たっきーの風

たっきーの風

原発に思う 1



 人間は太古の昔から、なにやかや燃やしながら暮らしてきた。暖を取ったり煮炊きをしたり焼き畑やったりして、それが霊長目ヒト科のぼくらを定義づける特徴だ。
薪を燃やし枯れ草を燃やし、牛糞も乾燥させて燃やし、また泥炭や石炭やコークス、鯨油、石油、さまざまなアルコール類も、大切な火のもとを提供してくれる。英語ではそれらをfuelと呼び、日本語なら「燃料」という総称になる。

 ところが20世紀中葉に、言葉のペテンにたけている勢力がfuelに狙いを定め、燃焼とは無縁の物質を偽ってnuclear fuelと名づけた。おっつけその虚偽名称の和訳も「核燃料」と決まった。

 ではウソ偽り抜きに呼べば、なにになるかというと、「核分裂性物質」、つまりfissile materialだ。核分裂性物質が功を奏するのは、核兵器で大量虐殺をはかるときだ。ウラン鉱石を掘り出して、核分裂するウラン235の割合を高め、核分裂しないウラン238を減らし、できあがった濃縮ウランを筒につめて1945年8月6日に投下したのが広島型原爆。あるいはもっと凄まじい核兵器を作るには、濃縮ウランを頑丈な圧力釜につめて核分裂の連鎖反応をじりじりやると、ウラン238が中性子をのみ込みプルトニウム239に化ける。できあがった人工核分裂性物質プルトニウムを取り出し、筒につめて1945年8月9日に投下したのが長崎型原爆。核兵器作りはプルトニウムを中心に進められ、そのために開発された頑丈な圧力釜が「原子炉」というものだ。

 この70年の流れをざっと言い表わすとこうだ。核分裂性物質を使い、より一層破壊力を孕(はら)んだ核分裂性物質を生み出し、放射能汚染を増幅させながら、世界支配の飛び道具を蓄えて保有する。

 ただ、早い段階で「核燃料」とネーミングがすりかえられ、「使用済み燃料」という名称もでっちあげられ、一般市民にとっては本質が見えにくくなった。どうしてすりかえたかといえば、市民の富を吸い取り吸い取り核開発を行なうので、カモフラージュのPRキャンペーンを張る必要があった。正直に「核分裂性物質」と呼んでいると、イメージはよろしくないし、原子炉から出てくる「核分裂生成物」も恐ろしい響きだ。

 巧妙なコピーライターたちが、温かみのある「燃料」のパッケージに包装し直して、売り込むことにした。一般市民は原子物理学に詳しくないし、原水爆のカラクリが分かっていない。「燃料」と聞けば無意識のうちに、自分たちが毎日世話になっているガスだのガソリンだの灯油だのとつながり、なんとなく有用なものかなと、勘違いする。

 燃えちゃいないというのに「燃料」、燃焼とはまるきり違う現象だというのに「燃料」、サイエンスに対する冒とくだというのになにがなんでもnuclear fuelと呼ばわった。「原子炉」を発電機に見せかけて、軍事利用を隠す言語的スモークスクリーンが欲しかったからだ。

 権力者と核ビジネスがそうやって市民を煙に巻いた上で、今度は1980年代から大胆にも「燃料」のペテンと矛盾する新たなペテンキャンペーンを打ち出した。地球温暖化説をうまく利用して、その謳(うた)い文句は「発電時にCO2 を出さない原子力発電はクリーンエネルギー! 地球温暖化防止の有効な手段です」と。

 しかしそんなことを触れ回りたいなら、その前に「核燃料」や「使用済み燃料」や「燃料サイクル」のネーミングを改めなければならないはずだ。なにしろ二酸化炭素を出さない燃料なんてあり得ないのだから。ま、目にあまる自己矛盾を抱えてしまっても、恥を知らないのが核ビジネスの最大の特徴だが。

 もちろん「原子力発電はCO2 を出さない」というキャッチコピーも、イカサマに決まっている。ウラン鉱石を掘り出すときも、ウランの濃縮と加工をやるときも、原子炉を作るときも原発建設工事でも、大量の二酸化炭素を吐き出す。けれど、燃料ではない「燃料棒」が装填(そうてん)され、核分裂の熱で湯を沸かしてタービンを回している間のみ、二酸化炭素はあまり出ないのだ。原子力広告をあれこれ丁寧に点検すると、必ず「発電時に」という四文字が添えられていることに気づく。要するに、実際は大量に排出するが時間軸を狡猾(こうかつ)に区切って「発電時にCO2 を出さない」といえば、法律上、偽り広告の責任を問われない計算だ。

 いったん「発電時」が済むと、原子炉から取り出される核分裂生成物は「使用済み」という言葉に包まれるが、本当は核兵器の原料であり、たとえ転用されないにしても、冷やしながら10万年ばかり保管しなければならない。そんな保管期間にどのくらいの二酸化炭素が排出されるか、人間の計算が及ばない次元だ。

 それに加えて、福島第一原子力発電所のメルトダウン対応にともない、どれほどの二酸化炭素を撒き散らしたのかも、だれも把握していないようだ。自衛隊と警察と消防隊員と米軍も出動して、ヘリコプター、大型トラック、放水車、各種の建設重機などなんでも使い、非常電源に至ってもCO2 を吐きまくってきた。

 原発を売り込むために重宝していた間は、やたらとCO2 を悪魔みたいに扱い「大変だ! 異常気象が増えて地球は危ない!」と恐怖を煽(あお)ったが、PRの道具として使えない状況になった途端、地球温暖化騒ぎは下火になり、フクシマのCO 2 排出に政府はまったく触れもしない。これから延々とつづくであろう無駄な「除染作業」も、けっこうな二酸化炭素排出をともなうはずなのに。



