全1512件 (1512件中 1-50件目)
一日は24時間一年は365日365日が何時間なのかの計算はやりたくないのでやめておくけどその 波乱万丈の時間はその 大切な時間は見えるところでも 見えないところでも自分のことだけじゃなく大切なともだちの ひとり ひとり にも流れているわけで・・・毎日連絡をとれるわけじゃないのだけれども時には数ヶ月あるいは数年のインターバルがあってもふと元気でいる事を知れるのがどれほどうれしか・・ブログ開設するまで知らなかった事たくさんあるなぁ・・・いろんなことがありました今日一日の数時間だけでもここ数日の間にも悩んでいた事が意外な方向から答えが見えてまた別の方向からも背中を押される形で覚悟が決まりました。ただ長い長い間、リンクさせていただいている方々との繋がりを消去するのはあまりに忍びなく・・・本館を残した状態で鍵つき別館を持たせていただくことになりそうです。鍵はリンクさせていただいている皆さんにお渡しする形になるので皆さんには鍵を開けていただくお手間をかけてしまうのですが・・・ただ、みくしぃのように「会員」に「入会」しないと・・・のスタイルはとらず皆さんは何かに登録する必要は一切なく単に もし別館にお越しいただく場合の鍵のみお渡しする形にしたいと思います。まだ、やっと計画が一歩前進したかな? くらいの段階ですが・・・実は 本社からのアクセスが(爆笑)あ?笑えないか?私 系列会社のヒト程 かなり個人特定できちゃわれるですからね~!(↑ ニホンゴを勉強しましょう)そんなわけで鍵をかけたりしたら ますます・・・ぬぅでぃな(これ以上か?) 日記になっちゃうかも知れませんが気をつけよう長い日記とSkyさんはい失礼いたしました更新履歴です************************12月12日 らいおん亭だったようです。こおりこんぺいとう。 12月20日 らいおん亭でした。************************別館、あるいは新居についてはリンクさせていただいている方々にはメールで具体的に決定次第 ご報告をさせていただきます。いつも本当にありがとうございます。
2009/12/25
コメント(4)
この日はまだ今日に近いので比較的よく覚えております。渋谷で行方不明になっていた らいおんさんの分身君は無事にお家へ帰れたご様子で初めてお部屋を見せていただいたところやっぱり・・・畳敷きの和室に おこたに座布団されど しっかり勉強机は極めて品質の良さそうなスタンド式の蛍光灯?に照らされて・・・ちょこりんと座布団に座る姿はご本人にそっくり・・いつぞやの日記に「渋谷は似合わない」 「絶対に目立つ」 と書いたことが大げさじゃないのが今日みなさまにもおわかりいただけることでしょう・・・らいおんさんは我の目の前でお手本としていくつかの観光スポットに分身君を瞬間移動の旅に出させてくださり当然ながら 若者達が集まるような渋谷以外の地にも足を運んでくださったわけですが・・・渋谷で分身君が迷子になった時には我はリアルタイムではその図を全く目撃していないので 全くの妄想(想像)しかできませんでしたが我の想像力も まんざらでもないじゃないの???と思う事が沢山・・・他の分身君たちはやはり最新の若者ファッション?というのでしょうか?男の子でも茶髪のモサモサ系(キム宅氏のような)とか服もカラフルだし女の子たちはアタマにウサギの ほっかむりとかしてたりピンク ピンク ピンクのホワホワ~みたいなのや怖そうな美人もいましたがそれぞれに 背景に溶け込んでおられましたしかしらいおんさんの分身君は・・・これだものとりあえず渋谷にいたら目立つでしょう???渋谷で何してたんだろう???やっぱり本屋に行ったのかな????どこに行った時かはわかりませんが台湾人の方との出会いもあったそうでらいおんさんは中国語ができるので(前の職場で退職するまでの1年ちょい、ずっと中国人だと思われていたそうです)お話をなさったそうですが分身君が海外の方と出会えるっていうのもすごいですよねブログの世界もワールドワイドというか・・・エジプトの遺跡の中を案内してくださったのにも驚きましたがなんだか以前に見せていただいた何かのゲームに似ているなぁと思いましたらいおんさんはゲーム世代の若者?・・若者・・若・・年寄り?えっと青年であられるのでこういうのの扱いがマニュアルなしで さっさかさっさか・・・早い早い早い・・・遺跡(ピラミッドみたいな?)の中をこの分身君のお姿で走られるシーンはなんとも・・・はいていうか我はダメだなと直感しましたたとえアニメーションとわかっていても自分の体が洞窟の中に入り込んでいくのは無理だなと・・あと使い方わからないので無理だなと思いましたやふぅ の 「あばた」 は作ったことがあるんですがあれみたいに着替えとかもできるようで(だから それぞれに ふぁっしょなぼぉ~ なのでしょう)らいおんさんも らいおんさんなりの わぁどろぉぶ?クローゼットの中を見せていただくと あれ?何が入ってたか忘れましたが それなりに色々ありました忘れてしまうほど驚いたのには事情がありまして・・・らいおんさんは着替えをする時に(等身大のご本人が)決してヒトに裸体をさらすことはなくきちんとカーテンを引かれます我は着替える時は思いついた時にバサッと時に プロレスラーがローブを脱ぎ捨てるように投げるのですがらいおんさんは我が着替えようとすると慌ててベランダやらなにやらのカーテンを引きに走って行かれますそのらいおんさんが・・・分身君の着替えをする時に最初は 上着だけ とか ズボンだけとか取り替えていたのがいきなり驚いたんですが 『全部脱ぐ』 というボタンがあるんですねそれをクリックなさったもんだから我はもう・・・はぁ????いいんですか????みたいな・・・驚く我をよそにらいおんさんは 赤や黒の 「おぱんつ」(トランクス)を着替えなさっておられました「赤は俺 似合わないね」そりゃそうだろう・・「これ(赤)は兄貴用だな」たしかに・・・実はらいおんさんが こんなのを見せてくださったのは単に遊んでおられるのではなく我の引越し先を探してくださってるからで・・・実際にご自身で新居を開設してみて利便性、特徴などを一覧表にして教えて下さった上にご自身の感想を教えてくださっていたのでしたそんなわけでどうやら年明け頃には新居で、あるいは別館という形で続けられるかも知れませんあ、らいおん亭でした食べてます。が・・・やはり作った記憶はない・・・(沈)今月前半は我武者羅大会だったので(いつもか?)仕事帰りそのまま駆け込みとか・・あ、言訳だとにかくお世話になりっぱなしの暴れん坊猛獣でした(いつもか?)ああああああああああああああああああああ俺 忠猛獣にはなれないのかなぁ
2009/12/20
コメント(3)
昨日(19日)のことですが・・・我がシマ頭蓋骨にヒビ入りそうなほど寒かったです。記憶にある限りの大雪の年が6年前なのでそろそろまた 当たり年が来てしまうのかな・・・耳がキーンとする程度なら毎年ありますが頭蓋骨がイタイのは ビビリましたヤバイです。更新履歴****************ヒトとして 其の壱ヒトとして 其の弐ニンゲンとして (別のイミでね)
2009/12/19
コメント(0)
