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このところ、お墓ばかりをご紹介しています。もう少し続きますが、ご容赦を。
さて、京阪本線・鳥羽街道駅から東へ700メートルほど、徒歩8分のところに、このような階段があります。階段を上って左に折れると、その先はさらに上り坂になっています。
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途中に、「崇徳(すとく)天皇皇后聖子(きよこ)月輪南陵」と書かれた陵があります。崇徳天皇は平安末期の天皇で、その皇后・聖子は、摂政関白太政大臣・藤原忠通の長女です。
崇徳天皇と聖子との間には子ができなかったそうです。
保元元年(1156年)の保元の乱では、父の藤原忠通と夫の崇徳上皇が敵として戦い、崇徳上皇は敗れて讃岐に流され、聖子は出家しました。
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さらに奥へと歩いていくと、「仲恭天皇九條陵」があります。
仲恭天皇は鎌倉時代の天皇で、順徳天皇の第一皇子です。
承久3年(1221年)の承久の乱(じょうきゅうのらん)で、討幕の兵を挙げて敗れた後鳥羽上皇や順徳上皇などが流罪となります。
わずか4歳で即位した仲恭天皇でしたが、このとき天皇の位を譲り、後堀河天皇が即位しました。仲恭天皇の在位78日間は、歴代天皇の中で最短です。
そもそも仲恭天皇は即位が認められていなかったのですが、明治になって認められ、仲恭天皇と追号されたという経緯があります。
梅が咲き出していました 2018年01月21日 コメント(2)
実りの秋(山田池公園にて) 2017年10月01日