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放射能と向き合う-仙台圏(3)測る/困っている人のため


<自宅に機器設置>
 仙台市太白区坪沼の山すそを切り開いた開墾地。車が擦れ違えるかどうかの細道を進んだ先にある自宅で、農業石森秀彦さん(51)が農産物や土壌に含まれる放射性物質量の測定所を開設したのは昨年11月末だった。
 「国や県の食品放射能検査はサンプル数が少なくて信用できない。個人で検査機関に依頼するとそれなりのお金がかかる。震災や原発事故で財産を失った人、貧しい人たちに『お金がなかったから被ばくした』と言わせたくなかった」
 「小さき花 市民の放射能測定室仙台」と名付けた測定所を開設した理由を、石森さんはこう説明する。
 450万円する国産測定器は、知人らからのカンパのほか、子どもの進学用に蓄えていた貯金などを取り崩して充てた。
 測定料は1品3000円だが、お金がない人から取るつもりはない。恒常的に測定の依頼が来るようになれば原発事故や津波で仙台に避難してきた人を雇用する方針だ。
 石森さんは福島第1原発事故による放射能汚染に関して、国や宮城県の対応に不信感を抱き続けている。昨年4月には飛散した放射性物質が付着したとみられる影響で、自宅から2キロ離れた畑の小松菜から、放射性セシウム(国の暫定基準値1キログラム当たり500ベクレル)が3737ベクレル検出されたこともあった。
 「県に相談しても『国は出荷制限をしていない』。でも現実を直視すれば知らんぷりはできないから畑の除染が終わるまで農業はやめることにした。俺は加害者になりたくなかった」
 畑や水田は耕せば土壌の放射性物質の濃度が薄まるが、石森さんは耕さないまま栽培する不耕起農業を行っているので、神経質にならざるを得ないという事情もあった。
 畑は50アール、水田は30アール。大学で農業を学んだ石森さんは、アジアやアフリカの発展途上国で農業を手伝った後、1985年に古里の仙台に戻って坪沼に移住した。野菜や裏山で採れる山菜を宅配して生計を立てていた。水は井戸、暖房や風呂はまきが燃料だ。
 しかし、原発事故後は土壌が汚染されたため井戸水は諦めた。まきを燃やすと灰に放射性物質が濃縮されるので、燃料は灯油に切り替えた。

<悔しいと思わず>
 だが、石森さんは「悔しいなんて思ったことはない」とあっけらかんと語る。「だって俺が努力を怠ったから原発事故が起きたわけじゃない。どうしようもないんだよ」
 石森さんは畑の表面の土をスコップでかき集め、除染を進めている。春には一部で野菜の作付けを試験的に始め、収穫後に含まれる放射性物質量を測ってから販売を再開したいと考えている。


河北新報ニュース  2012年03月01日木曜日


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福島県双葉町に「死の灰」が降ったという井戸川町長の証言


マスコミには流れていない、とても重要な証言

「烏賀陽さんからの福島県双葉町の井戸川町長の話」から抜粋
(hirougaya 2012/02/12 01:49~02:35:49)

福島県双葉町に「死の灰」が降ったという井戸川克隆町長のお話、あまりに驚いたので今夜のうちにお知らせします。

(福島県双葉町・井戸川克隆町長の話1)同町は福島第1原発が町内にある「立地自治体」。町全体が立入禁止(警戒区域)になって全町民6400人が避難。練馬区くらいの大きさの町。役場は埼玉県加須市に移転。きょう移転先役場で町長に会った。

(福島県双葉町・井戸川克隆町長の話2)移転先は埼玉県加須市、生徒が減って廃校になった騎西高校をそのまま使っている。なお500人弱の双葉町民がそのまま避難生活を続けている。そのありさまにも驚いた。アパートなど借り上げ住宅に移っていない人もまだそんなにたくさんいるのだ。

(福島県双葉町・井戸川克隆町長の話3→以下、記載省略)3.11一周年を前に取材が殺到したため「まとめて会見に応じましょう」という感じで町長は土曜日の午後1時半から6時半までずっと質疑応答しっぱなし。「テレビ」「新聞」「フリー」と3グループ別。頭が下がる。ありがとうございました。

「町民は、過去の歴史だけでなく、将来をも奪われてしまった。これはどんな価値よりも大切なものを奪われたということです。それは東京電力の補償など絶対に追いつかない」

新聞テレビは10数人集まっていたが、フリーは私ともう一人しかいなかったので、かなりぜいたくな「半分独占取材状態」になった。ありがとうございました。

「どの方向に」「何で避難する」避難指示が国や県からなかったので、役場の前の旗を見て風向きを見て逃げる方向を判断せざるをえなかった。

それまでの毎年の避難訓練は「電源が失われたが、3時間くらいで復旧、冷却装置が作動」というシナリオだったので、まったく役に立たなかった。

町民はやむなくバラバラにマイカーで逃げるしかなかった。福島県川俣町が避難を受け入れることを決めたので、防災無線で「とにかく川俣町へ」と必死で呼びかけた。

12日、町民が脱出するなか、双葉厚生病院の前で入院者や近くの老人ホームのお年寄りをバスに乗せる誘導をしていたら、最初の水素爆発が起きた。「ズン」という鈍い音がした。

12日「ズン」という鈍い音がした。「ああ、とうとう起きてしまった」と町長は思った。数分して、断熱材(グラスファイバー)のような破片がぼたん雪のように降ってきた。「大きなものはこれぐらいあった」と町長は親指と人差し指でマルをつくった。

双葉厚生病院は福島第1原発から2キロしか離れていない。雪のように断熱材(?)の破片が降るのを、300人くらいの町職員や医師、看護師らが呆然と見つめた。町長は「これでもう終わった」と思った。

福島第1原発から断熱材(?)が雪のように降り注ぐ光景を、町長は「それはそれは不思議な光景だった」と振り返る。「そういう映画にでも出てきそうな光景だった」。なすすべもなく、服についた「チリ」を手で払い落とすしかなかった。

そうした「福島第1原発からのチリ」を浴びた町長に「それは危険なものだという認識はあったのですか」と問うと「今でも『もう終わった』と思っている」と応えた。「それはどういう意味ですか」と問い返すと「鼻血がとまらない」と言った。

「ずっと鼻血がとまらない。鼻をかむと今でも血が出る。たらたら垂れることもある。もう乾燥しているんだかなんだかわからない」

「胸から下、すね毛まで毛が抜けてつるつるになった」「銭湯で隣に座ったじいさんが『おい、女みたいにすべすべになっているぞ』というので気づいた「体毛がないと肌着がくっついて気持ちが悪い」

3月11日直後から東電の職員は2人が町役場に来ていた。ふだんから担当している広報課の職員だ。しかしメルトダウンや水素爆発の情報は何も教えてくれなかった。今から思うと顔面蒼白で、知っていたのかもしれない。

補足。政府が決めた「ベント」も何の予告もなかった。町民が真下にまだいるのに、ベントが行われた。自分たちを日本国民と思っているのか。まるで明治維新の前からそのままではないか。

「死の灰」の話にびっくりして「その場(双葉厚生病院前)に何人くらいいたのですか」と町長に問うた。町長は「300人くらい」と応えた。絶句した。若い職員、医師、看護師もいたという。町長は「バス一台分乗っただけだった」と残念がった。

「12日の水素爆発のあと、福島第1原発から断熱材の破片のようなものが雪のように降ってきた」。その後飯舘村にいた人が「空気中を繊維のくずのようなものがキラキラ舞っていて、あれ、外なのにおかしいなと思った」という証言と一致する。

水素爆発のあと、福島第1原発から双葉町に降り注いだ断熱材(グラスウール)の破片のようなもの。これはどう考えても「死の灰」ではないのか。

12日、「ズン」という鈍い音がして、福島第1原発が最初の水素爆発を起こしたあと、数分後に、双葉厚生病院前に断熱材(グラスウール)の破片のようなものが「ぼたん雪のように」降り注いだ。=烏賀陽注:これはどう考えても「死の灰」ではないのか。

(福島県双葉町・井戸川克隆町長の話23)ちなみに、3月12日の最初水素爆発のあと、福島第1原発から双葉町に「ぼたん雪のように」降り注いだ断熱材(グラスウール)の破片を町長が目撃した双葉厚生病院は、同原発から2キロしか離れていない。

12日の水素爆発の映像を見ると、煙は北~北西方向に流れているので、双葉町長が「双葉厚生病院に降下物が降った」という証言は矛盾しないのです。>福島第一原発 爆発の瞬間 2011 03 12 1536頃発生: http://t.co/0HVTjEt0 @youtubeさんから


【震災】「失敗と思ってない」集団避難の双葉町長
(02/12 00:35 テレビ朝日 ANNニュース)

 原発事故の影響で埼玉県加須市に役場ごと避難している福島県双葉町の町長が、震災から11カ月を迎え、集団避難について「失敗だとは思っていない」と振り返りました。

 福島・双葉町、井戸川克隆町長:「(町民の)放射能に対する不信感はものすごく強い。多くの子どもを(埼玉に)連れてこられて良かった」

 11日に会見した井戸川町長は、新たな場所に再移転することについては、場所や方法を町民らと議論したいと話しました。避難所となっている旧騎西高校では、震災の発生時刻に合わせ、約30人が黙とうを捧げました。今も約500人が教室や体育館で避難生活を続けていて、そのうちの4割は65歳以上の高齢者です。

 避難している双葉町民:「行くとこないから(ここに)いる。希望だけは持ちたい」
ニュースクリップ ( 2012/02/13 12:18

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原発「関西が最も危険」 老朽と金属劣化、研究者指摘

 福井県内にある原発7基の再稼働差し止めを滋賀県の住民らが求めた大津地裁の仮処分審で「材料や機器劣化による原発事故の危険性は関西エリアが最も高い」とする井野博満東大名誉教授の意見書を住民側が提出することが20日、訴訟関係者への取材で分かった。

 井野氏は意見書で、原子炉の健全性を評価するため圧力容器内に置かれた試験片の耐性を分析。「最も劣化が進んだ九州電力玄海原発1号機(佐賀県)に次ぎ、全国でワースト2~6が福井県に集中している」と指摘し、事故があれば近接する関西地方が大きな被害を受ける可能性を示した。

2012年1月20日 東京新聞


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被爆医師は今も闘う 死ぬほどだるいと訴える全身衰弱「ぶらぶら病」、福島で出ても不思議はない

◇私のどこが悪いんだ、開き直りがずっと根底にあるんですよ

 放射性物質が広範囲にまき散らされた東京電力福島第1原発事故。内部被ばくの健康影響が懸念されるなか、広島・長崎の原爆ではどうだったのかにも関心が高まっている。広島で被爆した医師で、「原爆ぶらぶら病」の患者ら6000人以上の被爆者を診察してきた肥田舜太郎さん(95)を訪ねた。【宍戸護】

 「内部被ばくは広島・長崎の時からあったのです」。昨年12月、横浜市港北区のホール。「福島第1原発事故と内部被曝(ひばく)について」と題した講演会で、肥田さんはよく通る声でこう話した。「原爆(ピカドン)が落ちた日には広島・長崎におらず、数日後に家族を捜しに入った人たちが、理解できない形で死んでいった」。普段つえをついて歩く肥田さん。約2時間も机の前に立ち続け、熱弁を振るった。

 肥田さんは1944年に広島陸軍病院に赴任した。陸軍軍医中尉だった45年8月6日、爆心地から約6キロの広島市東区(旧戸坂村)で被爆。その日のうちに爆心地近くまで往復し、その後、周辺で負傷者の救援治療にあたった。やけどを負った人の数があまりに多く注目されなかったが、原爆投下後に市内に入った人たちが奇妙な死に方をするケースも相次いだという。

 ある女性は、夫を捜しに、原爆投下1週間後に広島入りし、焼け野原を1週間捜して夫と再会した。しかし重症者の介護を手伝っているうちに、熱が出て紫斑が体に現れ、髪が抜け落ち、吐血して亡くなった。

