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事件は終わっていません
「糾す会」のメール、第446号と447号が先日、
私の所へも転送されてきました。そしてそれを読んで、
私は本当に驚きました。日本聖公会という教会は、教会
の法規を守らなければならないということを、まったく
認識していらっしゃらないようです。3月3日の管区小
審判廷の審判をまったく無視して、「もう終わったこと
を蒸し返すな、裁判も終わったことだろう。なぜ、蒸し
返すのだ」とおっしゃった方がいるようですが、あの管
区小審判廷の審判で、この問題の審判が終わったわけで
はありません。まして、最高裁判所の上告却下で高等裁
判所の判決が確定したからといって、問題が解決したわ
けではありません。
女児に対する現職司祭の性的虐待事案に関して、一貫
して加害司祭を擁護してきた人々の責任は、追求されな
いままで時が過ぎていますし、あの審判で審判が終わっ
たわけでばないことは、「差し戻す」という言葉ではっ
きりしています。あるいは、高等裁判所の判決が確定し、
慰謝料が支払われたということで、審判が終わったわけ
ではありません。日本聖公会が、キリストの教会として、
裁かなければならないことを、日本聖公会の法規に従っ
て、きちんと裁かない限り、問題は終わっていないので
す。教会の歴史は、日本聖公会京都教区の奈良教会で起
こったようなこと、つまり事件を教会員にたいして隠蔽
しようとすることを徹底的に排除してきました。それは、
事件を隠蔽することが、被害者に対する2次的3次的加
害行為になりかねないからです。
メールの第447号を読むと、あの教会は、「糾す会」
の方々がビラを撒こうとされたら、警察をお呼びになら
れたことがあるそうですね。教会としてあるまじきこと
です。日本聖公会はいつから国家権力の庇護を得ようと
されたのでしょうか。日本聖公会は、平和についても人
権に関しても、積極的に発言してこられているのではな
いでしょうか。にもかかわらず、現職司祭による女児へ
の性的虐待事案を隠蔽し、それに関する管区小審判廷の
審判を告げるビラを配ろうとした方々に対して、考えら
れないような行動に出たそうですが、日本聖公会の、平
和や人権に関する委員会は、何故こうした異常な行動を
問題に為されないのでしょうか。
日本聖公会の管区小審判廷は、こうした事態をどのよ
うにお考えになっていらっしゃるのか判りませんが、常
識的に考えれば、「もう終わったことを蒸し返すな、裁
判も終わったことだろう。なぜ、蒸し返すのだ」という
発言に対する排除勧告をすべきなのではないでしょうか。
でなければ、管区小審判廷の審判がまったくその力を発
揮出来なくなってしまいます。少なくとも、こうしたお
粗末な発言や行動が、被害者とそのご家族に対して、二
次的に虐待していることは間違いありません。「被害者
の家族をここへ連れてきなさい」と発言した方までいらっ
しゃったという情報も得ていますが、言語道断の発言で
す。被害者とそのご家族を裁こうとされているのでしょ
うか。やはり、日本聖公会の管区もしくは主教会が責任
を持って、差し戻し審を指導しなければ、結局はまた、
京都教区の審判邸で同じことが為されることにしかなら