氣功講師 春喜のブログ

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2016年03月22日
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カテゴリ: とりとめのない話
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25日金曜夜は、毎月恒例「かわだ生音夜会」。翌日26日土曜は、【ゆるパフュ〜ゆるくPerfume上映会〜】、そして~4月2日「Jewel」コンサートと、連日楽しいイベント!


自分の家で、コンサートにアコースティックライブに、Perfume上映会~いろいろな使い方が広がっていく~!この状況がたまらない(^^)


この広がりは~引きこもりな性格で、めんどうくさがりな僕にはできなことで、Warashi Caféを面白がってくれる皆さんのおかげ。


ありがたいな~



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去年のリノベーションや、ゆるい移住の家探しなんてことで、去年から家について考えることが多かった。


「僕にとって、家とは何ぞや?」って。


ゆるい移住のメンバーと話をしていると、「家は負債だ」なんて話が出てくる。





「家は負債」と考えると、家一軒にかかるランニングコストはなかなかなもので、家を持つことも、借りることも、出費を抱えることと同じだね~


ま~それは、家が住むだけの物って視点で見ればだが。



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我家は、民家の造りではなく「商家」の造りなので、一階前面の天井が高く間口を広く取った、商売をするための造りになっている。


祖父の代からこの家で商売をしてきたので、「家が生活の場」であり、「商売の場」であり、「収入を生む場」でもあった。


7年ほど仕舞屋だった尾花屋も、去年のリノベーションで洋装店からCaféへと形は違えども、人が集まり、くつろぎ楽しむ場となり、そこにいくばくかの収入を生み出す「商家」のあるべき姿に戻った。


そういう意味では、僕にとって我が家は「負債」ではないのかも。



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遠い先ではない10年後、新築の家の着工戸数は半減すると言われている。


少なくない数の若者たちが、「自分の家を建てる」的な願望?を持たなくなるので、その数はもっと減るかもしれない。


一般的な個人、家族が個の単位で家を維持するのが難しい時代が来るので、間違いなく「家に対する新しい考え方」が浸透するにちがいない。





考え方とは、「所有しない」「個性で住むところを選ぶ」「古いものを活かす」「共同体で住む」「田舎に住む」などなど・・・


三月末に終了する「ゆるい移住」、結果5~6人が移住を決めたようで、住むところ・住む場所も決定したよだ。


彼らの今後の住み方が、きっとこれからの時代の「家」に対する新しい方向性を指し示しているのだろうと思う。


それは、新しい考え方のさらに先を行くものになるんじゃないかと思っている。


で~僕は、彼らのような若者たちから刺激を受けつつ、この家の活かし方をさらに試して行こうと思うんだな。







築98年目の我家の、一般的な資産価値は無いに等しい。維持には出費が必要なだけで、あるいみ「無駄」を抱えているようなものだ。


その、無価値な我家のあり方について考えたすえ、去年の今頃リノベーションに取り掛かり始めた。


そのころ、まさか我家で70人規模のコンサートを体験するとは思いもよらなかったが・・・


いままで「無駄に広い」としか思っていなかった我家が、思いもかけない「ポテンシャル」を持っていたんだな~


これは驚きの体験で、いままで「無駄」と思っていた空間にいろいろな可能性があると気付き、さらに僕の思いもよらない使われ方が始まっている。


それは「家」についての新鮮でエキサイティングな経験だ。


今、いろいろな方から受ける我家へのお言葉は、評価額でも築年数でもなく、「どう使われるか」が重要なことを教えてくれる。



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店を改装するにあたって考えたことが、あるいみ「パブリック」な場所として使われるようにすること。


本来家は、「家族」のものであり、憩いの場で「パーソナル」な場だが、すでに「オープンな家」的な発想が始まりつつあるんじゃないかと思うんだな。


時代とともに家を中心にした「大家族」が解体され、それぞれが住む「家庭」になり、それが「個」にまで分解され、その「個」が新しい「群れ」を作る。


その場が、新しい姿の「家」なのかもしれない。


その「群れ」も、それぞれが一つの家にとどまる必要は無くなり、その時々に「住みたい場所の家」に住み、「住みたい形態の家」に住み、時々に流れるように居を変えることもできる。


「群れ」は、その時々に構成される人たちにより雰囲気を変えるので、いつまでも新鮮で、いろいろな感覚や情報や体験がシャッフルされる場になり、そこで「何か」が生み出される土壌にもなるんだろう。


家はただ単なる入れ物になるが、それを維持するために、それに適応したものが「家守り」になり、そこに住むべき意味を見いだした者が「家主」となればいい。


ま~これは、極端な考えで、家族だの家庭、仕事や収入と言うことを度返ししているけどね。


でも、確実にそのように生きる人たちは増えると思っている。



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思えば、我家はすでにそのような家になりつつあるのかもしれないな~もうすぐ築100年だが、あと100年もつ家にしたいと思っている。


僕は子供がいないので、後を継ぐ者がいない。なのに~これから100年?


それは、いろいろな人達が出入りし、いずれは群れとして住むようになれば、その中で「家守り」が現れるに違いないと思っているからだ。




天合流氣功のホームページ
http://tengouryukikou.com







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Last updated  2016年03月23日 00時30分38秒
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