 肥田さんたちはその経験を通し、「入市被爆」という考え方にたどりついた。「内部被ばくなんて言葉はまだありません。市に入って被爆したので入市被爆と呼びました。どういう理屈で亡くなるのか、全然分かりませんでした」

 入市被爆者には間もなく亡くなった人もいれば、体調不良を抱えながら生き続けた人もいるという。


 肥田さんはその後、組合活動を始め、1950年に東京都杉並区で開院。のちに埼玉県に拠点を移し内科医を務めながら、被爆者らで作る日本原水爆被害者団体協議会(被団協)の原爆被爆者中央相談所理事長も79~09年まで務めた。

 その間「被爆医師」のうわさを聞きつけた被爆者が肥田さんに相談に来た。患者が訪れるのは決まって夜の閉院前。受付では「被爆者」と名乗らず、診察室で患者の雰囲気を察した肥田さんが人払いをするのが常だった。肥田さんの共著「内部被曝の脅威」(ちくま新書、05年出版)でこう書いている。

 <被ばく者は一時、生命保険への加入を拒否された時期があり、結婚、就学、就職などの人生の節目に不当な差別を受けたものは数知れない。これは二世、三世の時代まで引き継がれ……>

 社会の底辺で不本意な人生を歩まざるを得ない被爆者を多く見てきた肥田さんは「入市被爆」の医学的なメカニズムをずっと探し求めた。原爆投下から約30年後、米国人研究者による内部被ばくの論文に偶然出合った。米国の核実験で入市被爆者と同じ症状を示す人々が多数存在することを示す内容に、「目からうろこ」が落ちる思いがしたという。それらの論文を翻訳し、国内外で内部被ばくの危険を訴え続けてきた。


 肥田さんは横浜の講演会で、原爆の直接被爆を免れた人が数年後、座っていられないほどのだるさを訴える「原爆ぶらぶら病」について語り始めた。

 「血も出ていない、頭の毛が抜けるでもない、目に見える被害は何もないのに、死ぬほどだるいと訴える人がたくさん出てきた。診察してもどこも悪くない。サボっているように見られて、患者の家族が『ぶらぶら病』と名付けたのです」

 ぶらぶら病は、被爆前に健康だった人が病気がちになり、体がだるくて根気が続かずに仕事を休みがちになる。医師が検査しても、異常がないと診断され、仲間や家族からは怠け者のレッテルを貼られた人も少なくないという。

 講演会後、肥田さんはこう補足説明してくれた。

 「簡単に言えば全身衰弱状態。本人の訴えしかなくて、今の医学の範疇(はんちゅう)には入ってこないから、医師から見れば、病気じゃなくノイローゼ扱いになってしまう。最近、旧ソ連のチェルノブイリ原発事故(86年)の研究者に聞いたら、『放射線疲れ』という言葉があるというのです。原発事故で放射線にあたった人が、くたびれてかったるいということから、その名がついたそうです。私から言わせれば、福島でこれらと同じ症状が出ても何ら不思議ではない」


 原爆の放射線が人体に及ぼす長期的な調査は1947年にトルーマン米大統領の指示で設置された米国の原爆傷害調査委員会(ABCC)が始め、75年には日米両政府で管理運営する放射線影響研究所(放影研=広島市、長崎市)に移管された。その研究結果は国際放射線防護委員会(ICRP)の放射線影響評価にも反映されている。放影研は現在、福島の住民の健康調査に関わっている。

 主に外部被ばくについて研究しているこの調査は、一部研究者や被爆者団体から「被ばくの影響を低く見積もっている」とも指摘されている。肥田さんは広島・長崎の原爆被爆者の内部被ばくが本格研究されなかった背景についてこう考えている。「戦争中は人を殺しても罪にはならないが、戦争後も原爆の影響で、人がずっと死に続けることを認めれば、非人道的兵器として原爆の存在そのものが危うくなる。各国が内部被ばくを認めたがらない根本はそこにあると思うのです」。「原爆ぶらぶら病」も放射線との因果関係は認められていない。

 原爆症認定集団訴訟の証人として内部被ばくについて述べた肥田さんは、生涯被ばく100ミリシーベルト未満ならば健康影響は不明という研究結果にも疑問を持つ。自分が長年診てきた、生身の被爆者とあまりにもかけ離れているからだ。

 別れ際、肥田さんはポツリと言った。「私は戦争や原爆で偶然生き残った身に使命を感じ、たくさんの被爆者のために、他の人が黙って頭を下げてきた占領軍や日本政府とけんかしてきた。私のどこが悪いんだという開き直りが根底にずっとあるんだよ」

 右手でつえをつき歩き始めた後ろ姿を長らく見送った。

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毎日新聞 2012年1月12日 東京夕刊 ◇「特集ワイド」




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国際環境NGOグリーンピース

初公開! 玄海原発事故SPEEDI、1時間で有明海・佐賀市・福岡市汚染の可能性
投稿日 - 2011-12-22 14:19 SPEEDI検証シリーズ (3)

11月20日、佐賀県は玄海原発で「福島原発と同レベル」の事故が起きたと想定する避難訓練を行った。
グリーンピースは「福島原発と同レベルの事故」という点に注目し、佐賀県に対してこの避難訓練で使用したSPEEDI( 緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)の情報公開請求を行っていた。

驚愕、強風で有明海まで1時間で汚染が到達

昨日、グリーンピースに対して佐賀県から情報公開されたSPEEDIデータをみて驚いた。
11月20日は、強風だったらしい。
事故を想定した、午前8時の段階で北北西の風が12.5m/sと示されている。 
この強風だと、放射線は風にのって細長く拡散されていく。

このSPEEDIが示していたのは放射線物質の拡散開始から、1時間足らずで佐賀県を突き抜け50キロ離れた有明海まで到達するという予測だ。
有明海は、生物多様性の宝庫であり、地域の経済と密接に関係している。
また陸地に囲まれている湾であることから、汚染が拡散されず蓄積される可能性が高い。

