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宮崎県予選決勝は、ここ数年一人勝ち日向学院と4年振り決勝戦進出の都城工業との組み合わせとの、先週地元紙宮崎日日新聞の記事を見つけて予定を調整して妻と国道269号線を宮崎県体育館へ向かった。 このように早朝から体育館へ向かうのは随分と日時を経た気がする。都城盆地の野山が一面霜で真っ白に覆われ西北に霧島連山を望みながら走る朝は、セガレの春高バレー進出前後の厳しい時期を思い起こさせる。
February 5, 2007
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大晦日にセガレが福岡から帰省。鹿児島市まで友人の車で来て、【都城】と書いたダンボール紙を掲げて照国神社の近くでヒッチハイク試みるが忙しい晦日で成功せず、結局高速の吉田ICまで迎えに行く。久し振りに(1年振り)セガレの顔を見る。落ち着いた元旦を迎えた。
January 1, 2006
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地区公民館の回覧版にて写真つき捜索願い出した。新年最初の回覧版が200所帯を回った筈なのにトウトウ何の反応も来なかった。
January 24, 2005
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妻が市役所及び保健所に事故にあった猫の所在を問い合わしたところ、我がトラらしき猫の事故は無いことが分かった。このことが分かっただけでも有り難いと思う。次に出来ることは地区の回覧版に<トラ探しのチラシ>を付けて回して貰うことである。そのチラシづくりの準備に掛かる。
December 7, 2004
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出かけたついでに市街地を離れ久し振りに大淀川に二つの支流が合流する堤防に行き、霧島連山の初冬風景を楽しむ。 サンケイスポーツ『コラム 甘口・辛口』より指導者は名誉のためでなく、人生の糧になることを教えてほしい バレーボールの春の全国高校選抜大会(春高バレー)で、長野県の岡谷工高を4度優勝させた壬生義文前監督が12月1日付で、同県の塚原青雲高の監督に就任するという。全校生徒49人中46人が野球部員で今夏、2年ぶりに甲子園に出て話題になった高校だ。 同校が来春から群馬県高崎市にある創造学園大の付属になる予定で、それを機にバレーボールのほか、サッカー、駅伝、空手の各部を発足させるそうだ。「積極的に外国人留学生を受け入れ、スポーツだけでなく勉強にも力を入れる。壬生監督は“新しい学園を作ることに、やりがいがある”と、力になってくれた」と、小池大哲理事長は話している。 こんなことがあった。壬生監督は優勝した今年3月の春高で、風邪をこじらせた主力選手が医師に入院を勧められたが、入院させなかった。この選手が一時、意識不明の重体に陥り責任を問われて6カ月の停職処分を受け、岡谷工を辞職した。「優勝のためには選手一人ぐらいどうなってもいいのか」との批判が渦巻いた。 半面、熱心な指導に共感する父母や市民の間では復職を願う署名運動もあったと聞く。今回の就任に際して「(事件は)行き過ぎがあった」と深く反省しているという。県立の岡谷工と違い、まずスポーツで名を広めようという学校である。小池理事長には「1年あれば春高で優勝できる」と語っている同監督が、どんな指導をするのか。 高校スポーツはただ勝てばいい、というものではないはずだ。技術とともに選手の人間性も伸ばしてこそ、真の指導者といえる。学校や監督の名誉のためでなく、ぜひ選手の人生の糧になることを教え込んでもらいたい。(サンケイスポーツ 今村 忠)
December 6, 2004
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mako*さんからのコメント <昔友人のかってたネコが、時々ふらーっといなくなるネコだったんですが、別のうちでも、同時になにくわぬ顔して?別の名前で飼われていたことが判明して、ネコってすごいなあ…と思ったことがあります。(2004.12.01 11:25)>わが身に置き換えるとーーー、これは大変なことだし、でもやはり凄いことだなーーーー。
December 2, 2004
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いつも渡って出掛けていた道路側の軒下にも大好きな枕崎産鰹節とキャットフード入れて置いておいたが・・・わずかな期待とともに覗いて見るが何の形跡もなし。毎晩いつでもコタツのある部屋に入れるように廊下側のドアを少し開けて寝ることにしている。
December 1, 2004
