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長い間更新をしていませんでしたが引っ越しをすることになりました。引っ越し先はセルフラーニングの日々です。8年目に入ったNPOであるOKINAWAセルフラーニングネットワークの公式ブログ(?)として新しくブログを作りました。2004年春、糸満在住のHさんが主宰する、お母さんのプチ起業講座という講座を受けたところ3度目だったかの課題が、この楽天ブログを作ることでした。パソコンは使っているもののほとんどわからず夫もわからない分野なので、見よう見まねで作ったブログでした。このブログで発信しながら翌年の春に念願の小さな本「教えない教師ができるまで」を作りました。ブログを通しての出会いもありました。どれも大切な友人との出会いです。娘がイギリスで読んでいたこともありました。年取った義母が見ていたこともありました。読んでくださったみなさんに心からのありがとうをお伝えします。そして引っ越し先にも遊びに来てください。お待ちしています。
2008.04.02
8月、前期試験が終わってから、自動車教習所に通い始めた娘。キャンセル待ちをするんだと言って、私の帰省中もなかなか、一緒にいる時間がなかったのですが、昨日、ようやく卒業検定に合格。今日は無事学科試験にも合格したようです。おめでとう!!私が免許を取ったのは、30歳の時。娘が3歳、息子が1歳半の春でした。沖縄と言うところは、バスがなかなか時間通りに来ないのだと知って、タクシーもそうそう使えないし、やっぱり免許がなくては…でも、子どもが小さかったので、なかなか決心がつきませんでした。そんなとき、浦添自動車学校(今はもうない?)が託児をしているよと聞き、二人のおちびを連れての、自動車学校がよいがはじまりました。いやはや、はじめて他人に預けた子ども達の泣くこと、泣くこと。学科の授業のある教室の裏が託児所で、わ~っと泣いている声が聞こえるんです。聞き覚えのある泣き方。「ひえ~、うちの子だ」が、ここは覚悟を決めて、と学科に集中。その後、ここで、こどもたちは水疱瘡をもらい、今度は母が風疹をもらい、その度に長期のお休み。年齢万円と言われていましたが、だいぶオーバーしたような記憶があります。それでも、夫が「大丈夫、何回試験に落ちても、免許には書かれない。とってしまえばコッチのものだぁ」どうも、夫も免許を取るには苦労したフシがあります。そんなこんなで、18年が過ぎました。今は、運転けっこう上手い(?)と思っていますから、慣れるというのはオソロシイ。娘さんよ、事故だけは起こさないように。ちょっとゴツンは、よくあるけれど、人にぶつけないようにね。保険屋さんにも、さっそく連絡をして、うちの車の年齢設定を下げてもらいました。飲酒運転が問題になっています。普通に生きていれば人を殺すなんてあり得ないけど、車だけは別。ちょっとだけ気をつけて、今日も車を動かします。
2006.09.20
沖縄はクーラーがいらない涼しさでした。台風の後、風で葉っぱが散っていたり、ベランダのサンダルが遠くにとばされたくらいのことでした。あちこち被害がすごいなと思いつつ、そうだ、車。車の洗車をしなくては。沖縄は塩を含んだ風が吹くので、台風の後は洗車をしないと、さびが出てしまいます。と言うわけで、夫と私の2台の車を、一台ずつ近くのセルフサービスのスタンドへ。無人洗車機と言うらしいですが、機械でお金を払って、定位置まで車を進めると、自動的にブラシの親分がドーッとやってきて、洗ってくれるヤツ。ワックス洗車で500円と安いからか、自分でできるのが面白いからか、列ができるほどの混みようでした。ホンの数分で終わるので、後は、おいてあるタオルで磨いておしまい。私の車は、この際とシートカバーをはずしました。ミラ・ジーノというちっちゃいけど、4ドアの車です。買ってから6年になります。この車を、来年の春、娘に譲ることにしました。免許をもう少しで取りそうな娘が、「車ほしい」というので…実家の両親と暮らしている娘が、車を運転できれば、両親は楽なはず、と言うのと、どうせ車を買うのなら、二人で2台というのはムダだからと言うのと…私がこの車を買うまで、ずっと一台の車を使っていました。夫の車は仕事場に止めたままなので、それでよかったのです。帰りはバスだったり、頑張って歩いたりと、そっちが健康的ですよね。環境問題を考えると、なるべく車を使わない方がいいはず…と言うわけで、ちょっとはきれいにして娘のところに送ろうと、頑張ってシートカバーをはずしました。100円払って、バキュームというのも初体験。100円で6分間掃除機が使えます。終わって出てきたことば「面白かったね」どうも私は無人洗車機で面白がってしまう人なのですね。ぴかぴかの車は、なかなか嬉しそうでした。
2006.09.18
なんと言っても沖縄ですから、なかなか秋になりません。それでも、台風13号が行ってしまったので、少し涼しくなりました。台風より一足早く、帰省していた子ども達が、帰っていきました。帰り着いたとたん「涼しい」というメール。バーゲンで半袖のポロシャツをいっぱい買った息子は、あまり着る機会がないかも…名古屋はきっとあっという間に寒くなるよ~娘は手頃な値段のブーツを買っていったから、きっと、寒くなるのを楽しみにしていることでしょう。さあて、これから、また後期がはじまります。講演会の企画があったり、来月初めの東京行きが待っていたり、モードを切り替えなくては。そんなわけで、デザインも少し秋らしくしてみました。
