あたしはあたしの道をいく

2008.07.17
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昨晩、NHK(たぶん教育)で児童虐待を扱った番組があった。

児童虐待そのものよりも、里親制度に焦点を置いた番組のようだけど、

その番組を全部見ていたわけではないので、分からない。



これまでにも何度も書いたような気がするけれど、

母は職務上、児童虐待に興味を持っている。

だから、この番組も非常に真摯な表情で見ていた。



確かに、その番組で扱われていた少年が受けた虐待は酷いもので、

聞いていて辛くなるような体験を淡々と語る少年の心には、

いったいどれだけの傷が刻まれたことだろうと思わずには居られない。



と願わずには居られない。

それはそれで、私の偽らざる気持ちなのだ。



けど。

そこに、私の母が絡むと、私の気持ちは大きく揺れる。



母は、未だに私が傷ついたことを認めようとしない。

私が過去の辛い経験を話題に出せば、被害妄想だと返ってくるか、

悲劇の主人公のように、「全て私が悪いのよ」と打ちひしがれる。

或いは、嵐が過ぎるのを待つかの如く、身を小さくしてやり過ごす。

他にどうしようがあったのだ、と逆ギレされたこともあるし、

私だって一生懸命だったのに恩を仇で返すなんて冷たい娘だと言われたこともある。

返ってくる反応は時によって違うけれど、認めない態度は一貫している。



どうしようもなかったんだから良いよね、と免罪を要求する。

それが、私の母。



番組の中で少年が語った言葉。

「誰が生んでやったと思ってるんだって言われて……」

それで彼は、ボコボコにされ続けてきた。





彼ほどストレートな言葉ではないけれど、

「私は親だ!親には従え!」と言われ続け、心を傷つけられてきた。



身体的虐待は、身体だけでなく、精神も傷つける。

彼は、しかも同時に言葉でも傷つけられてきていた。

だから、彼は身体的虐待と精神的虐待を同時に受け、耐えてきたのだ。

それはとても辛いことだったと思う。



けど。

けど。



体に傷があれば、虐待だと分かってもらえるなんて、羨ましい。

それが、私の正直な気持ち……。



傷があれば、母は私の虐待を認めたのか。

絶対に、NOだとは、思う。

今から30年近く前は、今よりもっと「子どもは叩いてしつけろ」の時代。

程度の問題はあるにしても、子どもを叩くのは悪いことじゃなかった。

イナカの子だから、そもそも生傷が絶えない生活で、少々の傷は気にもならない。

だから、目に見える傷は、母の尺度にはかからない。

きっと、今まで私が返されてきたのと同じ反応しかしないだろう。

そんなことは、私だって分かりきっている。



私は。



よその子の虐待を憂えるくらいなら、まず私のことを認めてほしい。

アナタが虐待した子が、目の前に居るのよ、と言ってやりたい。

自分の虐待も認められないのに、他人の虐待なんか心配すんなって言いたい。



自分のしてきたことを認めない母が、

他人の子育てを憂えているという、皮肉。

そう、これが、皮肉でなくて何だというのだろう。

風刺画に出来そうなくらい、笑えない。



虐待を語る番組を真剣に見ながら、眉をひそめる母を、私は横目で見ている。

私はもう、母には過去を語らない。

母は、私の受けてきた傷を、まともに認める日が来るのだろうか。

母は、自分がしてきた子育ての間違いに気付く日が、来るのだろうか。

私はもう、母に過去の清算を求めない。



けど、昨日みたいな場面は……辛いね。







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Last updated  2008.07.17 11:42:46
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