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一昨日の夜、「ニャーゴ」と言って(鳴いて)廊下側から出掛けたまま今日で丸二日帰って来ない。昨日は代休で休みだった家内と共に同じ白と黒の犬<モコ>を連れて、近くの住宅街を探して回ったが見つからず。モコは三ヶ月遅れで生まれたメス犬、<トラ>は貰ってきたオス猫仲良く一緒に育った来たのである。庭で一緒に転げまわって遊んでいた、どちらかと言うとトラの方が積極的でいつも先に転んでモコを誘って遊んでいた。
November 30, 2004
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二つ続いた台風のあと、家内の勧め(事実上指示に近い!!)で先週上京する前日に、お墓の雑草刈りと台風後始末に行っていたお陰で我が家の墓は綺麗であった。既に亡くなっている伯父に聞いたのだが、確認できる範囲で私が九代目の世代とのことである。我が一族の墓が三系統並んでいるので、お墓の手入れの状況はお墓に上がると直ぐに分かる。何だかどこかで競争している気分である。お墓は大きな杉山の南斜面にあるので台風の後は相当大きな枝が折れて落ちていてその上に杉の葉がばらばらにたくさん落ちて来ていた、片付けるのは結構時間が掛かったのである。今日は家内と共にお墓参りと相成った。線香を我が家の墓と共に他二つの家にも線香を上げ合掌する。
September 23, 2004
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大学時代友人の<供養の会>は神楽坂鳥茶屋の別亭であった。坂を上がった左手を折れ芸者小道の階段を足元確かめながら降りてゆくとその左奥に暖簾が揺れている落ち着いた店に入る。恩師が最近出版したばかりの『哲学の横丁』にサインして貰いながら、5年振りの再会と自死した友人の話になる。最後に会ったのが私だったと言うことで、改めてその時期とともに学生時代のいろんな情景が思い起こされるのであった。
September 19, 2004
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12時羽田着、京急経由で渋谷へ。
September 15, 2004
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携帯から入力のテスト。明日から始めるリサーチの準備をしている。●テストはOKだった。これでこの日記いつでも書けるということ になってしまったなー。
September 14, 2004
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宿泊先は高井戸ホテルと多摩永山ホテルである、予約済み。高井戸は長女マンションで、多摩永山は長男のマンション(名前はマンションだが事実上アパート)である。二人とも忙しいので「泊まるのはいいけど部屋は片付いてないから勝手にして・・・。」である。用件は、一つは大学時代友人の『供養の会』に参加するためである。外資系会社に勤めていて外資系同士の合併で日本人の支配人であったが社内抗争に巻き込まれ退職に追い込まれて鬱状態となり、結局自死したのである。元気なとき最後に会ったのが私であった。未だ東京八丁堀南高橋近くの会社に勤めていた時だった。奥さんの悲鳴と共に会社に電話があった。「主人が今朝未明に出たきり未だ帰らないのです、助けてくださいー!!」。私は決算近くで来期の事業計画の最終チェックをしていた。「部下に友人が事故に会った、今日はこれで帰らないからよろしく、何かあったら携帯に連絡しなさい!」と言い残して日比谷線に飛び乗り、秋葉原から総武線に乗り換え市川に向かった。それから5年・・・。大学時代の我が専攻の学外講師(とはいえ国内では屈指の教授)から『君達も十分に年を取ったし私もそれなりに年を重ねてきた、そこでM君を供養しながら呑もうではないか』と手紙を貰い、都合のつく者ばかりでも集い供養することとなる。結局私の日程に合わせて、神楽坂の坂半ばのお店で会うこととなった。も一つの用件は、このところ悪戦苦闘して準備中であるビジネスの先行事例先訪問とリサーチ。これまでどうにか基本的なコンセプトとビジネス構造は固ったのだが、今少しパトスが足りないと言うか、ストーリーに山場が足りない・・・感じである。コンセプトには自信が有る、今回のリサーチで一気に全国版に仕上げたいのである。
September 13, 2004
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先月29日朝早く我が家の庭続きの南側疎水の水が今にも溢れんばかりの水位になっていた。こりゃ大変だぞと見に行く、ホントに大変である。庭を渡っただけで全身ずぶ濡れ、合羽も役立たず。遠くから途切れ途切れに何か聞こえて来た。暴風雨の中市の広報車が大通りから我が路地に入ってきた。何か案内している、風と雨の中よく聞き取れないので通り側に出てみる。『○○地区は大淀川増水のため浸水の危険あり、直ちに△△地区公民館に避難して下さい』とアナウンスしてるではないか!?