2006.09.17
沖縄はお盆です。本当の旧暦で行くと、今日は7月14日。台風が三つも来ているらしく、お盆の入りの昨日は、一日中雨が降っていました。夜になると、どこからともなくさんしんの音がして、若者たちのエイサーがはじまります。家々を回って、ご先祖様の霊を慰めるのでしょう。長かった前期が終わり、先週試験をして、ようやく採点が終わりました。今日、成績を出しに行ったら、私の夏休みがはじまります。息子はレポートを出して、名古屋のアパートの掃除をしている様子。新幹線で水曜日あたり、実家に行くそう。娘も試験が終わり、この夏は運転免許を取ると学校がよい。それに、塾の先生のアルバイトをはじめたようです。夫は、まだまだ試験と評価が残っている…おとうさん、頑張れ!明日、実家に発ちます。自分で自分に出した、夏休みの宿題を持って。充実した4ヶ月でした。ずいぶんと苦しいこともあったけど、終わってみればみんな自分の糧になっています。さてさて、どんな夏休みになることやら。
2006.08.07

生まれて初めて「書き下ろし」なるものを体験しました。名前を書いて、「目を見てください」と言われて、西やんの目を見たら、インスピレーションで、こんな風に書いてくれました。様々な色を知り様々な色を愛していく。冨美子のその営みがあって救われる人がいるその思いを届け続けて。西やんが書き下ろしをはじめたとき、3人目の人が、書いてもらったものを見るなり、泣き始めてとても驚いたそうです。実は私も、書いてもらったものを見たら、うっすら涙が浮かんできました。感動、というのでしょうか。西やんありがとう!
2006.08.01
久しぶりに和菓子を作りました。フランス語を教えてくれている留学生が、今月で帰国だからなのです。先月、ついつい「和菓子を作ってくるね」と約束してしまったのでした。昔、沖縄で食べる和菓子のおいしくないのに閉口して、友だちに習って作った桜餅。今は、それなりにおいしい和菓子も手にはいることもありますが、手作りの方が大きさや、甘さに自由が利いていいので、たまに作ります。特に、外国からのお客様の時は、必ず作るのですが、最近はとんとご無沙汰でした。この暑いのに、春の和菓子だよ、と思いながら、汗が垂れてこないようにタオルを首に巻いて、台所で奮闘している姿はとても見せられません。それでも、夕方から行ったフランス語の集まりでは、フランス人がとても喜んでくれました。「レシピ欲しい?」と聞いたら、欲しい欲しいと…だが、あんこや道明寺粉、それに桜の葉っぱが手にはいるとは思えないんだけど、ま、いいか。外国語を勉強していると、外側から日本を見る視線を手に入れることになります。そして、時々、季節を大事にする日本の文化がとてもいいなと思います。
2006.07.21
1年前になりますか、突然取材の電話がかかってきました。「テレーズ先生が教えない教育というのをやっているといたので…」なんだかわからなかったけど、紹介してくれた人をよく知っていたので、アフタヌーン・ティーで編集の方に会いました。その頃の私は、自分がやっていることを人に伝えるのが、結構大事だと思っていて、一生懸命話をしました。そして、一週間後、編集長のMさんが大学に取材に見えました。お連れ合いとそれから、2才の息子さんと一緒に。子連れ取材です。フランス語の学生たちは大喜び。一瞬緊張しましたが、やがて、いつものように授業をしました。その記事が、ちゃんぷる~に載りました。NO6。テーマは「新しい教育が沖縄の希望となる」それから一年余り。「記事を書きませんか」とお誘いを頂きました。声をかけていただいてとてもうれしかったのです。そして、最新号NO10に載せていただきました。一年間、4回の連載だそうです。季刊と知らない私は、どんどん原稿を送って、止められましたが…ちゃんぷる~良かったら読んでください。沖縄の陶芸と染色の特集で、写真がとても美しいのです。本屋さんにはあまり置いていないようですが。連載のタイトルは、「新・教育の現場から~教えない教師が行く」となりました。今日の日記は宣伝で~す^^
2006.07.09
毎週水曜日はO大に教養数学を教えに行っています。教養数学ってかっこいいのですが、らくだ教材というセルフラーニングの教材で、学生たちの数学の手伝いをしているようなものです。だって、ほとんどの学生が自分でやっているのですから。私の仕事は、何枚やってもなかなかできないという学生に、でも、タイムは短くなってるよね、と言ったり、どうする、と言ったりすること。学生たちが自分で先を決めていきます。何しろ、面白いのです。で、山のようなプリントを片付けてかえってくると7時半。夫は水曜日は会議の日なので、同じ頃に帰ってきます。疲れて、外食でもと思うけど、運転手の私が飲めないので、簡単でも家で作ります。居酒屋のように、枝豆、きゅうりのキムチ、イカの塩辛を並べておいて、昨日は鶏の塩焼き。レモンを切って、キャベツをバター炒め。料理をしながら、時々夫のビールを横から飲んでました。それから、ワイン。最近は、夫が飲むときはつきあうようになって、自分用のワインを買ったりしています。私が良いに任せて、らくだ教材のおもしろさを話し始めたら、夫が負けずに相対性理論の話を…夫は物理を教えています。専門は理論物理…で、私はといえば、物理はちんぷんかんぷんなのですが…大学一年生にもわかるように、相対性理論を講義しているらしく、どの程度理解できるかが、私で試されているらしい…ふむふむと拝聴しています…理学部に進んだ息子が時々「おかあはわからんかも知らんが、おとうはすごい学者なんだよ」と言います。確かに、高校時代物理30点の私に、相対性理論が理解できればすごい!最近英語で本を読むのに凝っている夫は、話題の「ダ・ヴィンチ・コード」を読んでいるのですが、これがまたしょっちゅうフランス語が出てくる。今度、フランス語習おうかな?と夫。お金のかからない夫婦ではあります。
