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新日吉(いまひえ)神宮
京都市東山区今熊野北日吉町
京阪本線・七条駅より東へ徒歩13分新を「いま」と読ませる例は、「今熊野(いまくまの)神社」がありましたね。詳しくはこちら → クリック
じゃあ元の「日吉」はというと、比叡山麓の大津市坂本にある「日吉大社(ひよしたいしゃ)」です。山王(さんのう)信仰発祥の神社として知られています。
古くは「日枝」「比叡」と書いて「ひえ」と読んでいましたが、いつしか「日吉」と表記されるようになり、読みも「ひえ」と「ひよし」の両方が使われていたようです。日本各地にある日吉(ひえ、ひよし)神社、日枝神社、山王神社などはここから勧進されて広まっていったそうです。
新日吉神宮に伝わるところによれば、永暦(えいりゃく)元年(1160年)、後白河上皇の命によって、院の御所(法住寺殿)の鎮守社として、現在より南の地に創建されたそうです。(法住寺についてはこちら → クリック )
その後、何度か場所を移し、現在の社地となったのは明治維新後のことです。現在は後白河天皇と山王七神が祀られています。
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新日吉神宮 桜門
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新日吉神宮 拝殿
ところで、豊臣秀吉の幼名は「日吉丸」として知られております。秀吉の母が尾張・清洲の日吉神社に詣でた時に、日輪が懐中に入る夢を見て授けられた子であるとか(日吉丸の名前も含め、後世の創作とも言われています)。
日吉大社の神の使いは猿です。新日吉神宮にも狛犬ならぬ「狛猿」がいます。秀吉が「猿」と呼ばれていたことは有名ですが、どこまでが史実でどこまでが後世の逸話なのか、よく分からなくなってきます。
「豊国大明神」の神号が与えられ、豊国神社に祀られていた豊臣秀吉ですが、徳川幕府によって豊国神社は破壊されます。そのとき、豊臣家の霊はひそかに新日吉神社に移され、守り続けられたそうです。
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