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高瀬川(七条通西木屋町)
かつての高瀬川は、京都の中心部と伏見との間を結ぶ運河として、江戸時代初期の慶長16年(1611年)から大正ごろまでの300年間、重要な物流の役割を担っていました。途中、鴨川を横断していたそうです。
ここを通る船は長さ13メートル,幅2メートルほどの平底の小型船で「高瀬舟」と呼ばれました。この狭い水路を舟が行き来していたんですね。ここは森鴎外の小説「高瀬舟」の舞台でもあります。
しかし、明治時代には鉄道が開通し、次第に水運としての機能を失い、大正9年(1920年)に廃止されました。
昭和10年(1935年)に鴨川で洪水が起こり、その後の改修で鴨川の川底が2メートルほど低くなりました。そのため、高瀬川が鴨川に流入する地点が下流の十条通付近になり、高瀬川の下流側は鴨川からの取水が不可能となり、高瀬川は分断されてしまいました。下流側は「東高瀬川」と呼ばれています。
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