2006.07.06
先週、夫と電気屋さんを冷やかしに行って、炊飯器を衝動買いしてしまいました。小さな炊飯器がほしくなったのです。これまで使っていたのは5合炊きで、そこに、1合や1.5合のごはんを炊くものだから、あまりおいしくないような気がしていました。何せ家族が減ってしまって、ごはんを食べる量が減ったんだから、致し方ないのですが…そして小さな炊飯器、なかなか可愛いのですが、予想通り、ごはんがおいしくなりました。ホントは、あんまりおいしいと食べ過ぎるから、おいしくない方がいいのかな~何て思いながら、白米がおいしいと思って食べています。健康のために玄米を食べる人も多いのですが、夫は苦手、私もたまに食べるのはいいのですが、いつもは白いごはん。それにしても、白いごはんとおみそ汁がおいしいと思うようになったのは最近のことです。食の回帰と言って、小さい頃に食べた食事が、年を取ると恋しくなるらしいのですが、確かに、毎日出てくるおみそ汁にウンザリしていた世代です。夫と「なんであの頃はみそ汁があんなにイヤだったのかな」と笑っています。好みは変わるのでしょうか。そういえば、小さい頃から納豆を食べなかったうちの子ども達、どういう訳か、家を出たら食べるようになりました。私達が食べているとイヤそうに見ていたくせに、「食べてみたらおいしかった」というのには笑えました。給食の納豆も、友だちにあげていたはず…これも大人になった証拠でしょうか??食べ物の好みは変わるものなのでしょう。好き嫌いが多いのは、目の敵にされるけど、そんなに頑張って矯正しなくてもいいのかも…こんなに食いしん坊の私ですが、小さい頃はうどんしか食べなかったと母が言ってますから…
2006.06.25

シャンソンにさくらんぼの季節というのがある。店先で見かける度に、その色の美しさに惹かれる。一度フランスでたらふくさくらんぼを食べたいと思っているが、なかなかその季節にはフランスに行くことはなく、秋田からさくらんぼを送ってくれる人が現れた。そんなわけで、さくらんぼを独り占めして食べている幸せ。友人の陶芸家・玉城弘一の粉引きのお皿に載せると、色が引き立って美しい。実はオムレツの講習会をめぐって、いらだちがつのっております。こんな時は、美しいものを見るに限ります。
2006.06.24
今日は慰霊の日。沖縄戦集結の日です。学校はお休みで、私の仕事もお休み。一日家で仕事をしていました。12時のサイレンの合図で黙祷。沖縄に来て初めて知った6月23日のこと。夫から聞かされた沖縄戦の話は悲惨なものでした。どこかで出会ったおばあさんは腕が曲がったまま。「カンポーさ」と言われたけれど、それが米軍の艦砲射撃のことであったと知ったのは、その後です。私の住んでいる前田というところも、ここを越えると首里に入るという攻防の要であったらしく、激戦地です。公園の隅に壕のあとがあり、夜な夜な赤ん坊を抱いた女の人がでると噂されていました。沖縄では戦争の話は至る所に残っています。沖縄生まれでない私にできることは何だろう。そんなことをずいぶん考えていました。ちょうど戦後50年の年に、PTA活動で、戦争と平和を取り上げました。子ども達のおばあさんに、ひめゆり学徒隊の生き残りの方がいて、お話しを聞くことにしました。それまでの私は、戦争の話と聞いただけで、その悲惨さが想像できて敬遠していたのですが、初めて話を聞いたこの時、私は別の印象を持ちました。それは、戦争を生き抜いてきた命の尊さでした。「アメリカの捕虜になるくらいだったら、自決せよ」と命令を受けて来たにもかかわらず、生きてしまったおばあさんは、ずっと、死にたいと思いながら収容所で小さい子どもの世話をしています。そこに、娘が死んでいないと知った父親が、何十キロも歩いてたずねてくるのです。「生きていてよかった」とお父さんが言ったとき、やっと生きていた喜びがこみ上げてくるのです。いのちの大切さ。おばあさんがいたから、お母さんがいて、仲間の有香ちゃんがここにいる。そのことの不思議に、勇気をもらいました。戦争は悲惨。でも、その影に生き抜いてきた人たちの勇気と、どんな境遇でも消えない愛があるのです。それは、静かな感動でした。この行事を終えて、私は、肩の荷を下ろした気持ちになりました。戦争と平和の事をきちんと学ぶことのできる沖縄で、子どもを育てたことをとてもよかったと思っています。戦争は国と国が戦い、戦闘機が飛び交って、かっこいいものでは決してなく、普通の人が、日常を壊され、逃げまどい、死んでいくものだと気がついてほしい。この世の中から戦争が消える日がいつか来るのでしょうか…そうなるまでは、6月23日の記憶を消してはいけないと思います。沖縄戦で亡くなった人は20万人以上と言われています。
