枝橋を渡ろうとし、それを阻止しようとした薩摩軍との間で、正月3日夕刻、ついに戦闘が勃発します。これが、明治2年(1869年)の五稜郭陥落まで続く戊辰戦争の始まりとなりました。
幕府軍の兵力は約2万、新政府軍は約5千と言われており、幕府軍が見劣りするわけではなかったのですが、指揮命令権が混乱したこと、1月4日には幕府軍追討の朝命が出て賊軍とされたことで、次第に劣勢となった幕府軍は、1月6日には大坂に退きます。さらには6日夜、徳川慶喜が側近を連れて大坂から江戸へ退却したことで、戦いの目的を失った各藩は兵を引いていきました。
最近まで、小枝橋は、現在より少し南側に架かっていたのだそうです。かつて小枝橋のたもとだったであろう場所に、「鳥羽伏見戦跡」と書かれた石碑が建てられていました。
そばの案内板によると、2002年3月に撤去された旧・小枝橋は、全幅5.3メートルのコンクリート橋だったそうです。
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