September 8, 2004
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いろいろなことが重なり絡まってすべてが動かなくなるので、最近は少しサボりながらこなせるようにいくらかなったようである。頭の中と現実の流れと連動しなくなるのである。それでも直ぐに焦りが出てくるから厄介である。まあー、<欲張りのバランス>が壊れてしまわないようにしたいのである。丁度良いバランスで頭と手足が連動するようにしたい。
August 5, 2004
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これまで丸3年位の間、居間の座卓(妻が子供時代の勉強机)にパソコンを置いて朝夕・深夜仕事をしていたが、この度の退社で妻より、居間からの撤収を求められ本来の書斎に引越しをした。昨日ヤマダ電機に行き少し貯まっていたポイントカードで20mのケーブルを買い求め居間から書斎まで廊下の壁伝いに目立たぬように配線して通信状態OKとなる。居間には長男から調達してきたiMACを置くことになった。梱包を開けてみたら、マウスとキーボードが入ってなくて旧MACのキーボード&マウスを繋ごうとしたが成る程USBでなくては繋がらないのであった。長男の携帯にメールして送るように依頼する。これまでは丸で居候のような感じであったが、これでようやく亭主と言うか世帯主と言うかそんな感じになってきた。東京出稼ぎ時代の3年半余りとこちらに帰ってからの3年は、時間はあっても余裕が無くてその場凌ぎで居間の一隅を占拠して仕事をしていたので、妻と下のセガレには評判が良くなかった。余裕のある広いオフィス用デスクは気持ちがいいし、家内やテレビに影響されること無くそれなりに熱中できるようだ。さてここから次の仕事のネタを生み出して行こう。宿題が早く済みそうな気がしてきたぞー!
July 26, 2004
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鹿児島まで10号線をゆっくり走ることにする。国分、加治木、姶良町そして磯公園まで錦江湾と桜島を眺めながら走るのはいつも楽しみである。
July 24, 2004
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新たなテーマで上京中である。猛烈な暑さである、東京の暑さは熱い・・・のである。ビルからそして地下鉄から吐き出される熱風は真夏の陽射しとともに容赦なくわが身を丸ごと包み込んでしまう。この人工的な暑さは車内やオフィスの冷房で抑えていた汗を一気に噴き出させてしまう。ワイシャツ・ネクタイを突き抜けて全身びしょ濡れである。会社の枠組みを越えたネットワークを通じて、次なるテーマの足掛かりとすべく打合せと関連領域の確認をしてきた。団塊世代の状況はますます厳しくなって来ている。都内にいる長女と長男、二人とも多忙でゆっくり話す時間がなかなか取れない。それでも久しぶりに娘の部屋に泊まらせてもらい夜中にいろんな話をする。長男はネット関連会社の仕事(正規に)しながら学生もやっている。日本もこういう時代がきたのだなあーと思う。今日は出掛けているセガレ部屋に来て日記を書いている。帰ったらこの4日間の成果をまとめて企画書作成だ。
July 18, 2004
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新たな取組みのために今週末は、佐賀・福岡へ。来週半ばから再来週にかけては上京することにしている。新しいスタンスで人に会い、最新のビジネスを体感して我がテーマを見つめなおす機会にしたい。これまでのシステム開発会社は6月末にて退社した。この10ヶ月グループ会社のIDC構想に振り回されつつも、新しい展開を目指してきたが、業績不振ボディーブローが官庁案件不落により一気に噴出して銀行の応援が事実上不可となる。業績回復のためにオーナーから招かれこの1年半闘って来たが経営システムの革新を実現できずに今日を迎えた。バブル時代の信仰をオーナーから剥ぎ取ること出来ず、改めてわがコミュニケーション能力と説得力の無さを嘆く。社員の意識改革までは実現できたが一番肝心なトップの意識改革は失敗に終わる。今年に入り社長を引き受け私の事業計画(責任)で会社経営するところまで決まっていたのだが、具体化がグループ会社本体の事情により延びているうちに(振り回されてが真相なのだが・・・)、最終段階を迎えてしまった。頭では分かっていても、そのことを行動に移すことは至難の業である。今日のように大きな意味でのITの動向が直ぐに地方の行政・企業の枠組みを決めてしまう時代は、資金力は勿論のことながらトップの問題意識とネットワークレベルに組織の存続は大きく依存している。