2006.06.23
息子の高校のアルバムが届きました。が、それと前後しておかしな電話が…「間違いがありましたので、新しいものを作り直しますから、そのままにしておいてください」写真やさんでした。夫が電話を取ったので、余計混乱して、とにかく二人でアルバムを開いてみると、3年E組の息子のクラスに、わが息子の顔写真がありません!!左下のケンタが息子のところにも…つまりケンタが二つで、うちの息子はいない…そりゃないよ。誰かが通報(?)したんでしょうか。今朝、学校から電話があり、学校で校正をしたときには何の問題もありませんでしたので、印刷やさんのミスです。事務が交渉して作り直してもらうことになりました、とのこと。う~ん、不思議だな。怒りもちょっとあったのですが、不思議さが先に立ちます。アルバムって、確か一冊数千円を払ったはず。印刷やさんは大損でしょうに。何で気がつかなかったのかねぇ~印刷の間違いというのは、案外見つけにくいものです。院生時代、論文の校正は、先輩たちと何人もの目で見ていました。指摘されてみると「確かに。何でこんな事に気がつかなかったの」というような単純な間違いがあるのです。結構、そういう体験があるので、自分で印刷をするものは、なるべく人の目で見てもらうようにしています。印刷を仕事にしていなくてもこうですからね。プロとも思えない…原因が一人の人にあるのだったら、クビものだよね~しかし、考えてしまいます。よりによって何でうちの息子なの?200人もいるのに??こういうの、確率低いのですが、何で当たるんだろ。宝くじでも当たればいいのにさ。
2006.06.22
今日は午後からO大の授業。午前中は準備をして、軽く昼ご飯を食べたら、シャワーに入りました。沖縄は梅雨が明けて何とも暑いんです。30度を超えています。昼間はクーラーをかけない主義なので、汗が…ついでに髪を洗ったのがいけなかったようです。見事ぼさぼさの髪になっておったのを、本人は気づかず><;O大の授業は、大学生一人ひとりの個別指導なので、それぞれがプリントをやって、列に並んで私に相談をしにくるのです。で、二人目の学生、私の顔をまじまじと見て「先生、今日髪がぼさぼさだよ」数学のプリントに気を取られていた私は唖然…あ、そうなの…いつも、ほとんど個人的な話をしない学生だっただけに、なかなかにドッキリしました。O大の学生は、なんだか世慣れたヤツが多いのです。「先生に会いに来ました~」って言ったり…が、この子はそんな子でもなかったので、実は教師って見られているのねとあらためて感じた次第です。確かにね、胸の空いた服や、足が見えるスカートははかない主義です。なるべく、教師らしく見える服を着ているつもりなんだけど、美しくなかったか…もうそろそろ、美容室にカットに行こうかな。髪を切りたくなるような、沖縄の初夏です。
2006.06.21

沖縄の小さな旅をしてきました。沖縄に来て21年、初めて行った辺戸岬の海です。梅雨の沖縄だったはずですが、いいお天気で、遠く与論島が見えました。夫と二人、のんびりした時間を過ごしてきました。美しい海のおすそ分けです。
2006.06.18
沖縄は久しぶり青空がのぞいています。また、曇ってきたようでもあるけど…今日はこれから、夫とやんばるへ。リゾートホテル一泊で~す。なんと言っても、今日は結婚記念日。21年経ちました。このところ、いろいろあって、ちょっと骨休めしてきます。明日は帰ってくるんだけどね。お天気になると、何となくわじわじも消えました。人の生き方はいろいろですものね。自分のしたことは、後で全部自分に返ってきます。だから、人に甘えたり、よりかかったり、ごまかしたりしているときっと、後でいろいろと困ることになるでしょう。でも、もちろんそれはその人にやってくるので、私にはカンケイなし。人として誠実に生きていくことが、結局、その人の徳となるのですから。そんなことを思ったら、どうでもいいという気がしてきたから不思議です。気持ちもすっきりさせて、いってきます。
2006.06.16
R大のフランス語のクラスは、若者たちばかりなのですが、実は約一名おじさんが…年を聞いてみるとKさん、私より一つ若い…四十ウン歳。公務員を辞めて、医学部を受けて合格したらしい。そういう大学生はたまにいます。それはそれでいいんですが、彼はフランス語がけっこうできるのです。私は授業がやりにくいので、最初「単位はあげるから、来なくていいから」と言おうと思ったんですが思い直しました。仕事ですから。それに、状況が違う学生を教えるのは、それはそれでいいかなと思い直したのでした。まぁ、それなりにやっているつもりでした。この人、いつも一番前に座っているんで、どうしても授業の核になります。私の授業は、いつも、熱心な学生がいて、その学生を軸にやっていくことが多いのです。去年は、トーマス。中学の途中から学校に行かなくなったトーマスは、大検に合格し、R大に入学してきたのだそうです。そのためか、妙に浮いていました。「俺、あいつがイヤだ」と言ってくる学生もいました。まあまあとなだめたりもしました。親元離れて大学生。時に甘えたかったりもするのでしょう。私にべったりしているトーマスへの嫉妬もあったかも知れません。あいつがイヤだと言ったS君は、浪人したかったのに、親に説得されて大学生になったのでした。