Tarsha's Trace

Tarsha's Trace

2008.09.13
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人がああだこうだと気にして、

だから自分はこうでこうだとぼやいていたら、時間がもったいない。


全部、自分で決まる。


こんなに大事で、シンプルなこと。なんですぐに思い出さなかったんだろう。


人生を劇にたとえれば、自分こそが、自分の人生という劇の「脚本家」であり、「主人公」なのである。神とか、偶然とかの、他の何ものかが、脚本を書いてくれるのではない。自分が書いて、自分が名優として演ずる。だれのせいでもない。全部、自分がつくるのである。


名優として演じるのか・・・


悠々としていたい。空に両腕を広げた、大きな木のように。

たとえちょっと不愉快なことがあっても。


そうじゃなきゃ、そのたびに心にしわが寄って、自分も生活も狭苦しくなってしまうよ。

イライラして、眉間にしわ寄せて、心の中でトグロを巻いて―




それでは、どこにいても不愉快だろう。自分の中に、神経質な蛇を飼っているんだから。


心ひとつでもっと良く生きることもできるのに、それでは愚かなんだな。

賢いとはどういうこと?

うまく自分をコントロールして、他者との間に調和を生み出すこと。


自分中心―つまり心を師としているかぎり、悩みは尽きない。そうではなく、心の師となって、自分の一念を、明るいほうへ、楽しくなるほうへと向け、周囲もその方向に向けていくことです。



生き方には、人生の解釈には、2通りあるんだな。悲観的か、楽観的か。悪く考えるか、良く考えるか。

たぶん、この2つのうちのいずれかに収束していくんだな。


朗らかに生きたほうがいい。けれどそれは案外、難しかったりするのだと、最近は実感している。感情に振り回される自分に勝たないと、人に笑顔で接することもできない。そしてその不愉快な感情は、なかなか自分の思うようにならない強さを持っている。

よく生きるには、努力がいるのだ。自分を律していく努力が。



ただ従うだけの「惰性」でもなく、反発だけの「わがまま」でもない。釣り合いを取って、調和を図っていく。やりづらいなかで苦労してこそ、そのような聡明な考え方ができるようになっていく。



たぶん、今の自分が経験していることも、これと同じなのかな。

人間関係の葛藤を上から悠々と見下ろして、自分の大道を歩んでいきたい。

楽しく。周囲に感謝しながら。


「聡明さ」とは、思うにまかせぬこの複雑な「生」と自分自身との関係に、価値を生み出していくための努力であり、創造的な知恵なのかな。







春、種をまく。三日で育てといっても無理である。やはり、実りは秋を待つしかない。これが道理である。



そうか・・・道理・・全部、修行・・・納得です。







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最終更新日  2008.09.14 00:42:24
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