July 9, 2004
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敗退したプロポ案件から、次のテーマに着手する前に整理することが結構ある。会社としての展開と私自身のテーマとの摺り合わせである。
June 11, 2004
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郵送で通知されることになっていたが、外出中に担当者から電話が入っていた、再度電話するとの伝言。一瞬ドキンとする。こういう場合、最悪かまたは最善かであるが・・・経験上は最悪が多い、待っている時間が長かった。やはり<誠に残念ですが僅差でP社に決定しました、これまでいろいろご指導いただき有難うございました。次回のバージョンアップもありますのでこれからもよろしくお願いします。>とのことである。よく出来た担当者である。いずれにしても敗退は敗退、収穫はゼロ。いやマイナスからの再出発となる。
June 9, 2004
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さすがにこの2週間のプレッシャーと提案書作成のためか、今日はすっかり疲れ気味。今朝病院に立ち寄り診察してもらう。長年付き合ってきた腰椎ヘルニアとその他の関係で月曜日は一日人間ドッグ入りと相成る。明日はセガレの大学後援会地方支部総会がある、いつも家内に任せてきたので今回は参加することにした。
June 4, 2004
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若手二人、開発責任者、営業担当の4名で参加する。ジョイフルで昼食後、再度リハーサルを行う。予定時刻の30分前に、控え室に入り態勢を整えて案内を待つ。プレゼンはスムーズに予定通りのシナリオで展開して無事終了する。競合大手がどのような提案をしたのかは分からないが、わが社は極めて実践的な提案をした。質疑応答が予定を大幅に過ぎるほど、技術的専門的なことから今後の展開までかなり突っ込んだ質問がなされ、面白く興味深い質疑応答となった。その後、この地域でナンバー1の珈琲専門店でケーキと珈琲とともに暫しくつろぐ。
June 3, 2004
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決勝リーグ都城工業・小林西・日向学院・宮崎工業は互いに潰しあいとなり、都城工×小林西の試合が終わっても直ぐには優勝校が決まらず、上位3校2勝1敗得点率の僅少差により日向学院が都城工業を下した。都城工業日向学院戦では、流れを変えるところでサーブミスが続き都工エース水保のバックアタックと得意のジャンプサーブが決まらず、点差は開かなかったものの学院セッター甲斐の頭脳的なトスワークとブロックで圧倒的な力の差が出た試合となった。
June 2, 2004
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昨年から取り組んで来た案件がいよいよ大詰めを迎える。今日明日とプロポーザル<提案書とプレゼン>の最終的調整とリハーサルをすることになっている。全国区の大手も参入してくることになった。しかし、それは時代の流れで止むを得ないことである。わが方はシンプルで実際的なシステムを提案することにした。それでも中長期的には電子県庁システム構想に十分に対応出来るものである。
June 1, 2004
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鹿屋体育大朝一の試合で九産大を3-0で下し7戦全勝、福岡大対西工大は不明(予想では西工大が福大を3-2で下し6勝1敗?、実は妻が見に行っていたのだが・・・。)高校総体宮崎県予選はどうなったか?昨日30日は5強(都城工業、小林西、日向学院、宮崎工、福島)が順当に勝ち進んでいた。
May 31, 2004
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まきぞのアリーナは霧島リゾートにある素晴らしい体育館。昨日までの成績、福岡大・鹿屋体育大が5勝全勝、西日本工業大・九産大が4勝1敗で上位4大学が競り合っている。今日の福大×鹿屋体大が見逃せない、続く西工大×九産大戦も全勝同士の行方と絡む面白いゲームとなりそう。<3日目結果>鹿屋体大6戦全勝、福岡大・西日本工大5勝1敗、九州産大4勝2敗。宮崎県高校総体予選バレーはシード校は今日から登場、これもどうなるか?