自分がゆらゆらしているから、トーマスが気になっていたようでした。話をゆっくり聞いて、S君もしばらくすると落ち着きました。そして、一年が終わる頃、トーマスは見事に、友だちと普通にコミュニケーションを取れるようになっていました。さて、おじさんの方はどうなんでしょうか。私も気にはなりながら、何とかやっていたつもりでしたが、先週回収したプリントに「Kさんを黙らせてください」と書かれていました。おやおや。やっぱり気になるか。私は赤ペンで「確かにね。でも、どうしてKさんに直接言わないの」と書きました。授業は私だけが作っているわけではありません。場というのはみなそうです。あなたの一言が、場を変えてしまうことがあるのです。きっとKさんも、浮いているのでしょう。自分の位置がつかみきれないのかも知れません。さてさて。私はどうしましょう。こういう場合、文句を言ってきた学生の対応が先です。さて、どんな話をしようかな。明日はインタビュー・テスト。ひとり一人フランス語の会話のテストです。でも、みんな今頃サッカー見てるよね。明日休むんじゃないぞ!
2006.06.12
昨日は月に一度のセルフラーニングネットワーク定例会の日。どうも、気が重かったのですが、いつものことで、人に会うと元気が出てくるのは不思議。今月は、「風のうた広場」との合同です。定例会はいつもの通り、参加した人がひとり一人話をしていくのですが、中身は何でもあり。子育ての悩みや、仕事のこと、最近読んだ本のこと、何でもいいのです。誰かの話に、誰かが反応するのが、面白い。ある人が、「心の病」の話をしたので、母の鬱病のことを話しました。ずいぶんと悩まされましたが、今はもう、母の病気は母のものだから、どうにもならないと開き直っています。先日「うつ明け宣言」もあったことだし…「テレーズさん、お母さんにどんな風に接したの」と聞かれるままに、最初とても悩んだこと。母が具合が悪いので「寝ていていいよ」というと、他の仕事が全部自分の肩に掛かってきて、だんだんハラが立ってきたこと。そうやって、いろいろとある中で、どうにか今のようになりました。大事なことは、どこかで、自分の思っているような母親には戻らないとあきらめたことかも知れません。そんな話をしていたのですが、最後にみんなで感想を書いて読み上げたとき、まったく関係ない話をしていたひとりのお母さんが、こんな風に書いていました。「私の母も実は鬱病で、それからアルコール依存症になりました。お話しを聞きながら、母にもっと優しくしてあげたいと思いました」この方は初めての参加でした。何かに導かれるように、大雨の中、3歳と1歳の子どもさんを連れての参加でした。このために来たのでしょうか。それはよくわかりません。でも、時々、神さまのいたずらを感じるのです。人はこうして自分に必要なところに行くのかも知れないと思います。私も、直観だけで出かけていった先に思わぬ情報があることが何度もあります。この方がどんな風にお母さんと関わっていくのか、知るよしもないのですが、お互いに幸せにあってほしいと思います。
2006.06.11
テレビではワールドカップ、イングランド対パラグアイの試合です。夫がビールを飲みながら、見ています。電話したら、名古屋の息子も見てました。コッチはビールは無し。見ていたら、フッと思いだした十年前。イギリスに住んでいたとき、子ども達の遊びはもっぱらサッカー。息子が「野球が好き」といったら、先生が、「おお、アメリカン・カルチャー」とイヤそうに言ったのが忘れられません。イギリスの学校の校庭は狭いのですが、歩いて5分のところに、サッカーコートが4面以上取れそうなひろ~い公園があって、体育の授業はそこでやるんです!小3の息子も、サッカー少年になってました。あ、イギリスではサッカーと言いません。フットボール。フランス語も同じです。そんなある日、散歩の途中でサッカー場を発見。うちから歩いて15分のところです。そして、試合のポスターが…「行きたい」と子どもたち。夫は娘と息子を連れて、出かけていきました。何でも切符が売り切れていたとか。地元チームが二つあって、その試合だったのですから、人気だったのでしょう。困っていたら、ダフ屋がいて、夫はよくわからないけど切符を買ったらしい。その切符で入場しようとしたら、ゲートで止められたとか。でも、どこからか人がやってきて入れてくれたそうで、なにぶん、英語がわからないから何が起きたかわからない夫と子ども達でした。そして、楽しくサッカー観戦をしていたら、途中で乱闘になったとか。観客も飛び出してきて、警官が出てくる騒ぎ。こんな時出てくるのは騎馬警官です。馬に乗っていると、高いところにいるので、威圧感あります。ちなみに婦人警官も多いです。「あ~すごかった」とみんなで帰ってきたのでした。翌日学校に行ったら、担任の先生も行っていたらしい。どうも先生も飛び出していったらしいよ…と息子の話。サッカーはとにかく人気のスポーツなのです。久々に思い出したイギリスのサッカー。あの頃、同じクラスだったこどもたち、きっと応援していることでしょう。マックスやマック・P、ジュマーオ、フィリップ、どうしているかな。担任のMR.Pは絶対ビール飲みながら見ているはず。掛けてもいい。イングランド勝ってほしいなぁ。
2006.06.10