凄まじい一週間だったアラフォーになり 40へのカウントダウンもクリスマス並みに近づく中本当に完全なる徹夜はできなくなってきたたぶんその方が 大きく身体を壊さないためのブレーキとしては悪い事でもないのかも知れない無理が効いてしまう若いときの方が倒れる時には 大きな危険があったりするからさておき週の半分は夜も自分のブースで過ごしたろうかこの日の朝今週最後の 2コマがあるというのにやっと火曜の2コマと水曜のほこぉの処理が終わりジュクの方の6コマの処理も終えこの当日のジュギョウの用意まではできているとはいえとにかく体調が悪い胃だったマダムとの反省会は平和カイギに終わりストレスの一番大きいのは消えたはずなのに仕事のラッシュは変わらないからだろうかさすがに自分の体力が本当に来週までもつのか心配になったマズイなぁ・・胃痙攣になれば 吐くし 歩けない眩暈も同じであるどっちもマズイんだがどっちかは わからないけどもどっちの前兆でもありうる胃の具合の悪さだった私はとても頑張ってる大変なヒト・・・悲劇のヒロイン気分に浸りつつ前日から溜まっていたゴミ箱を処理しに行くと内袋に 1つ前夜に飲んだインスタントの あさり味噌汁 の袋の残骸だけがくっついて残ったのを手で摘んで捨てようとした瞬間・・・2009.03それは・・・紛れもなく賞味期限・・・今年って・・・何年?とりあえず まだ 2010年ではない(寝起きアタマだから 血の巡りが悪いのである)今はまだ 2009年でも・・・3月は半年前だよね・・・・今年も暑い夏だった 我がシマその夏を・・・生き抜いた???半年前が命日の あさり味噌汁である胃の具合悪いとか過労とか 睡眠不足とかの問題じゃなくて・・・半年前の あさり食って生きててスゴイって話だろ???どうやら私の胃は 強くなったのかも知れないニンゲンなんだから賞味期限はきちんと見よう追記:まだ生きてます嘔吐も下痢もせずに・・・・はぃ。
2009/12/18
コメント(2)
彼らが貴重な時間と労力を裂いてくれたことに報いる方法がないのだとつくづく思った
2009/12/17
コメント(0)
この日は ほこぉ だった
2009/12/16
コメント(0)
深夜の仕事帰り 部屋に帰りつくのを待ちきれず 自転車を身体で支えたまま食べた柚子饅頭の 一番食べたかった緑の葉の部分(寒天)を 道に落としてしまったと思ってたら コートのベルトに挟まってたようで 部屋についてコートを脱いだ瞬間に見つけて 拾って喰った うれしくなった 今日一日を象徴するかのような 柚子の葉だった 自分でも大いにわかってたつもりだったけど わかってたつもりだったよりももっとやはり 寂しいんだなと気付いたことは その寂しさよりもっと大きくて優しい気持ちに 長い間支えていただいていたことにも気付かせていただいた 亡くすものは亡くしても その記憶はこんなにも温かく 消えないんだなと 久々に本気で胃潰瘍復活ヤバイくらい緊張していたこともあった 苛立ちのストレスならここ数年たまにあったけど 純粋に自分より圧倒的に強い相手に対する緊張は久しぶりだった チカラの問題じゃないとわかっていても なんだ、自分は立派に縮み上がってるじゃないかと自覚していた 今日昼が先週の参観の反省会だった 私の縮み上がりの原因の伯母様は… なんと、なにが起こったのか ある意味「理解者」に豹変してくださっていた ( ̄∀ ̄) あんだけド却下されまくりだったのに… むしろ一番の味方になってくださりそうな感じで腰を抜かしそうになった 深夜の仕事帰り 猟に寄るスーパーで イチゴが1パック 488円が続いていたのが 今日は388円になっていた あと100円下がるように売場で祈祷していたら らいおんさんに 「祈ってもそれは無理」 と言われた 「指突っ込んだら安くなるか?」 と聞いたら 「それは犯罪」 と諭された 知ってるよ あと百円安くなったら猟るんだ 今日は風呂に入る (二日ぶり) 月曜からずっと同じ服を着ている よく考えると金曜から同じ服だった気もする… 今日は布団は敷かないけど (安眠すると寝坊が怖い) 部屋で寝る 寒いけど 星がキレイで 去年とかも冬はこんな空だったな 寒いので 無理なんだけど こんな空の下 星が動くのを見ながら眠ってみたい 墓に入る時かなぁ? らいおんさんが閑静な住宅街に 私の新居を探しに歩いて下さっています 探している途中でらいおんさんの分身が渋谷で迷子になったまま ログインできなくなったそうで… 私はその分身さんを見て… あまりにそっくりでツボでした あんなの渋谷にいたら目立ちすぎです 名札なくてもわかる… 実生活では決して参上しない渋谷に よりによって何故 参じてしまったのか? 無事に保護できるといいんですが… 年末のご挨拶までは 時々近況をご報告させていただきたいと思っております
2009/12/15
コメント(0)
というタイトルにしておこう(本当は咄嗟に思い浮かんだイメージは違ったんだけども)素っ裸に氷を着るのは寒かろうにこの ちいさな身体でそれに耐えうるというのはすごいことだよな・・・
2009/12/13
コメント(0)
まちがいないでしょう。写真があるので。ああ・・・もっかい食いたい・・・びみしかった記憶は甦りますしかし作った記憶がありません・・・ピーマンの一切れすら斬った記憶がありません肉?解凍すらしてないでしょうサバ?はぁ どうしたらこんなになるのかわかりませんつまり我は何んにもしておりませんな・・・(撃沈)一応 自分があんましお役に立ってないことは反省してますでももっかい食いたい・・・んだが ぢぶんで できない特にサバが・・・サバ?Ca va? (↑おふらんす語で「お元気ぃ?」かなんか)あ、また反省を忘れかけている申し訳ございません・・・
2009/12/12
コメント(0)
今年も雨だった寒い一日でもあった静かに いろんなことを孕みながら12月11日が終った12月11日あれから 6年まだまだ全然なにもできてなどいないのに立場だけはもうあの時とは違う違う自分になることが成長とは違うけども変革していかなくては成長はないことも確か今のままのありのままでいていいわけではない
2009/12/11
コメント(0)
明日は 先月延期になってしまっていた 参観あ、声はまだ出ないです先週からの風邪がきっかけの炎症はついに声帯に届いてしまい空気が喉から、声帯を震わさないまま漏れてしまうようになりました昨日から薬が変わったのが、効いてくれるといいんですがね・・・全部ひっくるめて12月10日が終ろうとしておりいろんな意味で “潮時” の12月11日にもうすぐなります。すべての節目たぶんそうなんだと思います怒涛の更新履歴いろいろ事情ありまして・・・考えながらの試行錯誤しばらく更新しないと思うので失礼いたします二つはほとんど写真だけ一つは半分は写真といった感じですいつも まとめてで申し訳ない・・・*****************2009/11/28けっきょくのところ2009/11/29 一年ぶり近いだろうか 2009/11/2911月29日 らいおん亭だったみたい 2009/12/03ふゆのあめ あめのあさ 2009/12/0612月6日 バンビさんとデート 2009/12/08狙ったわけじゃなかったんだが
2009/12/10
コメント(2)
らいおんさんのご生誕記念日に会えるかな次回上手に手伝ってあげられなくてごめんなさい
2009/12/08
コメント(0)
喉の調子は最悪・・というか本当に激化する直前だったけど数年ぶりに帰国中の旧友バンビさんとデートに出かけた今回は初めてらいおんさんも一緒に・・・バンビさんとの出会いは高校入学時互いの苗字が50音順で隣り合わせていたので、座席が近かったのが出会いのきっかけ以後 高校を卒業しお互いにダイガクに進学し(私は一回目の)私は中退し、彼女は卒業し、それぞれに就職し、転職し、彼女はその転職をきっかけにカナダに渡ったのが・・・たぶんもう10年くらい前もちろんカナダに渡る前から、お互い高校を卒業してからは会うのはせいぜい年に一回あるかないかでメールだの携帯だのなんてなかった昭和時代お互いマメに手紙を書くタイプでもないし特に私は筆不精で(苦笑)ご無沙汰を繰り返したものだったけれどそのインターバルの開き具合はちょうどカナダに渡っても結局変わらずでそれが普通のリズムで私たちの友情はもう15歳から始まって23年を迎える彼女は現地で結婚をしたお互いいろんなことがあったけど23年続いている友情らいおんさんはおったまげておられたな・・・初めての3者面談?(笑)彼女の実家と我々の村の間をとるとちょうど大都会がある私も都会の多くを知らないし彼女も日本を離れて長いのでわかりやすい場所という意味でも大都会のその駅はちょうど良かった思えばここで最初に三者面談を行った相手は月麦さんだったそれから女優さん女優さんとは偶然にもちょうど2-3日前本当に久しぶりのメールをいただいて近況を知る事ができた月麦さんとはずっと連絡をとれていないほとんど彼女への手紙のつもりで書き始めたこのブログが皮肉にも逆のきっかけとなって連絡をとれなくなった2年前のあれも12月だったな・・・さておき今年も12月が来ていてというか真っ盛りやね喉のせいでいつもの調子のマシンガントークは無理だったけどいろいろ話をしつつあっという間の夕方最後の別れ際にクリスマスのイルミネーションの中を一緒に歩いたまカナダの方がよっぽど“本場”と思うけどね(苦笑)