May 30, 2004
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高校は今日から総体県予選が始まる、31日が決勝戦。地元新聞の下馬評では都城工を中心に、小林西・日向学院・宮崎工業・福島高の競り合いとのことである。春高バレー宮崎県決勝で対戦した金丸真二監督率いる福島高はその後どうなっているか楽しみである。今日明日は霧島<まきぞのアリーナ>へ大学バレー観戦へ。昨年10月熊本合志総合体育館でセガレのチームを見に行ってから7ヶ月振り。
May 29, 2004
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昨日午後から休暇を取り、宮崎観光ホテルで開催されたセミナーに参加。本格的な迫力ある講師の話に久し振りに時間を忘れた。テーマは『元気の出るベンチャー企業育成セミナー』~これからの資金調達はこうなる~東京証券取引所の審査課長、パネルディスカッションは地元企業社長2名、上場コンサル会社社長、そして東証マザーズへ上場したばかりの鹿児島の新日本科学の永田良一社長。永田社長は学者然とした風貌ながら、社長の本分を自分自身を語りながら喝破していた。そして、圧巻は小泉内閣竹中大臣のブレーン木村剛KFi社長であった。地元行政機関が主催するセミナーでここまで本音で迫力ある話は初めてであった。オブラートで包むことなく、自分自身の会社経営実態をさらしながら今日のリーダーの在り様を厳しく問う話であった。ここしばらく疲れ気味だったのだが、霧島盆地へ高速道で向かう車中で身体の内部からエネルギーが湧き出てくる思いであった。<本物>に出会うことの大事さを感じたのである。
May 25, 2004
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このところ高校体育館へ行っていない。春高バレー以来だから丸二ヶ月はご無沙汰していることになる。紫陽花のつぼみが膨らんでくると<総体合宿>が連続して始まる。九州内の強豪チームとの合宿で毎週出掛けたり招いたりして総体へ向けて厳しい練習が続いていることだろう。
May 15, 2004
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三週間ぶりに訪ねた母は、私達が大広間の入り口に来たころから気付いて嬉しい気持ちが身体全体に溢れていた。時折私がセガレであることが分かる時があれば、懐かしそうにしながらも誰だか言えないこともある。大型連休のためか幾分いつもよりは人数が少ないようである。霧島盆地は雨曇りで周囲の霧島連山も鰐塚山麓も靄に曇っていた。一旦我が家に帰り、着替えて墓に行くことにした。草刈り鎌二丁と草かき一丁、お線香と蝋燭、水をペットボトル1本、手袋2双、タオル2枚。そして墓の帰途立ち寄るために籾を約12キロ車に積み込む。
May 3, 2004
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2月1日大学寮から引越して以来殆ど連絡なしであった。先月始めには学連会議で大阪に月末に携帯メールで<今合宿で名古屋>とあった。今月に入り、今度は<今福岡大学で試合(練習?公式?)で来ている>とのこと。・・・これすべて妻からの伝聞。セガレも結構バレーを楽しんでいる模様。オヤジはイマイチ仕事に追われて楽しむ余裕なし。5月の九州大学リーグは本大会が鹿児島である由(・・・これは鹿屋体育大学のHPで知る)、今から楽しみである。
April 20, 2004
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ほんとに何でも屋だ、私は小さなシステム開発会社の営業部長。会社は小さいながら開発商品については営業担当としてこれまでのドサ回りで相当自信がある。メジャー商品ではないがユーザーに十分な貢献ができるシステムである。代理店もようやく整い始めた。オーナーである社長の代行業務もあり結構忙しい。もう少し戦略的な展開をしたいのだが、システム開発担当の役員と社長の調整にロスタイムが多く、得意な仕事に集中できないのがちょっとシンドイところである。来期計画の詳細を詰めているところである。これで調整ロスタイムを削減して一気に展開して行こう。
April 9, 2004
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やあー、こりゃ大変だ・・・と言う間もなく朝になる。私は待機していただけだが疲れた。ユーザーは新しい業務展開で運用開始したばかりだから、何とか無事クリアしてよかった。朝方元気な声で報告出来たことは有り難い、有り難い・・・のであった。原因はデータ取り込みでデータがずれて取り込まれたことだった。最終チェックでのミステイクである。