仕事も軌道に乗って、何となくうつ気味だった4月から、復活の5月。6月は、働く月になりそうです。7月はじめに、NPO子育て支援ネットワークで、お父さんの料理教室「パパごはん」を開きます。もとはといえば、たまにはお父さんも子育てに参加してほしいという話から、何をしてもらうとうれしいかという話になり…たまに、お父さんにごはんを作ってもらいたいと…でも、そこはお父さん、普通のごはんでは、お母さんと比べられて…食べ慣れたものより、お父さんにしかできないごはんってどうだろう。そんな話から、とろとろのオムレツを作って、オムライスの上にのせ、ナイフで切るととろ~り…という、アレやりたいという話になりました。そうそう、オムライスの店を開いていた知り合いがいたよ、という話も出て、企画が通りました。そんなこんなの事務仕事を、最近一手に引き受けることになってしまいました。今日、社会福祉センターに会場の申請に行ったら、あっちコッチから声かけられました。あれ、子どものPTAをやっていたときの先生方がたくさん…あ、A先生。T先生も、M先生も…そしたら、なんと、「テレーズ先生、フランス語の先生ですよね」若い男の子です。確かに見覚えがあります。「あ、フランス語取ってたよね~名前なんだっけ?」顔は忘れないんだけど、名前がでで来ないあたり、年ですねぇ。今豊見城で小学校の先生をしているそう。ちょうどよかった。みなさんの勤務校を聞いて、チラシを持って行きますから~とお願いしました。何かおかしな日です。
2006.06.02
沖大での仕事の帰りに、繁多川公民館に寄ったら、NPO助成金の説明会があっていました。「人が誰も来ないのよ。テレーズさん、さくらやって。カレーもあるよ。」カレーの一言に惹かれて、説明会へ。夫の晩ご飯がいらないから、どうしよ~と思っていたところ。いいタイミングでした。本物の参加者が現れたところで、食い逃げです。那覇市の助成金。昔、審査を受けたことがあるけど、ダメでした。その時の恨みがちょっとあって、あまりやりたくないのよね~帰ってきたら、母から留守電。そういえば、最近電話してないと思い、電話をかけました。あら、何か元気になったみたい。母のうつがはじまってから、十年近くが経過しています。もともと、やたら元気な人だったので、気持ちが沈んでいるのを見るとまわりもつらいのです。だけど、こればかりはどうしようもない。見守るしかありません。何年か経つうちに、周期的にうつがやってきて、何ヶ月か経つと自然とまた元気になるのがわかってきました。そして、どうも、母は調子がよくなってきたようです。バロメーターは、デパートで洋服を買うかどうかなのだから、笑ってしまいます。おしゃれな母は、昔から高級品が好きでしたが、うつになるとまったく欲しくなくなるそうです。で、うつが明けると、買いたくなるんだって…私の買うものの、何倍もするんだけど。サマーセーターのいいのを見つけたそうです。「わたしゃ、元気になったから」とうつ明け宣言。しばらくは、ホッと安心の日々です。初めて心療内科に言ったとき、自殺したいと思ったことがあるというので、聞いていた父と私は心臓がひっくり返りそうでしたが、そんなこともなく、過ぎています。父の両親を介護して、唯一の楽しみだった娘(私)が遠くに来てしまい、なんだか力も抜けたんだろうか…と思ったりしたものですが。そんなこんなの梅雨明け宣言ならぬ、うつ明け宣言。沖縄の梅雨はこれからです。
2006.05.25
金曜日、糸満まで行ってきました。お目当ては、ハルミさんのcafe naminami糸満の公設市場の空き店舗を、頑張って改装してオープンしたカフェ。子連れで気軽にいけるようにと、子どもコーナーもあります。2月、オープン前に、セルフラーニングネットワークの定例会を開きました。変な集まりで、定例会なんて言っているのに、誰が来てもOK。平たく言えば、ゆんたく会です^^会場のハルミさんと運天さんも参加してくださって、いろんな話が聞けました。今度はオープンして初めてなので、お目当てはワンコインランチ。ホームページで見ていて、おいしそ~と思ってましたが、実際おいしかったです。いつもは市場のあんまーたちでいっぱいだそうですが、金曜日だったからなのか、珍しくお客さんが少ないよ~と迎えてくれました。子どもが小さいけれど、やってみたいとスタートさせたお二人に頭が下がります。今日のランチはシーラのキノコソース(?)がメイン。ランチを食べて、連れとおしゃべりに興じていると、ハルミさんちの長男が学校から帰ってきました。そうそう、こういうの、いいよね。親の働く姿を見ながら育つっていいなと思います。近くではメグさんちの子ども達も遊んでいました。メグさんちはお魚屋さん。「いろいろやりたいけど手が回らなくて」なんて言ってるお二人ですが、市場のおばちゃんたちに自然にとけ込んで、いい感じでした。私はできたら市場のそばに住んでみたい。ラップしてないお魚を買いたいものです。スーパーも便利でいいけど、対面式で、お店の人と話のできるお店が好きです。そんなこんなで、いっぱいおしゃべりをして、おいしいコーヒーを飲んで、可愛い雑貨も買ってきました。糸満方面に行かれるときはおすすめです。わざわざ行くのもいいですよ~帰りはお刺身を買って帰るのもおすすめ。メグさんちのお刺身、おいしかったです。あ、そうそう、これからは車にクーラーバッグの準備も必要かも。メグさんに氷をもらってしまいましたが…沖縄は、あつ~い季節のはじまりです。それにしても、梅雨、どこに行ったんだろ?誰か持って行った??