2009/12/06
コメント(0)
仕事で徹夜明けの帰り道でおはようホントは12月5日の朝だね、これ、たしか・・・
2009/12/03
コメント(1)
全身の痛みは筋肉痛じゃなかった? ようだ 病院に名前を聞きに行く 一昨日1暮らす 昨日から2暮らす急行になってるから 多分おすそ分けいただいたんだろう 独り作業なら手洗いウガイもできるが 葡萄の実のようにハムスターが至るところにぶら下がっていれば 防ぎようもない 髪と一緒で マスクだって彼らのおもちゃだもにょ
2009/12/02
コメント(0)
肩ぁ~凝る てか痛くねぇとこがねぇぞぃ? ありゃぁ~あらふぉ~のやる仕事ぢゃない …んだと思ひたし まぢ死む… キホン労力は惜しまないタイプのつもりだが まぢ死むて… 携帯打つのにチチ筋イタイんだもの くをぉぉどもぉぉ~! 明日は我の肩を揉めぇ~ どぅをりゃぁぁぁぁ~
2009/12/01
コメント(0)
ハムスターの群れだった 膝につかまり よじ登り始めたと思ったら 某がジャージのズボンのズリ下がりを気にする間もなく 既に肩の上にいて 上半身は我が背中側から 既に折れて下降に向けての活動を始めている 高温多湿な肉体 至近距離で見ると 赤と青のどっちかわかるくらい血管が透けて見える薄い表皮 どう見てもひ弱そうな身体に宿る あの強靭な生命力 なんとゴーイング・マイ・ウェイであることよ (何に登っているかわかっているのだろうか) なぜあのように低い鼻から あれほど立派なツララが下がるのか そして なかなか鼻をかましてくれないのに 某の服では鼻を拭う その 色彩の多様さよ… 赤褐色は朝に鼻血を出したからだ 白濁色(グリッター配合) 黄土色も認めよう しかし 緑色はどのように彼等の鼻孔で生成されるのだろうか 己にも生えておろうとツッコミたくなるほどに 何故某のタテガミがそんなに珍しいのか (白髪はちゃんと染めてあるよ) まことにもって不思議な生命体である 観察の対象としては興味深いが、 興味があるわけではないので研究しようとは思わない 彼等はまだ日本語を操らないのでコミュニケーションはなりたたないが 金曜まで 日頃受けられない修業が毎日待っていることはまちがいないようである どうせ肩に乗るなら 揉んでくれといいたいが…
2009/11/30
コメント(0)
お世話になった事を忘れるなっての・・・すくぅりんぐはツウキョウの皆さんと平等に最後のテストまで受けてぐったり帰ってきたんだったと思うらいおん亭につく頃にはもうほとんど準備してくださってたよね・・・写真がなかったら忘れるところ(ほんとうにヤバイですフチ恩は・・・)あと、関係ないけどらいおん亭で気になったもの豆缶。たぶんらいおん王国から父らいおん様と母らいおん様が送ってくださったものなんだけど・・・
2009/11/29
コメント(1)
Dr. Dionysusの めりけんブンガクのコウギ、しかもダイガク生向けのものを受講させていただいたしあわせだった来させていただけてよかったDr. Dionysusの 担当は午前のみだったけれどそれでも色々なことがあったコウギ内容としては あの懐かしい(そして縁遠くも感じていた)ほぉそんの「ひ文字」だったけれど、やはり教えてくださる先生が先生だとこうも違うのかと思った実は原作を自分で読んだことがあるが 長編を読了した達成感(終ったという歓喜)以外には何も残らなかった作品だった午後は別のセンセイのコウギだったけどもそれは省略させていただくニンゲンが集まるんだから問題はいろいろあるあるけど絶対にそうだ、ここで私は育てていただいたのだから絶対に ここを ここらしく良いものは良い 悪いものは悪いと簡単に決定するのは難しいけれど絶対にひとつひとつのことをないがしろにしないんだとそれを思った自分が思う事が正しいとは限らないそのことは常に忘れてはいけないだけど何が正しいのかな? これでいいのかな?諦めずに問い続ける事も絶対に忘れまいと思った
2009/11/29
コメント(0)
この夜ブログで気持ちを整理したつもりだったがすぐに解決はできないのはわかっていたけどもフン詰まり深夜日付も29日に変わった頃らいおんさんに電話をして大泣きをしたブログに書けること 書けない事あたりまえだけどさすがの私にもある・・そのうえ書くのは平気で書くくせに 本人に 「言う」 のはものすごく難しいのだとだけどそれが私の責任なのだとそれができないと私はこのお仕事をさせていただく意味がないのだとここで体当たりで訓練を受けきっていく以外に私自身の成長の方法も、恩返しの方法もまたいかばかりかでもガクセイさんに誠意を尽くせる方法もないのだと痛感した「ほんとうのこと」 を 「ただしくつたえる」 ことほどそんな あたりまえのことが一番 難しくそして一番 責任があるんだ解決はできなかったし正しく、伝えられたかどうかはわからないがらいおんさんがいてくださったことで「正直に想いを言う」それだけは練習させていただけたあとは言い方の勉強が必要だった上から目線ではいたくない という思いでは私はガクセイさんと対等かむしろ下から尽くしたいくらいの気持ちでいるけどもジュギョウの運営に対する責任という意味ではどう考えても私が それについての意思表示を主体的にする以外に責任の果たしようがないが当然ながら“権威的”(には私は精神的にはなりえないけども、立場を悪用するようになれば危ない)になってはいけないしもっと危ないのは “感情的” になることだこれは “権威主義”に走る危険性よりも 私の場合には危ない常に “感情的” なところがあるから。それが 情愛であれ、怒りであれ、思いやりであれ絶対に感情を押し付けるのはいけないそれとはっきりわかっていたのは「正しい答え」 というのを私自身がわかっていないということ探している最中だという事これを隠すことはできないし知りたいし、教えてもらいたいたぶん一つの答えはないような気もする「みなさんが思う、みなさんが信じているSキョウイク」というのは いろんな形があるはずだしそれを聞きたいそしてお互いに無意識に失敗をすることはあっても気付いた時には 支えあえる、相談できる関係でありたいそれをどういうふうに話したらいいのかが課題だったそれを探したくて殆ど眠れなかった夜だったけど朝イチから 尊敬するDr. Dionysusの ツウキョウすくぅりんぐのジュギョウをチョウコウさせていただきに行った
2009/11/28
コメント(0)
今の私のアタマであんまり正確な記憶と理解とは言えないかも知れないが昔 M父に言われた事の一つを思い出したマは紛然として・・・というのは 「紛らわしい」という意味の言葉で必ず 善い事と悪い事と一緒くたになって紛れてくるので難しいんだと善いと思ったことにすら悪が潜んでおりうっかりすると喰い破られる一番怖いのは他者よりも自分の中の油断と傲慢悪だと思って退けようとしている事の中にも本当は非常に大切な事があったりもするたぶん今この一週間と言いつつそのまま1ヶ月ぶっ続けだろうけども・・の忙しさが正直怖いあとはやるだけ気をつけながら(汗)