April 6, 2004
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今日はバージョンアップ版説明会を地元優良企業4月度営業会議で午後一から実施予定、老体に鞭打ってプレゼン資料作成中・・・。3拍4日の強行軍で、さすがの私もクタクタの状態である。プレゼンを終えたら直帰し、サウナに行って早くダウンしたい。
April 3, 2004
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システムのテストも順調に行き、今朝は久し振りに爽やかな朝を迎える。御茶ノ水の聖橋から直ぐ湯島天神への途中の坂にあるホテル、結構いいビジネスホテルである。インターネットは光ケーブル接続で有り難い、常時ネットで打ち合せしながらの仕事だから本当に有り難い。その割には宿泊費高くないのである。お客様との打ち合せは午後から。連日徹夜状態の続いている若き同僚は寸暇を惜しんでスースー眠っている。その間、私は昨夜の土砂降りで折り目が無くなったスラックス2本のアイロンがけ。昼前には、名古屋の案件が終わり開発責任者と御茶ノ水駅で落ち合うことになっている。
March 31, 2004
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ようやくBUG取りも終えて、OKとなった。滑り込みで最終便に間に合った。今夜は御茶ノ水近くのホテル泊まりとなる。明日朝、名古屋から入る専務と三人で最終打ち合せ。
March 30, 2004
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ASPで提供しているシステムのバージョンアップでマニュアル改訂に苦戦している。開発部のマニュアルでは<それはそうなのだが・・・、でもイマイチ分かり難い>である。だから、結局営業担当の私がユーザーサイドのマニュアルを、つまり実用マニュアル(!?)を作成するのである。担当者用、経営者用そして簡易管理者用の3タイプなのである。ASPとは言え、カスタマイズ版もあるので結構厳しいのである。システム開発部は営業部から出される要望対応で手一杯、その上スタッフ不足とくれば、導入時の初期設定からシステム操作説明会まで面倒を見なくてはならない。まことに嬉しい悲鳴である・・・と言えば一見良さそうに聞こえるが、これが厳しいのである。はっきり言えば、問題は開発コンセプトから引きずって来ているのだ。それに販売戦略なしにやって来ていたものだから、今付けが回って来ているのである。その上、飛び込みの案件が来るものだから・・・。今週もまた特急案件で上京しシステム立ち上げとなる。でも今日はマニュアルを仕上げてアップしなければならない。
March 28, 2004
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人と文学、人生が散りばめられていて、時代と世界が三人の友人・知人達とともに見えて来る。 この三人が共に80歳を超えてなお生き生きした知性を有し、逞しい鼎談をしていることは我らが世代への励ましとなっていると感じる。お蔭でこの本から次から次へ読みたい本が出てきて、このところ衰え勝ちだった頭の元気も少し出てきたようである。
March 27, 2004
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エース水保オンリーの試合運びに陥り、持ち味のコンビバレー発揮出来ず高さとパワーの東北高校に及ばなかった。
March 20, 2004
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仕事順調に進み始めたが、導入事前全社説明会が月末に決まり残念ながら代々木体育館での応援は諦める。チームの第一陣は17日出発、第二陣は明日19日出発の模様。
March 18, 2004
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いつも我が都工チームは春高バレー開会式前の二三日東京か埼玉で直前合宿をする。そろそろ出発の日が近い。今年も早朝の出発式には行こうと思う。あの緊張した選手の顔を見るのが楽しみである。
March 17, 2004