2006.05.21
「ポーク缶送って」と息子の電話。うちなんちゅではないけれど、沖縄育ち。ポーク缶は常食です。と言うわけで、小包を送りました。65円だったシーチキンの缶詰と、かめせんを入れて。さっき電話をしたら、「今日のめしはケンタロウの本を見て、牛肉となすのどんぶり」だそうです。ごま油も、オイスターソースも買いそろえ、にんにくも、ショウガも常備して、けっこうな台所仕事をしています。インスタントラーメンを作り始めたのは小学生の時。だんだん、野菜を炒めて入れたり、コーンの缶詰を入れたりするようになって…その次がスパゲッティだったかな。ペペロンチーノを作るようになり、味付けにおきなわそば濃縮だしを入れるといいなんて、自分で工夫するようになりました。去年は高校3年受験生なのに、秋に十日ほどおいて、夫とふたりで娘のいるイギリスへ行ったので、自炊していました。聞いてみると、友だちのお母さんからもらったシチューは一口食べて冷蔵庫に入れっぱなし…「野菜不足になる」とレタスやら、キャベツやらを買ってきてチャンプルーにして食べていたようです。そんなこんなであまり心配していなかったけど、ここまで自分でやるとは思いませんでした。でも、考えてみるとけっこう味にうるさいヤツで、外食に我慢できるとも思えません。実は我が家のご飯作りが楽になったのは、この息子がいないからだったりして…ご飯は多めに炊いて、一回分ずつ冷凍しているらしい。ち~んした後、ラップを開けてしばらく水分を飛ばすと、チャーハンがうまくできるよ、と言ってました。本当は食の安全が気がかりな私です。安全でおいしいものを食べていて欲しい。そして野菜をたくさん採って欲しい。自分の食べるものに興味を持っていれば、環境問題や自給率のことや、日本の農政のことまでつながるのです。でも、あまり心配することもなさそうで、今度帰ってきたとき腕をふるってもらいたい…と思うけど、「帰ったら、母さんのご飯を食べたい」そうです。これって、やっぱりうれしい…?
2006.05.20
近所の友だちに誘われて、お茶のお稽古に行ってきました。場所は団地の集会所。友だちはお茶の先生です。「テレーズさん、お菓子あるわよ」これが殺し文句でした。そして、お弟子はと言えば、小学生が3人、中学生2人、大人2人…小学一年生のお手前の可愛いこと…前に扇子を置いて、正座してお辞儀「ちとせ盆のお稽古お願いします」いや、可愛いの何のって…ふくさをさばいたり、お茶碗を拭いたり…足がしびれているのも忘れて、見とれていました。実は、ホッとしたことがあって、気持ちがのんびりしていました。「お茶でも点てようか」と思うときは、心に余裕があります。でもね、逆もアリですね。お茶を点てることで気持ちに余裕を持つ。そんなことを感じていました。ふる~い友だちなので時々おじゃまさせてもらおうと思っています。お手前の「型」というものが、若い頃はイヤでした。理由もなく、「こうしなさい」と言われて、その通りにやらねばならないお稽古ごとは苦手でした。だけど、この年になると「型から入る」というのも面白いと思えるようになっています。年を取るって不思議です。もう少しすると、「型からはいる」をやりたくなるような気がします。それにしても、子どもの力ってすごいですね。お母さんより、ずっとよく覚えてるんだもん…
2006.05.17
いつも行くクリーニング屋さんに「お直しいたします」の張り紙がありました。聞いてみるとウエストを出すのは、1500円。実は最近、スカートを買おうと買い物に行っても、いまいち好みのものがありません。丈が短すぎるのです。流行は膝丈なのはわかっているんですが、どうも、なじめないのです。仕事柄、背中を向けるから。足が見えない方がいい。それと、年齢的なものもあります。若い人と同じような流行を追うのは、もうできないと思うからです。前に、女子大生に採ったアンケートで、「母親のイヤなところ」というのがありました。その中に、「自分の洋服を勝手に着ていく」というのがあって、ビックリ仰天。母と娘のサイズが同じというのも驚くけど、若い人が着るような服を着て歩いているお母さんにも驚きです。でも、本土に行くと、そんなお母さんたくさんいるんですね。後ろから見ると若いけど、振り向くとけっこうなお年で…美白とか、ダイエットとか、それが大事でないとは言わないけれど、他に大事なこともあるんじゃないと思ったりします。フランスだったら、マダムが独身の若い女に見られることは屈辱。