予測図が突きつける避難の難しさと同心円状の避難区域設定の無意味さ

福島原発事故を受けて、国の原子力安全委員会は、原発から30キロ圏を「緊急防護措置区域」(UPZ)と新たに設定し、事故時の対策を重点的に行うとした。

しかし、今回のように12.5m/sの風にのって、猛スピードで放射性物質が拡散される場合30キロ圏の「緊急防護措置区域」はまったく機能しない。
この予測図に基づけば、原発から10キロ東に住む人を避難させるより、原発から50キロ離れた佐賀県白石町、武雄市などの住民を避難させることが重要となる。
福島原発事故で、同心円状に避難区域を設定することが無意味であったことを学んだはずだが、このような気象条件であれば、30キロと「緊急防護措置区域」を広げても、福島と同様の悲劇を繰り返すかもしれない。

風向きが変われば、佐賀市、福岡市も1時間で汚染

この風速で放射性物質が拡散される場合、風向きが西寄りに変化すれば23.5万人の住む佐賀市、そしてさらに西に変われば40キロも離れていない148万人都市の福岡市が1時間で汚染され始めることを示している。
考えただけでも、恐ろしい。
福岡県は、現在九州電力と安全協定を結ぶことで合意しているが、このようなSPEEDIのデータを見る限り、福岡県民が事故時に取り返しのつかないリスクを負うことがわかる。
そう考えれば、福岡県民が再稼働の是非に関与できるべきなのは至極当然だ。
福岡県は、九電と安全協定を結ぶ際に、しっかりとした権利を有する安全協定を結ぶべきだと思う。

滋賀県、運転再開時の事前了解権利つきの安全協定を求める
福岡県は厳しい安全協定を九電に認めさせるべきと述べたが、これは何も新しいことではない。
12月20日、滋賀県の嘉田由紀子知事は、隣接県であっても「立地県と同レベル」の原子力安全協定を結ぶべきだと述べ、原発の運転再開時の事前了解や立ち入り調査権が盛り込むよう求めるという。

SPEEDIをもっと活用して情報公開を
今回のようなSPEEDIデータが情報公開のプロセスを経なければ公開されないこと自体が問題だ。
このようなデータは積極的に公開し、リスクをコミュニケーションしなければ再稼働の是非について住民が正しく判断できるはずがない。
また、今回のSPEEDIでは、実際にどの程度汚染が広がるのかの予測は行われていない。
実際に放出される放射性物質の量をSPEEDIデータに入れ、人体への影響なども計測して、それを公開すべきだ。

参考: SPEEDI検証シリーズ
(1)「SPEEDI」をリスクコミュニケーションに使う (11月30日)

(2)SPEEDIの過小評価と滋賀県の独自シミュレーション (12月9日

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国際環境NGOグリーンピース

SPEEDIの過小評価と滋賀県の独自シミュレーション
投稿日 - 2011-12-09 10:21 SPEEDI検証シリーズ(2)

前回、SPEEDIをリスクコミュニケーションのツールとして使うことを提案したが、今回はSPEEDIがどのように実際に避難訓練に使われていたのかを紹介したい。

お役所仕事の避難訓練
平成22年度に作成された避難訓練用のデータを見ると、これまで原発立地自治体がいかに事故を過小評価して避難訓練を行っていたかがわかる。
例えば、以下は福井県が大飯原発で事故があったと想定して作成した昨年10月(原発事故前)のSPEEDIデータだ。

放射性物質の拡散予測と、それに基づく避難区域(赤斜線)と屋内退避(青斜線)を示している。
このデータは、風向、風速、事故規模、放射性物質の放出量などの条件を県が国等と決めて計算する。つまり、「仮定条件」次第で訓練のサイズをカスタマイズできるのだ。
もちろんカスタマイズできることは当たり前で問題はないのだが、平成22年度に作成された他自治体の訓練用地図を見てみても、どれも小さい事故を想定していることわかる。
上で示した福井県のシミュレーションで避難区域に指定されているのはほぼ同心円状の3キロ圏内のみ、屋内退避区域に指定されているのは7キロ圏内にすぎない。
これが福島第一原発の事故の実態とまったく合わないということは説明の必要もないだろう。

放射性物質の放出量は2400分の1で計算
詳しく予測図を見てみると、ヨウ素の放出量がきわめて低く、小規模の事故を想定していることがわかる。
福島原発事故でのヨウ素放出の積算量は後に説明する滋賀県のデータによると、2.4 ×10 ^16 (16乗) Bqで福井県の予測図に使用されている条件1.0×10^13(13乗) Bqの約2400倍だ。
つまり、単純に考えても、福島原発規模の事故の2400分の1サイズの事故を想定して避難訓練をしていた。
これは昨年に行われた福島第一原発での避難訓練用シミュレーションでも同様で、最悪規模のシミュレーションに基づいて避難訓練をしていれば、事故直後にSPEEDIのデータがなくともある程度は適切な措置がとれたと思うと、残念でならない。

SPEEDI予測が過小評価されていたのは、おそらくEPZ(防災対策を重点的に充実すべき範囲)が8から10キロの範囲として定められていたから、その範囲に避難訓練が収まるように逆算されて事故の規模を決めていたのではないかとさえ疑う。
つまり、他の都道府県に影響があるようなシミュレーションをして避難訓練を行えないというお役所仕事の結果だ。
その証拠に、SPEEDIは23キロ四方の地図だけではなく、100キロ四方の地図に基づいて予測を発表することもできる。しかし、避難訓練のために100キロ四方の地図が使われることは文科省の担当者によると「ほぼない」そうだ。


琵琶湖が汚染される、滋賀県の独自シミュレーション
実は、SPEEDIの使用権限は原発立地自治体16と、隣接自治体3(京都、長崎、鳥取)の合計19道県のみにある。
これも原発事故が10キロ以上及ばないという前提で防災計画が立案されていたことによるものだ。
よって、現状では福井県の美浜原発から30キロしか離れていない滋賀県は、美浜原発や大飯原発などが事故を起こした場合のシミュレーションをSPEEDIを使用して作成することができない。