2009/11/28
コメント(0)
良いこともあれば悪い事もあるどっちもあることで気が緩まないようにまた図に乗ったりすることのないようになっているんだろう好きなことしかしてなくてうまくしかいってなかったら好まない環境の中でも家族や誰かのために必死に身を粉にして働いている 闘っている方々の人生と比べたら不公平だし理不尽になってしまうというか私がまだまだ甘っちょろいので訓練を受けさせていただいているということだろうここ2日か3日かな?更新させていただいた履歴を整理させていただきます****************今更ですが10月18日のこと らいおん亭でした 今更ですが10月24日 白鳥講座今期最終回でした 本当は11月16日の撮影らしい 11月25日 日常**************以上でした。今回は写真が主のような?そんな おっそろ長くないので(苦笑)失礼いたしました。
2009/11/27
コメント(0)
日常かぁ・・・うん日常だなぁこんなことが日常な日が来るなんて思ってなかったけども日常になった大切にしたいあっぱれ
2009/11/25
コメント(0)
我らのシマの秋らいおん亭からの帰り道のはずそれ以外はこの方向からこの道は通らないから・・・ダイガク時代の後半3年間 通学に通った道でもあったどこを向いても絵になる道春も夏も秋も冬も・・・・今の住所よりは ガッコウに遠いのだけれど大好きな景色だから・・・・ここ毎日 通れるならまたあの村に暮らしてもいいなと思ってしまうエアコンなく(苦笑)下水道届いてない(爆笑)だけど夏には部屋に蛍が来るあの村黄色 あまり好きじゃないんだけど銀杏の黄色は好きクンジュンハンチャさんのブログでいろんな色の紹介の本を教えていただいた銀杏の黄色はなんていうのかな
2009/11/21
コメント(5)
もともと ↑ について書きたい事は決まっていたのだけれど今日 突然 偶然にも新たな不思議な事件??が いっぺんに2つ追加された。昨日の更新分とまとめて履歴整理をさせていただきます**********************今更だけどおまつりのひのこと おまつりの日のつづき おまつり二日目おまつりエピローグ経過 1経過 2経過 3 経過 4経過 5************とんでもなくて すみません・・・でもまたしばらく更新しませんので・・・どうぞお許しください・・・明日から一泊実家に行ってきます。
2009/11/20
コメント(4)
大きな変化のきっかけは お祭りそのものの他にその直後のコーヤク実現にあったかも知れない
2009/11/19
コメント(0)
本当に感謝している
2009/11/18
コメント(0)
たぶん無理
2009/11/17
コメント(0)
倒れてなくてほっとした・・・
2009/11/16
コメント(0)
本当はいろいろあるに違いない
2009/11/15
コメント(0)
朝顔に似た形で背丈の低い位置に咲く白い花の群れの中に一厘だけ青い花が奥まったところで咲いていたので綺麗だと思って花の茎を手前に寄せてパナぽちで撮影しようとしたら光に当たる位置まで引き出した途端に青が薄くなり 他の花と同じように白くなってしまったびっくりしたのと残念なのとで手を離したら 花は元の位置にひっこんだけどその代わり花の群れ全体が寄り集まってヒトの顔と同じ表情の凹凸を作り出した(映画「ハムナプトラ」の砂漠の砂がヒトの顔の形になるのと同じ感じ)顔の表情は絶えず変化に富んでいて 表情豊かだった全体としては微笑んでいた白い花の寄せ集めでできた笑顔咄嗟に「お水欲しい?」と聞いたら 虹色に輝きながら微笑んでいたその虹色も、微笑みの表情も絶えず微妙に変化していた水をあげたやはり 花は笑うこれって・・・花が嫌だと思う状況になった場合はやっぱり そういう顔になるんだろうか???若干 先行きを心配にも思いつつそれにしても初めて見る 白い花が浮かべるヒトと同じ表情の笑顔留まることなく動き続ける虹色の変化あまりの不思議さと美しさに心奪われていた↑ きのうのゆめなんでそんなゆめ見たんかな・・・綺麗だったからうれしいけどね・・・もしも本当に花と話せたらどうなんだろう????下手には斬れないし、お水や肥料の要求を無視するのも難しそうだな(苦笑)ときどき実は思ってしまうどこか特別な番号に電話したら母と繋がるような気がしてもし母と今でも話せたら どうなんだろう???ほとんど食べ物の注文のような気がするが(汗)それでもおもしろいかな私の方は報告したい事がいろいろある気がするAチームのみんなねぇベンキョウとても頑張ってくれているすごく頑張ってるよ・・・だから私も一緒に頑張るんだあ、今日は きのうのゆめ に ちなみましてしょうらいのゆめ も更新しました m(_ _)m
2009/11/12
コメント(2)
行きたいなぁどうやったら行けるのか知らないけど着いていけば 着くだろう行ってみたいなぁ会ってみたいなぁくたびれ気味の日食べるつもりで買ったのに賞味期限ギリギリまで眺めていてしまった
2009/11/05
コメント(0)
雲みたいだね
2009/11/05
コメント(2)
私を 励まし、応援し、祈りを送ってくださっていた白鳥さん達だった
2009/10/24
コメント(0)
喉が熱い徹底して手洗いウガイしてるから予防不足の後悔はないけどもやはりひくときは(風邪)ひくのか・・・喉だけなので いんふるとかではなさそういずれにせよ注意だ弱ってるところがあると いろんなオマケがついてくる可能性もあるからね・・・前回の週末 実は3回目のエイケン1球をまたジュケンしてきた平日いっぱいいっぱいの予定が入っているので週末に変則的な予定が入るとホント 正直キツイんだけど私にとってエイゴの資格は責任なわけであって・・・とはいいつつあのA判定の壁にまたも玉砕した模様エイケン協会には随分 “寄付”しちゃったよなぁ・・・なんて思ってたら寄付しただけのご褒美か実験猛獣オーディションのハガキをいただいてしまった(笑)なんでも 今後のシケン改善のためのケンキュウに使うんだそうで(猛獣の脳ミソを?)12月に無料でもう一度 シケンを受けさしてもらえることになりそうだ。もちろん正規シケンの1月のジュケンに向けてのウォームアップにもなるしね。しっかりしなくては・・・あ、本題を忘れるとこでした更新履歴昨日につづき(昨日のは ほとんど自己満)**********9月17日 当選 ???? 札幌からの愛9月19-20 出張らいおん亭のお品書き札幌から実家へおシゴト3週間目くらいからの変化の様子ととさんのおかげです9月30日 たぶん今年一番・・・恥ずかしかった事
2009/10/23
コメント(2)
若干喉が痛いの一進一退してますが半ば 意地 のウガイと手洗いでなんとかやりすごしております。週に2-3泊はホテルthe自習棟ですが慣れてくれば? いや、まだ慣れてないんですがとにかく倒れそうな感じはギリギリしないところでやってます。父のこともあるので私が倒れるわけにはいきません。ちょっと更新させていただきました載せたい写真は膨大にありますが(特にダイガクのお祭り)いつになるやら・・・今回は 文章ばっかです節目のホント大きな節目の9月でしたあっという間に10月も終りそうですこの勢いだと次の10年もあっという間なんだろうな・・・48歳になっちゃうなっちゃうんでしょうよ38歳にもなったからね・・・命を、時間を、チャンスをありがとうございます無駄にしないように・・・***************今更だけど忘れていた更新 9月3日の事今更だけど 9月の初旬のある日のこと 「10年」9月13日***************以上です。異常です?
