臼杵山 真言宗 総本山 天光寺 - 本来の自分を見つけてみませんか?

PR

×

プロフィール

住職 高尾聖賢

住職 高尾聖賢

カレンダー

キーワードサーチ

▼キーワード検索

コメント新着

コメントに書き込みはありません。

お気に入りブログ

まだ登録されていません
2019.09.12
XML
カテゴリ: ● 感想文

振り返ってみると、あっという間の一泊二日だった気がする。修業とは何か、どのような事をするのか、よくわからないまま始まった。

合掌や挨拶などから教わり、一つ一つにちゃんと意味があることを学ぶことが出来たと思う。単語だけ知っていた言葉や聞いたことあった言葉についてちゃんと知ることが出来たものあった。だがまだまだよく分からない部分も多く、もっと知ってみたい、学んでみたい、という気持ちが大きくなった。

昨日言った滝行は、自分の中で悔しさが残る。滝の水、勢いに思わずやられ、滝から少し離れた位置での修行になってしまった。次回、リベンジを果たしたい。そして、これはあくまで五感が感じているだけである。という認識、考えをしることが出来た。これは私にとっては大きな発見だ。肉体が感じているだけであり、魂とは別のものだ。肉体からの情報はもちろん大切だが、それに左右されないようにすること、あくまで肉体が感じてるだけだ、という認識を持つことで忍耐力や強さ、精神力を高め、大きく発揮できる可能性があることを学ぶことができた。「貧」「じん」「痴」という段階についても教わった。自分の気持ち、感情について再確認し、その感情をもたらすこだわりは何か原因はなにか、という思考の過程を踏むことは、現在の自分が行う思考の方法と似ている部分もあると思った。自分の中でこういう考え、価値観があるから、このような感情になっているんだといったものだ。

「貧」としてこだわりがありからとされるが、その持つこだわり、持たなくてもよいこだわり、そこのバランスは難しいと思った。確かに何のこだわりも持たないのなら、感情の起伏もなく、ある意味穏やかに過ごせるだろう。けれど、何のこだわりも無いと言うのは、自分の今生きている人生において、つまらなくなってつまらなくなってしまうのではないか、とも思う。感情はついてくるけれど、もたらされる感情は決して自分にとってマイナスな感情だけではない。こだわり=よくないもの、ではなく、こだわりから感情、感情からこだわり、など多くの生活経験の中で行き来することで、譲れないもの、大事にしたいものを見つけ、自分のなかの求めるものに近づいていけたらよいのだと考える。今回、色々な事を体験させていただき、非常に良い経験ができた。この学び、経験をこれからの生活、思考に反映してみるなど活かして行きたい。ありがとうございます。







お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2019.09.12 11:47:39 コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: