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愛は 孤独 そういいきってしまえば寂しく聞こえるかもしれない。
それはこのましい「ある状態」にすぎないのだろうか。
人はどこで愛してると「いうこと」を学ぶのだろうか。
あまりにもそれを伝えることにとらわれているかもしれない。
そしてそれは空気のようにそこに存在して、一喜一憂させる。
長い間、それはある種の理解だと思っていた しかし無理なのかもしれない。
あるいはそれは孤独を霧消させてしまうものだと思っていた。
それもいまどきのお子様でさえ呆れてしまうほど子供じみた幻想なのかもしれない。
ましてや癒しでもなく、そういった回復の試みのような、愛のなにかしらの機能、快、快といったありきたりのなにかしらのものにまつりあげられていたにすぎないのだろうか。
愛という雰囲気につつまれた気配というものに、美化してしまうだけなのだろうか。
「愛している」という「言葉」につまづいたとき、なにかしら不変な事柄のような印象が拭い去れない。
「孤独」という「言葉」のいすわってしまっているような「不変さ」に比べると、どこかしら似た部分を感じてしまう。
一方で「愛されている」ということも常時、おこがましい状況なのかもしれない。「過信」や、その「稀有さ」というものを見据えると、その在り難い状態の「重さ」や、むしろ軽快な軽薄さのほうが好ましい雰囲気であったりもする。
「存在の耐えられない軽さ」「愛と同じくらい孤独」
二冊の本の間で、いくつも、かもしれないと、感じた。
いずれにしろ「敬意」のような「婉曲」なくして、それははかないものであり、また確固とした色褪せないものであり、私は後者であると、確信してかなり長い時間がすぎたように思う。
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