2009/10/22
コメント(0)
写真は助かります日付がわかるからう~ん写真に残ってないことは・・・その覚えてない(汗)たったの1ヶ月前のこと覚えてないので久々に懐かしいお笑い系写真を・・・ なんだかんだでこんなふういつもお世話になっておりますあ、そうそう画像をお借りしたサイトが消えてしまっており・・・リンクの作りようがありませんでした・・・なんで削除されちゃったのだろう・・・とても楽しいサイトだったのになぁ・・
2009/10/18
コメント(2)
前回の更新では、とんでもない機関銃をぶっぱなしまくりまして大変失礼いたしました。その中で、あたたかなコメントをいただき、ありがとうございました。本来はあの翌日、翌々日あたりも少しずつ更新するつもりでいたのですがなんとあの翌日 父が実家で体調、心の調子ともに崩してしまい急遽 実家へ向かいましたたまたま休校だったので 朝受けた電話の後すぐ動けてその点では不幸中の幸いでした父の病状は 私と同じ体質の 内耳障害による頭位側位性眩暈症原因も私と同じで 過労やストレスと睡眠不足の慢性的セットです生き死にに関わる病気ではないのですが根本治療の方法はないので(手術や治療で完治するとかではない)まぁ一生のつきあいなだけに 日頃の注意が必要ですしかしたまたま風邪気味と疲れから体調を崩し、外で人と接するより家で休んでいたところ病気のせいもあって気持ちがダウン気味になり寂しさから夜遅くまでテレビをつけっぱなしで座ったまま転寝・・・翌日も体調悪し・・・の悪循環を繰り返し とうとう眩暈当然ながら 食事は摂れず、乗り物に乗って病院に行くだの無理で(私の時を思い出せばよくわかるんですが痙攣するほど吐くので)それでも私に迷惑をかけまいと(私が休講なのを知らなかったので)3-4日ほど頑張っていたようですがこの日に電話があり・・・「ガッコウ休みなんだから、今から行けるよ」と言うと「おまyeに迷惑をかける」と言った後来なくていいとも 来てくれとも言わないままひたすら電話口で泣いているのがわかったおかゆなど用意しこれからのことを考えた結論は簡単には出せないけれど父は 今の地域での連帯や信頼が大好きで地元を離れたくないと思っている「身体さえ元気なら 父ちゃんのことを待っててくれてる人がいっぱいいるんだ父ちゃんには ここでできることがいっぱいあるんだ人の輪の中にいたい 人の役に立ちたい」と言うけれど「夜になって部屋に帰ってくると 一人で寂しいかあちゃんがいた頃は オムツを変えるんだって何だって楽しくて自然にクチから歌が出た本当に充実していた父ちゃんは 母ちゃんに出会えてよかった 幸せだった」と言って肩を震わせて泣いていた昔から泣き虫だったけど母の癌がわかった時だって一日中、何日も泣いていたしお葬式の前後も泣いてはいたけれどこんなにもこんなふうに泣く父は見たことがなかったキョウインをしているやっと確かにキョウインにはなったしそれは父と母の夢でもあった親孝行親の犠牲の上に成り立っているのかも知れない私の生活カモシレナイじゃなくて確実にそうであるもう何年もの間・・・・親孝行*ダイガクのお祭りは大盛況だったけどリハーサルの大音響が聞こえてくる間も切ない気持ちは晴れなかったしかしやはりまた父から電話あり「今から飛んででもダイガクに行きたい」聞けば新聞に掲載されていた 父の国の舞踊クラブの写真を見たようだ「母ちゃんは ダイガクが大好きだった毎年 お祭りに行くのを楽しみにしていたそれを 父ちゃんは 今年は忘れていたなんて・・・今からでも飛んで行きたい」眩暈の峠も越えたようで 一日様子を見て大丈夫そうならなんとしても来たいと言っていたけれど結果的には大事をとって実家界隈での散歩に留める事に・・・「来年は1ヶ月前くらいから しっかりお祭りを中心に予定を立てて絶対に行きたい今年は おまyeが しっかり見てきて」と言われた実は 私自身 休講でゆっくりのはずが予定外の実家往復が入りお祭りとは言え 約束した学生さんとの約束は全て果たすべくかなりの強行スケジュールで 演目、あるいは展示、あるいは店舗を回る予定になっていたのでかなり身体にキていた (←またかよ・・・またです)父が来るとなると 自分の体調が悪いのを隠しつつ 父の体調に気をつけて更に学生さんとの約束は果たしたいので・・・ね(汗)大変なことになるから正直言えば 来年にむけての企画にしてもらえて助かったダイガクは休講でも夜は学習塾の仕事は通常通りだったし・・・でも私自身は倒れるに至らずよかったし(とりあえず)どんなに無理なスケジュールでもガクセイさん達に この日 この時だからこその現場でお会いできて写真も沢山撮れてよかったふとねぇやんのことを思い出したやはり彼女にも感謝は尽きないねぇやんは 地道な勉強が大嫌いという困った院セイだった(苦笑)本当に なんでまた やっとダイガク卒業したのに院までなにを勘違いして来てしまったのかというほど勉強は苦手だった服装はどっから見ても 銀座というより六本木系実際 六本木で働いていたしまぁ・・・とにかくキョウシツと研究室に場違いな人だったのにどうしたら楽して単位取れるかと相談を受け殺意すら覚えた事も在る(爆笑・・・してる場合じゃないか)けどある時 ふとしたきっかけでねぇやんが命をかけている産婆かぁにばるを見に行ったんだよね単なる 軽い好奇心とたまたま時間があったからだけのことだったと思う友情と言えるほどの感情はなかったしなんの思いいれもなかったんだが・・・あの日 感動で震えるほどねぇやんは素晴らしかった彼女が勉強嫌いの派手好きなねぇちゃんなことに変わりはないがそんなことは なんでもないくらいに宇宙の果てまで消えてしまうくらいに彼女は素晴らしかった彼女が何を思ってキョウインを目指したか私には知ったこっちゃないPTAには嫌われるだろうキョウインの同僚にも先輩にも・・・ぁぁ目に浮かぶようだね問題児だろう真っ赤な爪をし ピンヒールを履いて露出系の彼女は(汗)卒業していく時彼女は言った「私 きゅうてぃーはにぃ みたいなキョウインになるんだぁ」そのとおりになるだろう納得したものだったそしてうれしかった爽快だった彼女は今 本当に高校の教壇に立っている素晴らしいと思う誰にも負けないだろうなと・・・実は 私が今 縁あって担当させていただいている1年生たちはねぇやんに近いものがあるんだなと・・・そのことを思い出したキョウシツで見ているとお魚屋さんで しばらく置かれっぱなしの売れ残り君みたいな目をした男の子が自分の研究発表(チュウゴクとニホンの歴史)を案内してくれながらこれほどに シャッキリした青年だったかな?と目を疑うほどに生き生きとしていたカメラを向けると胸を張ってポーズをとるじゃがバターの前売り券を買って欲しいと内気な子が 他でノルマ果たせなかったんだろうやっとの思いで頼みに来て 必ず食べに行くと約束をしたら当日 両手の指に包帯をしていた(やけどしたらしい)それでも 手話の展示のパネルを一枚一枚丁寧に最後まで解説をしてくれたいつも最前列の斜め前で かつてのハヤブサちゃんのように座り私が言葉を発するごとに睨んでいた女の子彼女が作成したのは お祭り全体のPRほーむぺーじ素晴らしいデザインだったので そういう作業が趣味なのか聞いたら全く初めてで悪戦苦闘したと言いながら「見てくれたんですね」と 初めて笑顔を見せてくれた人を知りたいと思ったら きっとその人が好きな事に頑張っているのを見るのが一番なのかも知れないお互いが共有する時間は 仕事であったり立場や利害が伴うのでその視点からしかその人を見る事はできないけども・・・それを教えてくれたのが 今思えばねぇやんだったと思うそれを考えたら確かに彼らは エイゴは苦手だけども他の科目や 他の事にはこんなに素晴らしい才能を発揮するじゃないかと感動しもし、安心もしたまぁ私の責任は ちゃんと彼らの エイゴの部分で結果を出さないといけないことには変わりはないけどもそんなこんな思いながら心の隅には やはり父のことガクセイさんはガクセイさん私はキョウシであり父のことは父のこと私はたった一人の娘でありどちらの幸せも大切あ、更新履歴、忘れるとこだった・・・少なめです今日の近況が充分長いから・・・まぁ少なくもないのかな???*******************今更だけど 8月28日のこと はあちゃんさんにお会いしたんです大切な時間だったのにずっと更新できませんでした写真があってよかった・・・今更だけど 8月末の出張らいおん亭タイトル通りです 出張らいおん亭でしたらいおんさんには負担をかけてしまいますが・・・こうして時々 3人一緒の時間をこれからも持てたらと思います
