Terroir
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Côte d’Orの村で一番グランクリュの数が多い村は実はVosneでもMoreyでもなくこの村で、この結果は有る意味1930年代後半のブルゴーニュアペラシオン策定に当たっての一番の失敗であるように思う。 勿論グランクリュの策定にあたっては歴史的な意味に加え、所謂porte drapeauと呼ばれる過去にその畑から作られたワインが近隣の著名なクリマの名を付けて出荷され消費者に認められていたかと言う言わばcote d’or独特の慣習も考慮され、このある意味優良誤認的な慣習に一番影響を受けたのがこの村だ。端的に言うと村内のかなりのワインがChambertinで売られアペラシオン策定の時にどこまでChambertinとしてのグランクリュを認めるかで苦慮したのだろうと容易に想像できる。 VosneやMoreyのようにdistinctな性格を持ちかつ秀逸なグランクリュが複数(しかも多数)存在するのとは違いこの村のグランクリュはほぼ全てがchambertinを頂点とし他は同じ性格だがChambertinの劣化コピーの集合体だからだ。歴史的に特別の価値を持つChambertinとClos de Beze以外のクリマをグランクリュに認めないとなると、村の大半を敵に回す事になるので結果、この村に於いてはClos de BezeとChambertinだけは真の特級、他はそれより下の格のなんちゃってChambertinとして決着を付けた。その違いは今も収量規定の違いに残っている。この畑もそのなんちゃってChambertinの一つ。Chambertinに隣接するものの畑は平らで谷の直下にあるため(等高線を見れば一目瞭然)冷涼な年は難しいとされLavalleでは2級格。このワインも決して悪くはなく作り手もまあそれなりに秀逸なのだがやはり軽さ、薄さは否めず、普通にちょっと美味しいワインの範疇に留まっている。この畑を含めて幾つかのクリマがChambertinは晴れてグランクリュの栄誉を受けたがこの村のもう一つの優れたクリマ、Clos St. Jacqueは歴史的に優れたクリマとしての評価にもかかわらずグランクリュに選ばれなかった。これもアペラシオン策定の大きなミスだと誰もが認めるだろう。その理由として、この畑のワインは歴史的にChambertinとして売られず、更に1930年代後半のアペラシオン策定時にこの畑を所有していたのがComte de Moucheron単独で(現在の所有者はここから1954年に買っている) 何らかの理由で言い含められゴネなかったか或いは政治的力がなかったからのではないだろうか。まあ、あくまでも推測だがアペラシオン策定の過程を考えると中々面白い。 余談になるがこのなんちゃってChambertin方式、妥協案で有るが、結構当事者間に軋轢を起こさずうまくいったのでMontrachetでも採用され、BatardやChevalier等のなんちゃってMontrachetが誕生した。それから90年、今やなんちゃってMontrachetやなんちゃってChambertinが立派なグランクリュとして通用しているのを見ると何となく複雑な心境だ。
2023/06/16
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