グリーン・レクイエム (2)


「行って来まーす!」
僕はリュックサックを背負い、家を飛び出した。
 空はとても綺麗に晴れていた。風は少し吹いていたが、陽がぎらぎらと照りつけている。今日も暑くなりそうだ。
 僕は一度大きく伸びをして、それから走り出した。駅に向かって。別に待ち合わせの時間に遅れる、という訳ではないのだが、ただ何となくそうしないではいられなかった。
 道行く人と挨拶を交わす。皆挨拶を返してくれた。こんななんでもない事が、もっと僕の心を躍らせる。
 駅に着いた時、そこにはまだ真波ちゃんしかいなかった。
「おはよう、真波ちゃん。」
声を掛けると真波ちゃんは僕に気付き、片手を挙げて軽く振った。
「おはよう、木葉。早いね。」
「真波ちゃんこそ。」
僕はそう返し、笑った。真波ちゃんも笑った。
「そうだね。何か凄くわくわくして、早く起き過ぎちゃったんだ。早いかなって思ったけど、気が急いてゆっくりしてられなかったから、三十分も前に来ちゃった。」
「ああ、分かる分かる。僕もね、そんな感じで。ここまで走って来たんだよ。」
真波ちゃんはくすっと笑った。
「早く橘夏ちゃん達来ないかなぁ。」
「きっともうすぐ来るよ。」
僕がそう答えると、「おーい」と呼ぶ声がした。建城兄と橘夏姉が歩いて来るのが見えた。
「二人共、おはよう!」
僕が叫ぶと、建城兄は満面に笑みをたたえた。
「二人共、早いな。悪いな、待たせて。」
建城兄は凄く嬉しそうだ。けれど、僕の気のせいだろうか、何故か少し悲しそうにも見えた。
「建城兄…?」
「ん?何だ?」
「ううん、何でもない。」
訊いてみようと思ったけれど、建城兄の声が明るかったので、訊くのを止めた。見間違えたんだ、きっと。
「橘夏ちゃん、どうしたの?」
真波ちゃんの声に、僕は橘夏姉の方を見た。橘夏姉はひどく暗い表情で、ぼんやりと立っていた。
「え、ああ、何でもないわ。ちょっと考え事してただけよ。」
橘夏姉は慌てたようにそう答え、微笑んだ。真波ちゃんはそれで納得したようだったけれど、僕には妙に気になった。橘夏姉が、いや橘夏姉だけではなく建城兄も、何かおかしいと思った。
 運命の歯車が、ゆっくりと回り始めた。いや、実際は、もっと以前から回り始めていたのだ。悲しい結末に向かって。
 僕はこの日を、一生忘れないだろう。

 建城兄の強い希望で、四駅程離れた所にある山に登る事になった。その山はあまり高くはないけれど、木々がまるで樹海のように生い茂っているので、地元の人でも滅多に入らない山だった。そんな危ない所に建城兄は以前から行ってみたいと思っていたそうだ。
 それでも、僕は建城兄がいるから大丈夫だと安心していた。多分真波ちゃんも橘夏姉もそうだと思う。実際、危ない事は何もなかった。時折蛇が出てきたりしたけれど、建城兄が全部追い払ってくれた。
 お弁当もおいしかったけれど、山の中に生えている木の実もおいしかった。ぐみの実なんて、僕は初めて食べた。
 僕は建城兄の体を心配していた。けれど、全然大丈夫そうだった。いつもより楽しそうで、きつそうには見えなかった。きっと、病気はもう治ったんだ。そう思う程、建城兄は元気だった。橘夏姉や真波ちゃんは最初この山を気味悪がっていたが、今ではそんな様子もなく、はしゃぎながら歩いている。皆が楽しそうで、僕も嬉しかった。
 けれど楽しい時間はそう長くは続かないもので、少しずつ陽が傾いてきた。途中で遊び過ぎたせいか、僕達が頂上にたどり着いた頃にはもう夜が近くなっていた。
「…まいったな。」
頂上から下を見渡しながら、建城兄が呟いた。
「どうしたの?」
僕が駆け寄ると、建城兄は難しい顔をしていた。
「この分だと、日が暮れるまでには下りられないぜ。」
「そうだね。どう考えても無理だよ。」
真波ちゃんも頷いた。少し青ざめた顔で。
「どうしよう…。」
今から下りても、きっと迷ってしまう。簡単な登山だから、キャンプの用意もしていないし…。流石の建城兄も、決めかねているようだ。
 途方に暮れている内にも、陽は紅を増していく。それは僕達の焦りを募らせた。
「あの…。」
不意に橘夏姉が口を開いた。
「この辺りに人が住んでるって聞いた事があるんだけど…。」
 皆が一斉に橘夏姉の方を向いた。橘夏姉はちょっとびっくりしたみたいだ。
「本当か、橘夏?」
建城兄が訊くと、橘夏姉は大きく頷いた。
「ええ。こんな山に住んでるっていうのが気になったから、覚えていたの。確か頂上近くだったはずよ。」
建城兄はパチンと指を鳴らした。
「よし。じゃあその人の家を探そう!」
 僕達は山を下り始めた。皆が笑顔だった。真波ちゃんは安心したような、橘夏姉は少し疲れが滲んだ笑顔。でも…、建城兄のは、不思議な笑顔だった。何とも言えない…、僕は、少し怖く感じた。

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