2009/10/14
コメント(6)
ともあれこんな感じでした・・・
2009/10/13
コメント(0)
二日目は 初日とは違う棟 (中国・ロシア・日本語などの語学系が集まってるところ)から拝見させていただいた(すまんな)
2009/10/12
コメント(0)
というかお祭りのビフォー&アフターか(笑)お祭り初日のスタートが遅れたのは実はこの日に ソツギョウ以来・・えっと・・・5年ぶり?学年全同窓の集まりがあったため今までは一回もそんなんなの出たことなかったけど(←団体行動全然興味なし)まぁ 5年も経ったから たまには行ってみようと思って参加してみたんだが・・・・う~ん・・・知ってる顔はチラホラあったけど久しぶりに挨拶しても名前が思い浮かばないとりあえず互いの近況は報告するけどさして続きを聞きたいほど興味は惹かれない(←やはりまだニンゲン嫌いの猛獣なんだろうか?)結論的にべつにどうでもよかったなぁ~と (←おぃ・・・でも・・正直な気持ち)ソツギョウしてもずっともう5年も経っても離れて暮らすようになってもずっと会ってなくても連絡取りたいような相手とは ずっと繋がってたんだなと思ったそれ以上は 要らないなと (←あんまし・・どうなのか・・・わからんけど)ブログで繋がっていたメールもやりとりしていたでもTarshaさんに会えたことが一番結局嬉しかった(笑)同窓会なんかの場を借りなくてもよかったねという感想は・・・・あはは実は私たちに共通していた印象だった彼女も会いたかった旧友には私以外にも ちゃんと個人的に約束の時間を決めており一緒に Dr. Dionysusのオフィスを訪れていたそこまでが初日のビフォー?あとはこの夜はらいおんさんの級友様達と合流させていただき・・・らいおんさんは現在の職場でも ダイガク時代の級友の方々にも普通に私の事を 話してくださっているんだが聞く側の方々にとってはやはり私の生態は(特に、もちろん年齢が)世にも珍しい珍獣のようで(笑)最初にお会いするときの目が特に なんだろう あの“我らの仲間ウチ” ならではの正直さというか遠慮なさ(←悪い意味じゃなくて)が面白くてぁぁ~ 私はフクロオオカミかドードー鳥なんだなぁと思ってしまう目を皿のようにして(↑ 漫画みたいに!)興味津々・・・・さまざまな質問を投げかけてくださりつつも言葉での質問以外の観察タイムが 最初の30分から1時間は続く私の方はと言えば我らのダイガクに紛れ込んでからの8年間ずっと11歳下から始まり、現在に至っては19歳年下のガクセイさんたちと生活しているので全然違和感がないうえにその年の差に慣れてしまっていること+αらいおんさんの同世代のお友達は社会人歴が既に5-6年を超えていらっしゃるのでむしろ私としてはとても安心して心を開ける場合が非常に多いそんなわけでその好奇の眼差しにも慣れているしだいたいのことを分かっていただければすぐに仲良くしていただける幸せに この数年 らいおんさんと一緒に過ごさせていただく間にずっと慣れてきた今回も同じでお食事をさせていただいて カラオケにもご同行させていただいて帰り際皆さんは都会へらいおんさんと私は山間の村へと別の帰路を辿るのに私はうっかり 都会へ帰る皆さんの最後尾について歩いていってしまい(↑ 懐くと 進行方向について自分のアタマは一切使わなくなるので全くの考えなしに 懐いた相手について行ってしまう癖が 私にはある。らいおん王国から出てこられた 母らいおん様とお会いした折にも同じ失敗をしてしまった)既にかなり進行されていた(当然ながら正しい方向へ) らいおんさんがお気づきになり 「Skyそっちじゃないでしょ!」と大きなゼスチャーで仰られた時にはなにをそんなにオーバーな?なにか問題でも??と思ったんだがお友達の皆さんが「Skyさんはあっちですよね」と仰ってくださったので意味がわかったのでしたどこだか忘れたけど連れてっていただいたお店は 何を食べたかも忘れたけどびみしかったのと あと色んな色のお酒も少々女子チームはそんなに酒豪っちい方はいらっしゃらなかったようでていうかみなさんオトナだからですねアホ飲みする方はいらっしゃらないのでのんびりと飲ませていただきましたこれが一番おもしろかったです光が動くお酒でしたせっかくなので動画も撮影→ 虹色キラキラのお酒たぶん、先日の白い花が虹色に輝くゆめはブログ更新用にこの動画を登録した時に印象に残ったんだろうと後から思いましたピカピカは持って帰りたいくらいでした。氷に似た形の透明のサイコロ形で中には電球が入ってたみたいです。
2009/10/11
コメント(0)
唐突ですがずっと保存したまま醸造?が進んでいた写真たちですうん、初日はこんな感じでしたはいたまの更新で一気に長くて申し訳ありません
2009/10/10
コメント(0)
様々事情がどどどどどどどぉぅとありましてブログ歴5年でしょうか 忘れましたがまる一ヶ月近く?更新しなかったのは初めてのことではないかと思いますほとんど迷惑に等しい長ったらしいブログも途切れている期間が長いと リンクしていただいている方々にはご心配をいただきメールをいただいたりして 個々には少し連絡をとらせていただいた方もありましたがブログを更新できるだけの体力がなかったりあるいは あったとしてもその後のお仕事の状況を考えると体力温存を選んできたここ1ヶ月でしたさまざまな状況が重なって 今日と この先数日(3-4日)間かな?自由な時間が確保できることがわかったのでこの際とばかり大迷惑な更新・・・しかし3-4日を過ぎれば またパタリと止まると思います。事情がありましてブログの閉鎖 引越しも考えました現在も考え中ですネガティブな事情からではなく心境の変化と 定期的に引越しはした方がいいか???との思いもありまして・・・その際は リンクさせていただいている皆さんには必ずご連絡させていただきます今日は何ヶ月ぶりだろう空をまじまじと見ましたパナぽちを構えるのは愛するキャンパスを パナぽちと共にお散歩するのは何ヶ月ぶりだろう見上げる余裕が自分にないだけで空は ちゃんとまぁ台風とかあったりしますけども(苦笑)そこにいるんですよねああ、そうだ忘れるとこだったや更新履歴ですね(苦笑)大丈夫か自分???