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どうにか目処がつき始めた。真にヒアリング能力を問われている。ヒアリングのレベルがシステムの質を決めるのだ。限られた予算と時間でシンプルで分りやすく拡張性のあるシステムを・・・これは当然の要求である。どんな企業でもまだまだシステム化が実現していない部門が多い。それは企業環境がどんどん変化してゆき、流動的な業務のために大きな予算を割けないからだ。もちろん、経営システムの問題もあるだろうが。移ろいやすいユーザーに細やかな対応をし続けて行きながら自社の成長を確保することは厳しい・・・。だからやりがいがある。
March 16, 2004
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待ち時間を帝国ホテルのロビーで懐かしく過ごした。和服姿のご婦人方が三々五々和やかに連れ立って何処其処で談笑している。きっと日生劇場の蜷川幸雄演出・寺島しのぶ主演「 近松心中物語 」の帰り・・・と思った。まるで別世界に来ている感じである。その後は隣のビル7Fで延々3時間にわたる、丁丁発止の交渉&打合せ。疲れた、そして充実した時間であった。厳しい条件だが<ものにするべく>誓い合って、それぞれの待合せ場所、新橋と数寄屋橋へ別れて向かう。
March 15, 2004
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提案書が通り上京することになる。季節の関係、入学就職の時期と重なりチケットが取れず一日早く入ることになった。セガレの春高バレーで代々木体育館に行ってから丸二年になる。あの折は代々木公園の桜は既に満開で、各高校の応援ののぼりと共に春の突風に散り始めていた。東京にいる長女と長男にも会える。昨年夏父の十三回忌で帰省したからこちらは半年振り。それぞれ仕事と大学で新しい展開が始まるという。出来れば親子三人で、下北沢の劇場の裏の二階にある居酒屋で久し振りの乾杯をしたいものである。いつの間にか、親子で居酒屋で会える時期が来ていることに驚きと嬉しさを覚える。これで福岡にいる下のセガレが揃えば、これまた<いとうれし>となる。
March 12, 2004
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書棚の前に飾られたお雛さま。昨夜風呂を上がり、小さな花瓶に挿されている菜の花の隣にお神酒を添える。今朝はそのお雛さまの前を我が家の猫トラが歩き回っている。今日は地元市役所を訪問打合せして出社予定。月曜日朝にこの時間まで(午前8時)自宅にいると贅沢な朝を楽しめる。
March 1, 2004
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明日から3月、きっと今夜は我が家にお雛さまが飾ってあるだろう。お雛さまの季節を思うと、我が家の第一子長女が誕生した頃を思い出す。3月生まれで病院から帰ってきた日、玄関脇の花壇にはチューリップが色とりどりに咲いていた。
February 29, 2004
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久し振りに犬のゴンと一緒に大淀川堤防まで散歩に行く。少し歩くだけで汗ばんできた。川面を眺めていたら大きな魚影が動いた、やはりあの鯉は未だいたのだ。一月に散歩に来た折にチラッと見えた影は鯉、それもかなりの大きさだったから気になっていた。
February 21, 2004
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いい仕事とは・・・。20代は夢中になれる仕事であれば良かった。30代、手応えがあり力がつく仕事であればよい。40代、役立つことが見える仕事が一番である。50代、様々な体験を経て何か一つ残せる仕事をしておきたい。さて、今はどうだろうか?まだまだやりたいことが沢山ある。何を次に引き継げるか、その引き継げるものを仕上げる時期である。まだまだ時間が掛かりそうである。
February 14, 2004
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春高出場を決めたあと未だ体育館を訪ねていない。明日は行って見よう!多忙で余裕なかったのだが、妻が<選手達にカゼを移さないように>とも言うので少し我慢していた。体調も大分回復してきた。仕事は相変わらず色々重なり過ぎなので、再度リストの整理をして繰り延べるものを決めることにする。何でもやるので、見境なく仕事が飛び付いて来る。下期計画大幅修正だ。
February 10, 2004
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