そこで、滋賀県は独自に放射性物質の拡散シミュレーションを行った。
自治体が住民の安全をしっかり考え、このようなシミュレーションを行ったことは高く評価できる。
しかし、結果は衝撃的なものだった。

(滋賀県琵琶湖環境科学研究センターの試算を滋賀県の資料から抜粋)

このシミュレーションは、福島原発の事故と同等規模の事故が起きたとして計算している。
被ばく積算量が50ミリシーベルトになる地域(緑)が、原発から80キロ離れたところにも広がっており、100ミリシーベルトになる地域(黄色)も琵琶湖に迫る勢いだ。

福島原発事故がいかに広範囲に汚染を拡散したかを考えれば、驚くようなことではないかもしれないが、実際のシミュレーションにおいて、琵琶湖が事故発生後24時間以内にすっぽりと汚染される可能性を見ると、背筋が凍る。
このシミュレーションはまだ滋賀県のHPに掲載されていないが、グリーンピースが独自に入手しているので、全文をこちらにPDFで掲載する。

第3回 滋賀県地域防災計画の見直しにかかる検討委員会 (平成23年11月25日開催議事録)

再稼働は国民全体の問題

原発の再稼働問題は「自分とは関係ない」と考えている人が多くなっているようだ。
特に関西圏ではその傾向が強いと思う。それが「電気が足りないから再稼働は仕方がない」と言うのんきな言葉につながるのかもしれない。
そもそも電気は足りている。
しかし、百歩譲って足りないというのであっても、数%の電力不足のために琵琶湖が放射能汚染されるリスクを関西圏に住む人たちは許容できるのか。
事故が起きてからでは取り返しのつかないことは、福島原発事故で学んだはずだ。
読者の方々はこのブログを地方議員などに転送してほしい。
議員は、首長にSPEEDIを使って福島原発事故と同等のシミュレーションをし広く住民に公開すること、SPEEDIを使えない都道府県はすぐに使えるようにすることをそれぞれ都道府県、国に要請してほしい。



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宣言文

原子力発電によらない生き方を求めて

東京電力福島第一原子力発電所事故による放射性物質の拡散により、多くの人々が住み慣れた故郷を追われ、避難生活を強いられています。避難されている人々はやり場のない怒りと見通しのつかない不安の中、苦悩の日々を過ごされています。また、乳幼児や児童をもつ多くのご家族が子どもたちへの放射線による健康被害を心配し、「いのち」に対する大きな不安の中、生活を送っています。
広範囲に拡散した放射性物質が、日本だけでなく地球規模で自然環境、生態系に影響を与え、人間だけでなく様々な「いのち」を脅かす可能性は否めません。

日本は原子爆弾による世界で唯一の被爆国であります。多くの人々の「いのち」が奪われ、また、一命をとりとめられた人々は現在もなお放射線による被曝で苦しんでいます。同じ過ちを人類が再び繰り返さないために、私たち日本人はその悲惨さ、苦しみをとおして「いのち」の尊さを世界の人々に伝え続けています。

全日本仏教会は仏教精神にもとづき、一人ひとりの「いのち」が尊重される社会を築くため、世界平和の実現に取り組んでまいりました。その一方で私たちはもっと快適に、もっと便利にと欲望を拡大してきました。その利便性の追求の陰には、原子力発電所立地の人々が事故による「いのち」の不安に脅かされながら日々生活を送り、さらには負の遺産となる処理不可能な放射性廃棄物を生み出し、未来に問題を残しているという現実があります。だからこそ、私たちはこのような原発事故による「いのち」と平和な生活が脅かされるような事態をまねいたことを深く反省しなければなりません。

私たち全日本仏教会は「いのち」を脅かす原子力発電への依存を減らし、原子力発電に依らない持続可能なエネルギーによる社会の実現を目指します。誰かの犠牲の上に成り立つ幸福を願うのではなく、個人の幸福が人類の福祉と調和することを願います。
そして、私たちはこの問題に一人ひとりが自分の問題として向き合い、自身の生活のあり方を見直す中で、過剰な物質的欲望から脱し、足ることを知り、自然の前で謙虚である生活の実現にむけて最善を尽くし、一人ひとりの「いのち」が守られる社会を築くことを宣言いたします。

   2011(平成23)年12月1日

財団法人 全日本仏教会



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1983年1月26日石川県羽咋郡志賀町で開かれた「原発講演会」(地元の広域商工会主催)での高木孝一敦賀市長の講演内容を以下に示します。“これが自治体の長の言葉?!”と驚くと同時に、原発による地域振興なるものの実態がよく理解できるはずです。原発が札束をばらまきながらやってくる、そして人を、町を、ボロボロにしてしまうことが、立地自治体の本音とともに問わず語りに吐露されています。

          ◇             ◇             ◇

只今ご紹介頂きました敦賀市長、高木でございます。えー、今日は皆さん方、広域商工会主催によります、原子力といわゆる関係地域の問題等についての勉強会をおやりになろうということで、非常に意義あることではなかろうか、というふうに存じております。…ご連絡を頂きまして、正しく原子力発電所というものを理解していただくということについては、とにもかくにも私は快くひとつ、馳せ参じさせて頂くことにいたしましょう、ということで、引き受けた訳でございます。

