京都市東山区祇園町南側
京阪本線・祇園四条駅より南東へ徒歩約7分保元の乱に敗れて讃岐に流された崇徳上皇は、都に戻ることなく崩御されました。その後、都で異変が相次ぎ、崇徳上皇の祟りと恐れられ、慰霊のためのお堂や宮が建てられました。
この「崇徳天皇御廟」の起源は、保元の乱の戦場となった場所(神宮丸太町駅の東付近)に建てられた粟田宮という神社だとか、寵愛を受けた阿波内侍(あわのないし)が自宅に建立したものだといった説があります。いくつか資料を当たりましたが、よくわかりませんでした。
現在の御廟は、明応6年(1497年)に後土御門(ごつちみかど)天皇の命により建てられたものだそうです。その後、紆余曲折があったのですが、現在は安井金比羅宮が管理しているようです。
崇徳天皇の怨霊にまつわる話は、「保元物語」のほか「平家物語」や「太平記」にも登場します。おそらく本当に恐れられていたのでしょうね。
立命館学園発祥之地 2018年08月14日
京都府八幡市 背割堤の桜 2018年04月01日 コメント(2)
旧京都中央電話局上分局と女紅場址の碑 2018年03月18日 コメント(2)