もういくつ更新したのかも覚えてません*********今更ですが 7月・・7月18日のことですね・・・兄らいおん様とお后様の新居にお邪魔させていただきました今更ですが 7月18日の続きその続き今更ですが 今度は7月23日のことらいおん亭の日記のようです(もう忘れた)今更ですが 今度は8月11日の続きこちらは夏場所3日目の日記がリアルタイム更新が途中で途切れていたものの続きです今更ですが 今度は8月13日のこと夏場所5日目 最終日の様子です8月13日の続き 其の弐 とせねばならなくなってしまったいやぁ・・・其の弐になってしまい・・・8月13日の続きですみませんが 其の参 実際には現在10月のことか???更に其の参に・・・後で考えたら全然8月13日の日記になってません・・・裏らいおん亭日記? かな? 夏場所最終日に倒れこんだ救急らいおん亭の様子裏らいおん亭 となっているのはらいおんさん目線のお写真が含まれているからです****************ああああああああああ なんだ?いくつ更新したんだ?数えるのも面倒なのでやめます申し訳ない明日も いつくかもしかしたら更新させていただきますがあるいは明後日・・詳しく言うと来週の火曜日までは 更新する日が続く可能性が高いですがそれ以降しばらく大量更新のご迷惑をおかけすることは またパタリとないと思いますので・・・そうですねご心配いただいたことにお礼とご報告を申し上げるだけなら「生きてます」って言えば それで済むのに・・・すみません夏場所のジュギョウの感想で 沢山の方がお手紙に書いてくださってました「せんせぇとの5日間は濃ゅかったです」すんまへんな・・
2009/10/08
コメント(8)
この日もyakko妃殿下より賜わりし宝物いっぱいの らいおん亭でしたらいおんイタ長が入念に確認しておられるのは札幌発マジックスパイス スープカレーのレシピ。実は らいおんさんが今年3月までお住まいだった お魚王国のらいおん邸のどこだっけ?なんだか近くの駅には このスープカレーの専門店がありいつか入ってみようと話し合いながらも そのカウンタ席のみの店内の雰囲気に なんとなく落ち着かなくてまた カレーというと かなり空腹のときでない限り入らないのでうまいタイミングがなくて とうとう行かずじまいになっていたあのスープカレーというのがこれなんだろうか????らいおんさんは几帳面なので とにかくきちんとレシピ通りの計量をなさる具材だけは 指定のものにこだわらずyakko妃殿下より頂いたお野菜をてんこもり使わせていただいた日本式のカレーに比べると インドの本場カレーは テクスチャ的に “ゆるめ” だが(風味の複雑な奥行きの割には トロミは少な目の食感ですよね?)この北海道スープカレーは “スープ” なだけあって なおのこと さらりとお水っぽいというかあの “カレー色”=焦げ茶色 の イメージともかけ離れており見た目的には “コンソメスープ” に似ているぞと思ったらいおんイタ長が 仰った「いつもより 薄めになっちゃったかも・・・」しかし・・・・・なんという・・・・!今までに全く例えようのない びみしさだった!たしかに風味はカレーなんだが“カレー粉” とも違うし 中村屋でも マハラジャでも ないう~ん・・・あの カレー独特の重さもないのでどんどんイケてしまう・・・おかわり・・・おかわり・・・びみしい・・・とにかくびみしくってびっくり食べながら 2食分作ったつもりが 1食で終りそうなので次回の入手方法を考えてしまっていた我々でした北海道物産とか行けば買えるんだろうか・・・とにかくお勧めです!この味は 食べてみないとわかりませんし説明のしようがありませんカレーであって カレーじゃないびみしいことだけは間違いありません!かなりお勧めです!yakkoさん本当に本当にありがとうございました。
2009/10/03
コメント(4)
はずかしかった日の話この日 新しいおシゴトの直属の上司と始めての面談ダイガクにニュウガクして以来 かなりの数のネイティブの先生のジュギョウを履修してきたけども一度もお会いした事のない先生だった実は あの太宰尊氏が炎を噴くように その運営管理者としてのルーズさを糾弾しブチ切れまくっていた相手でもあるそんな先入観もあって(まして私は太宰尊氏が大好きなので)かなりの精神的抵抗があったんだけど会ってみたら ぜんぜん今まで普通に ニホンジンとして外国語であるエイゴを懇切丁寧に教えていただいてきた他のネイティブの先生方と印象は変わらなかった・・・・むしろその先生が持っている教育観というか持論は非常に興味深いものであることがわかり単に上司としてではなくキョウシという職業 エイゴをニホン人として学ぶ、あるいは教えるという場合の意義や目的、留意点について思うところをお伺いしてみたいと思うほどだった新任ということでの面接なので前半は一方的に話を聞く太宰尊氏からは 家督没収みたいな話を聞いていたので怖かったけどそういうんでもないようだった惹き込まれて話を聞いているところで今度は私の方の 状況を聞かれた思うところ現在努力している点これから改善していきたいところ欲しいアドバイス最終目標をどこに設定してジュギョウを行ったらよいのか(↑ 事前に日本人の先輩から聞いていた話とはどうも違うようなので)聞いてみたいことは色々あったしこの上司のアドバイスや意見なら聞きたいと思ったそんな思いがすぐにどっさりとこみ上げてきたんだが・・・真っ白なんとエイゴがクチから出てこないえ言いたかった事、聞きたかったこと、報告したかったこと あれこれ・・・・ 出てこない出てこない出てくるのは冷や汗ばかり数点の報告を辛うじて伝えたけれどそれを どう思っているのかどうしたいのか全然相手に伝わってないのがわかったというか自分のクチからこれほどエイゴが出てこないことにぶったまげていたそうまる3年逃げていたツケが回ってきたのだった・・・ダイガク時代の4年間はエイカイワを使わない日はなかったネイティブとの会話で困った事はない院シュウシに入っても忙しかったけれど そこそこは使っていたそれ以降ぱったりだったんだよね・・・しまいには「困った事があったら ドアは開いてるからいつでも来て何でも相談して。でも、ニホンゴがわかる先生の方がいい時は日本人の先輩に聞いていいからね」とおぃ・・・私は・・・・まるで 私が今 担当させていただいているダイガク1年生への励ましと同じようなことを言われてしまったのだった撃沈典型的エイゴキョウインのくせにエイゴ喋れないニホンジンになってしまっていたのだった豆腐の角にアタマぶつけて死んじまえ とは私みたいなことを言うのだろう自分で思った昔だったら走って逃げて隠れたいとこだけどこの恥ずかしさをバネに変えようと思ったこの日機関紙に書いてあった言葉は “勇気”責任者は自分がまず壁を破れ壁も壁ですこれ以上の責任があろうか?その通りだと思った現在の自分は情けなく恥ずかしいがとにかく それを そのままにしないこと誓ったじゃないか「なりふりかまわず どろんこになって」と・・・
2009/09/28
コメント(0)
最初の2週間くらいは本当に寂しかったなぁ・・・すべては消しゴムはんこから始まった コミュニケーションだったべつに相手が“子供”じゃなくたってお一人おひとりと直に繋がっていく方法はいろいろあるんだろうけども私にはそれしかできなかったしジュクの時もそうだったように心と心を繋いでくれた 消しゴムはんこのパワーに(ととさんの詩心が映っているのでしょう)感謝しつつ一番は その不思議な力に正直言えば 驚くばかり・・・感謝感謝です。
2009/09/25
コメント(4)