……一昨年もちょうど4月でございましたが敦賀1号炉からコバルト60がその前の排出口のところのホンダワラに付着したというふうなことで、世界中が大騒ぎをいたした訳でございます。私は、その4月18日にそうしたことが報道されましてから、20日の日にフランスへ行った。いかにも、そんなことは新聞報道、マスコミは騒ぐけれど、コバルト60がホンダワラに付いたといって、私は何か(なぜ騒ぐのか)、さっぱりもうわからない。そのホンダワラを1年食ったって、規制量の量(放射線被曝のこと)にはならない。そういうふうなことでございまして、4月20日にフランスへ参りました。事故が起きたのを聞きながら、その確認しながらフランスへ行ったわけです。ところがフランスまで送られてくる新聞には毎日、毎朝、今にも世の中ひっくり返りそうな勢いでこの一件が報じられる。止むなく帰国すると、“悪るびれた様子もなく、敦賀市長帰る”こういうふうに明くる日の新聞でございまして、実はビックリ。ところが 敦賀の人は何食わぬ顔をしておる。ここで何が起こったのかなという顔をしておりますけれど、まあ、しかしながら、魚はやっぱり依然として売れない。あるいは北海道で採れた昆布までが…。

敦賀は日本全国の食用の昆布の7~8割を作っておるんです。が、その昆布までですね、敦賀にある昆布なら、いうようなことで全く売れなくなってしまった。ちょうど4月でございますので、ワカメの最中であったのですが、ワカメも全く売れなかった。まあ、困ったことだ、嬉しいことだちゅう…。そこで私は、まあ魚屋さんでも、あるいは民宿でも100円損したと思うものは150円貰いなさいというのが、いわゆる私の趣旨であったんです。100円損して200円貰うことはならんぞ、と。本当にワカメが売れなくて、100円損したんなら、精神的慰謝料50円を含んで150円貰いなさい、正々堂々と貰いなさいと言ったんでが、そうしたら出てくるわ出てくるわ、100円損して500円欲しいという連中がどんどん出てきたわけです(会場爆笑、そして大拍手?!)。

100円損して500円貰おうなんてのは、これはもう認めるもんじゃない。原電の方は、少々多くても、もう面倒臭いから出して解決しますわ、と言いますけれど、それはダメだと。正直者がバカをみるという世の中を作ってはいけないので、100円損した者には150円出してやってほしいけど、もう面倒臭いから500円あげるというんでは、到底これは慎んでもらいたい。まあ、こういうことだ、ピシャリとおさまった。

いまだに一昨年の事故で大きな損をしたとか、事故が起きて困ったとかいう人は全く一人もおりません。まあ言うなれば、率直に言うなれば、一年一回ぐらいは、あんなことがあればいいがなあ、そういうふうなのが敦賀の町の現状なんです。笑い話のようですが、もうそんなんでホクホクなんですよ。

…(原発ができると電源三法交付金が貰えるが)その他に貰うお金はお互いに詮索せずにおこう。キミんとこはいくら貰ったんだ、ボクんとこはこれだけ貰ったよ、裏金ですね、裏金!まあ原子力発電所が来る、それなら三法のカネは、三法のカネとして貰うけれども、その他にやはり地域の振興に対しての裏金をよこせ、協力金をよこせ、というのが、それぞれの地域である訳でございます。それをどれだけ貰っているか、を言い出すと、これはもう、あそこはこれだけ貰った、ここはこれだけだ、ということでエキサイトする。そうなると原子力発電所にしろ、電力会社にしろ、対応しきれんだろうから、これはお互いにもう口外せず、自分は自分なりに、ひとつやっていこうじゃないか、というふうなことでございまして、例えば敦賀の場合、敦賀2号機のカネが7年間で42億入ってくる。三法のカネが7年間でそれだけ入ってくる。それに「もんじゅ」がございますと、出力は低いですが、その危険性……、うん、いやまあ、建設費はかかりますので、建設費と比較検討しますと入ってくるカネが60数億円になろうかと思っておるわけでございます…(会場感嘆の声と溜息がもれる)。

…で、実は敦賀に金ケ崎宮というお宮さんがございまして(建ってから)随分と年数が経ちまして、屋根がボトボトと落ちておった。この冬、雪が降ったら、これはもう社殿はもたんわい、と。今年ひとつやってやろうか、と。そう思いまして、まあたいしたカネじゃございませんが、6000万円でしたけれど、もうやっぱり原電、動燃へ、ポッポッと走って行った(会場ドッと笑い)。あっ、わかりました、ということで、すぐカネが出ましてね。それに調子づきまして、今度は北陸一の宮、これもひとつ6億で修復したいと、市長という立場ではなくて、高木孝一個人が奉賛会長になりまして、6億の修復をやろうと。今日はここまで(講演に)来ましたんで、新年会をひとつ、金沢でやって、明日はまた、富山の北電(北陸電力)へ行きましてね、火力発電所を作らせたる、1億円寄付してくれ(ドッと笑い)。これで皆さん、3億円既に出来た。こんなの作るの、わけないなあ、こういうふうに思っとる(再び笑い)。まあそんな訳で短大は建つわ、高校は出来るわ、50億円で運動公園は出来るわね。火葬場はボツボツ私も歳になってきたから、これも今、あのカネで計画しておる、といったようなことで、そりゃあもうまったくタナボタ式の街づくりが出来るんじゃなかろうか、と、そういうことで私は皆さんに(原発を)お薦めしたい。これは(私は)信念を持っとる、信念!

……えー、その代わりに100年経って片輪が生まれてくるやら、50後に生まれた子供が全部片輪になるやら、それはわかりませんよ。わかりませんけど、今の段階では(原発を)おやりになった方がよいのではなかろうか…。こいうふうに思っております。どうもありがとうございました。(会場、大拍手)

          ◇             ◇             ◇   

今回のテーマについて、これ以上何の説明も要らないでしょう。ひとつだけ付け加えるなら、原発に限らずこうした事業を誘致した政治家が懐に入れるリベートは、投資金額の1~3%と言われています。原発1基3000億円とすれば、リベートは30~90億円と言うことです。この講演が効を奏してか、会場となった志賀には北陸電力の志賀原発1号機が建設され、運転を開始しています。