この日は札幌ビストロ相方閣下様yakko妃殿下より賜わりし品々を使わせていただいての出張らいおん亭だった到着した日の夜はまめ乳鍋でした鍋姫様最後の日々の定番だったなぁ・・・お寿司が置いてあるこの手前の位置が姫様の指定席だった今は私が座る朝になってもお給仕らいらいししゃもさんとこちらが 札幌ビストロ相方閣下様yakko妃殿下より賜わりし「当選」の品ほくほくジャガイモと わわらかタマネギてんこもりの肉じゃが今年 初めての煮物になった煮物ってなんだか 心がほっこりとする前夜の鍋はスープにこの中にも ビストロyakko様のジャガイモが入っている柿はご近所の方からいただいたもののような気がする9月半ば過ぎても 我がシマと違い実家の周囲はまだ 暖かいので半そで(←父のTシャツ)を着ている猛獣らいおんさん某をカメラに収める時は後ろからが安全と心得ておられるご様子である・・・他にも夏からずっと 食べたかった 「お祭り屋台のとうもろこし」あれは焼いたのにお醤油なんだけど(クチの周りお醤油で沁みても あれはやはり憧れてしまう ↑ 本来は醤油は一番苦手な調味料 辛すぎるんだよね)うちで網焼きはできないので茹でスタイルで・・・モヒカンヘア ふさふさのイケメンとうもろこしさんだったそして食べた事ないほど しっとりした食感のカステラしかも “抹茶”!!!!!ミス度の どぉなつも素敵だけど食感は カステラの方が素敵本当に “ずっしり重い” くらいに しっとりとした生地が最高に美味でした。yakkoさん、本当にありがとうございました。この週末だけではもちろん食材を使い切ることはできずその後の らいおん亭にもまだまだびみしく パクパクさせていただきました・・・
2009/09/19
コメント(0)
この日、出かけようとして我が巣の階段を降りていた時に宅急便屋さんとすれ違った「あ?もしかして?」と声をかけられたけれど通販で買い物はしていないし実家からの宅急便はもう1年以上届いていない(思えば母は 思いつきで色々な物を送ってくれたものだった絶対私が着ないような下着とか↑ せくしぃ系とか メルヘン系という意味ではなく前空き! の ももひき?とかである)なので心あたりはなかったけれど「もしかして・・」の続きの部屋番号は 私の巣の番号だった「うちですけど???」「よかったぁ~ すれ違いになるところだった」と階段を上がりながら宅急便屋さんが安堵の声をもらしたのはその箱が かなり重みのあるものだったからであるこの重量を 3階まで持って上がるのが空振りの二度手間になるのはたしかに楽しい仕事ではないだろう慌てて一緒に駆け戻って シャチハタを押すと箱を受け取ったそれは・・・北海道からの贈り物だったyakko妃殿下・・・・全く予想外だったので何かと思ってすぐに箱を開けると・・・ 一番上にあった封筒の表書きにビックリと・・ 当選???ニンゲン? の “うしろめたさ” というのは恐ろしいものでというか基本的に私はいつも “うしろめたい” らしい(苦笑)よく M父にも言われたものだった「しっかり頑張ってないと君は自分のことがうしろめたくて (シショウのもとに)走っていけないよ」実際 私はシショウから猛ダッシュで走って逃げた・・・さておき 今回も ”うしろめたい“ ことがあったので「当選」 の文字に思考回路が吹っ飛んでしまった何? 誰が当選???負けたんじゃなかったっけ???↑ “夏の陣” を全く闘わなかったのでそのフラッシュバックで狼狽してしまったのだった・・・yakkoさんからの宅急便と承知で開けているのに・・・しかしなかから出てきたのは愛の数々新鮮な呼吸が聞こえてきそうなお野菜さん「食べて!食べて!」と微笑んでいるようなお菓子ヨウカンは姫様が大好きだったお茶席用の竹筒に入ったものを楊枝で押し出すものをアレンジしたものだった姫様がいたなら元気だった頃ならお茶をたてたろうそして病気になってからでも もうやりかたなんて覚えてないのに 茶杓と棗を枕元にまるで おままごとのように置いていたなぁ(↑ 父の気遣いだった)週末にはちょうど実家へ出張らいおん亭に行く予定だった実家に届けようらいおんイタ長なら最高の調理をしてくださるだろう・・そしてそれは後日実現した
2009/09/17
コメント(0)
8月の中旬に新しいおシゴトのお話をいただき実際に決定したのは8月の末それからキョウカショが届いて とうとう9月の初め 本当にジュギョウが開始しようとするころらいおんさんが仰った「実質 白鳥館では去年からシゴト始めてるけどさいよいよダイガクでのシゴトが始まるじゃない?願いが叶うってどんな気持ち?」・・・・ 口元には やはり うれしさからなのか 私としては珍しく口角は上がって笑顔になるけれど(↑キホン路線としては常に へ の字のクチをしている不機嫌なわけではなくても、そういう造りのカオに生まれついている)正直言えば過去を振り返ると 目は遠くなり 苦笑いに垂れ下がる感じだったらいおんさんの質問はまさに自分が自分に問いかけるような感覚というか客観的に 信じられないようなまだ実感がないようなそれでいてあまりにも重く 明白な実感としてそこには “濃ゅすぎる” 365日×10回の月日があった寝てない日も大いに 多いので感覚としては 1日につき2日分の重みのある日も多いM父の傍にいた日は 半日も過ごせば前後5年分くらいの総復習・総予習をさせられる日もあった現に 10年前 から M父は10年後 (今)の私の事を見ていたそう最初の時にM父が言った言葉「君(のシュクメイ)はもう 極まっちゃってて どうにもならないから直すのには 10年かかる」ついでに言うなら 言われた言葉通りには覚えてないけども“大手術をして病床を切除したって、そっから先のリハビリが必要なように君は “生き方”そのものが わかってないから 手術しても すぐまた同じ病気や事故を起こすだろう手術したら 即完治でその後すぐに 社会復帰というわけにもいかない生き方そのものを最初から勉強しないといけないんだから”というようなことも言われた。両親とも メンバーだった家に生まれ育ち子供の頃から家庭内を見ていれば「願いは叶う」 なんぞ悪いけど思った事はなかったのに不思議なもので一番信頼しているM父から「直るのに10年かかる」と言われた時はえ~~~・・・マジで?ってとりあえずがっかりしてる自分がいたんだよね(苦笑)すると すかさずM父は言ったね「どうせ28年ろくなことしてこなかったんだから直んのにその半分の10年くらい かかんのは安いもんだろうがよ。半分で済むんだぞ、まぁ頑張ればって話だけど・・・一生かなわねぇとは言ってねぇぞ、まぁ頑張ればの話だけど。なんで人より悪い事してきたくせに 他の人と平等にお前だけ早く 助かろうなんて図々しいじゃないか」ごもっともでございますでもね10年かかるよって言われて喜ぶ人はいないよねーどのくらい 良いか悪いかは別としてあれから10年が経とうとしていたそんなこんなをらいおんさんにお話した
2009/09/15
コメント(0)
8月の日記はこれが最後かな?とりあえず写真があるのは これだけなのでこれで終りそう8月のページまで遡れないので、無理やり9月の隙間に更新姫様の人生の卒業式前後から ずっと続いている月1回の出張らいおん亭です夏のメニューだなぁ・・・そして この父の服装・・・半ぢゅぼんとても静かな時間らいおんさんが いらっしゃらなければ2人きりの家族になってしまった私たちが行かなければ父はこの時間 この空間を一人で過ごしているできること できないことあるけども親孝行できる限りのことをさせてもらいたいと思う親は 私だけにあるんじゃなくらいおんさんにも・・・
2009/09/14
コメント(0)
全1512件 (1512件中 1-50件目)