 ★引用文献:内橋 克人著 「原発への警鐘」 講談社文庫  



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福島の農家の婿のブログより

2011-11-17 13:36:27
セシウム米、僕が一番恐れていたこと
テーマ:ブログ

こんにちわ

今日はいきなり本題です。

僕が、米農家として一番恐れていたことが起きました。

暫定(笑)基準値超え、630bqの米が出ました

誤解されないよう、ここではっきり書いておきます。

僕は、米から数値が出ること自体を恐れていたわけではありません。

原発が爆発したんです。チェルノブイリと比較されるような事故が起きて

とんでもない量の放射性物質が放出されたんです。

とんでもない量の放射性物質が降ったんです。

ある程度の数値が出るのはどうかんがえてもわかりきっていたことなんです。

だから数値検出それ自体はまさしく想定内で

悲しいし、悔しいし、やるせないですが、

それでも僕の中で最悪なことではなかったんです。


僕の「一番恐れていたこと」とは、

後から数値が検出されたことです

安全宣言がでて、流通もしていて

応援しよう、買ってみようかなと興味を示す人が出始める中で

数値が出た

これがどれだけ福島県の農産物の信頼を失わせるか

買おうと思ったけどやっぱり数字が出た、

怖い

混ぜてるんじゃないか

とっくに流通してるんじゃないか

ちゃんと検査してないんじゃないか

数字が出ても隠してるんじゃないか

こんな不安が過りませんでしたか?

何回も声を上げてきましたけど、再度端的に申し上ます



ちゃんと検査してるのか

 → ザルですよ



混ぜてるんじゃないか

 → そりゃ混ざってますよ


とっくに流通してるんじゃないか

 → あたりまえじゃないですか


数字が出ても隠してるんじゃないか

 → それは無いと思います



福島の農家なのに、「農家の婿」は何言ってんの?

復興の邪魔、不安を煽るな、福島県民を名乗るな

お前みたいなのがいるから売れなくなるんだ

こんな凹むことを言われても、僕がブログやツイッターで発信することをやめなかったのは
こういう事態になることだけは避けたかったからです

なんにも得することは無いのに農協に噛みついて行政に唾を吐いて誰も得しない愚痴を延々と続けてきたのは、
今回のようなことが起きるのが、火を見るより明らかだったからです。


今年来年で済む話ならいいですよ

だけど福島の農家は、今後数十年以上

放射能と向き合わなければならない

数値が検出されなかったとしても、検出されなくなったとしても

今度は風評と戦わなくてはならない。

不条理に奪われた「安心」を取り戻す努力をし続けなければならない


これが現実なんです


原発がハーイした時点で「安心」やら「安全」やらは

とっくにどっかに行ってるんです


農業王国福島の農業に残ったのは、今まで積み重ねてきた「信用」だけだったんです

だからそれだけは無くしたくなかった。

それさえ無くさなければ、いつか絶対にまた福島は農業王国として復活できると思った

なのに農協や行政が採った対応は、その唯一残った信用にションベンかけるような理解し難いものでした。

実際、応援してくれる人には感謝以外の言葉が見当たらない

多くの善意には頭を下げる以外の選択肢が思い浮かばない

だけどその善意につけこんでなんとか乗り切ろうとするお上の様には

屈辱以外の何物でもない


だから僕は罵られようがなんだろうが、信用だけは失わずに済むよ

偉くもない、お金もない、頭もない、そんなやさぐれ農家の僕でも出来ることを

偉い人に届く主張でもないのに必死で書き続けてきました。

だけどやっぱり起きてしまった・・・

ここ数カ月で地に落ちた福島農業への信用にとどめを刺す一撃

それが今回の事件です

福島農家は今後、検査に頼らざるを得ないんですよ

そしてきちんと「大丈夫でした」とアナウンスしてもらわないことにはどうしようもないんです。

でもそのアナウンスが信じてもらえなくなったら、一体全体農家はどうすりゃいいんですか


こんなことはわかりきっていたことです

1174カ所の検査?

福島に田んぼが何枚あると思ってんだ

山水が集まる田んぼだから?

そんな田んぼが珍しいとでも

砂地だから?

浜通りって知ってるかい

たまたま当たりを引いただけのことです

予備検査でも出たでしょう?

それを無かったことにして他の田んぼで本検査して「問題なし!キリッ」

そして不十分な検査のまま安全宣言

さらに、JAの唯一の英断に対して、アホ知事のアホ宣言


どう考えたって検査を受けていない高数値の米なんてとっくに流通してる

松本友作副知事 「県としては可能なかぎりの綿密な調査を実施したつもりだったが、残念ながら暫定基準値を超える値が検出されてしまった。どうして高い数値が出たのか、原因究明が必要だ」

ちゃんと検査してないからに決まってんだろアホが

大体、あんたら個人で測って報告したって動いてくれなかったじゃん

公式として認めたくないばかりに、そういうの避けてきてんじゃん

むしろ今回みたいに個人調査結果を参考にすることのほうが少ないじゃん

どんだけ目の前に美味しいニンジンぶら下げられてるのか知らんけど

それに振り回されるのは末端の農家だってことを、いい加減に理解してくれよ・・・

そのご立派なオツムをご立派な綺麗事に向ける一割でいいから

将来のことを考えてくれよ・・・


根拠希薄な安全宣言

今後誰がそれを信じてくれるんだよ・・・


ホント勘弁してくださいよ


婿



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カタログハウスの「通販生活」の最新号(2011年 秋冬号)に、こんなメッセージが同封されていたと話題になっています。


「原発を語るとき」

廃止論であろうと
再開論であろうと
原発を語るときは
 心を福島に置いて語る習慣を身につけよう

  福島でつくられた原発電力は
  東京で消費されたから
  つまるところ
  福島の子たちは
  東京の子たちの身代わりになった
  福島の親たちは
  東京の親たちの身代わりになった

   大阪で消費されている原発電力は
   どの県でつくられているのだろう

    五年後の甲状腺ガン
    十年後の白血病が
    春夏秋冬気にかかる
    福島の子たち親たちを棚に上げて
    原発を語ることの
    恥ずかしさよ


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