イギリスでも、結婚した女性は、それなりの品格を大事にします。だから、服装を見れば、年齢がだいたいわかるし、社会階層もわかります。もちろん、ファッションは自由ですとも。何を来てもいい。ただ、私は、若い子とまったく同じ流行を追うのはイヤです。自分なりのイメージが大事と思っています。そんなわけで、お気に入りのまま、体型が変わって着られなくなった3本のスカート、直しをお願いしたのが連休前。今日、無事にできあがりました。鏡の前ではいてみたら、いい感じです。体が太くなった分、年を重ねて、自分が豊かになったと思うところもあります。細い方がいいには違いないけれど…実は、これは三つとも母に買ってもらったスカートなのです。仕立てもいいし、生地もいいから、見事よみがって、ちょっとうれしい私です。
2006.05.15
母の日です。娘からカードとプレゼントが届きました。それだけでも十分うれしかったけれど、カードの言葉がまたうれしかった。「こんな私を育ててくれてありがとう。お母さんのような母親になりたいと思っています」こんな幸せな気持ちになったことはありません。20歳になった娘、いろんなことを考えたのでしょう。息子からも電話が来て、母親っていいなあと思っている今日です。おっといけない、私の母も健在なのです。母にはプレゼントを考えあぐねて、ふわふわの柔らかタオル一枚と、カラフルなバラのキャンディにしました。「いつもありがとう」のカードを添えて。母からも電話が来ました。母から私へ、そして娘へ。幸せな気持ちの広がりがいいなあと思います。通り一遍でない感謝の気持ちが伝われば、元気になれるものですね。そんなわけで、夫と白ワインを開けて、ほんのり酔っぱらいながらこの日記を書いています。息子もパソコンを買うことになり、インターネットをつなぐ手はずを整えました。ひと月くらいかかるけど、ネットのつながりがあると、いいです。パソコンを買いに行った息子の声が弾んでいました。家族みんなバラバラにいても、気持ちは一緒。つながっているという感じがいいですね~久しぶりにのんびりの日曜日を過ごしています…そうそう、カーネーションは届かなかったけれど、昨日、ビールを買ってくじを引いたら、真っ赤なカーネーションが三本当たりました。子どもからもらったことにしています。あなたもいい母の日を!
2006.05.14
父が飛行機代を出すから帰ってこいというので、名古屋から息子も呼び寄せて、もともと実家にいる娘も加わって、久しぶりの全員集合の連休を過ごしました。83歳の父、76歳の母。腰が痛い、肩が凝っている、などなどあれど、どうにか元気な両親を囲んで、食卓は大にぎわいです。20歳の娘、大学3年生。18歳の息子、大学一年生、一人暮らしをはじめたばかり…私が一人っ子だから、両親にとってたった二人の孫です。私は、母と一緒に、久しぶりに6人分のご飯を作りました。ケーキを買ってきて、母の誕生会をしました。いつも夏に行っている鰻やさんで、熱々のせいろ蒸しを食べました。父の父の命日だったので、みんなでお墓に行きました。夫は息子と、自分の実家に顔を出し、こちらも高齢の父と母とおしゃべりをしてきました。最近は腰が痛くてなかなか掃除ができないという父のために、庭の枯葉を掃き寄せ、雑草を抜き、ちょっときれいにしました。最後は、福岡で、帰省の帰りに必ず寄ることにしている中華料理やさん「東海楼」でお腹いっぱいお昼ご飯を食べて、空港に行きました。盛りだくさんの4泊5日。ちょっと疲れたけれど、わいわい楽しい体験が元気の素かも知れません。さあ、また明日から、いつもの生活です。娘は、ラテン語の宿題しなくっちゃ、って。息子は、また充実の一人暮らしだ、って。私は今日まではちょっとだけ、のんびりして、仕事はお休み。早く布団に入ろうっと。
2006.05.07
学生は教師を選べるけど、教師は学生を選べない。あまり考えていないけど、実は、そうなのです。だから、どんな学生が来ても、その学生が伸びていくようにと考えるのが教師の仕事です。私の授業は、どういうワケかいつも変わった学生が混じっています。R大のフランス語の授業には、46歳のおじさま。医学部の学生。O大の教養数学(らくだプリント)の授業には、年配のオバサン。聴講生です。今日、新たに、耳の聞こえない女の子がやってきました。私の教師歴で、二人目です。数年前、フランス語の授業を取っていたSくんは、難聴だと言っていたのですが、良く勉強して、不思議なことにフランス語の発音はなかなかよかったのです。唇の形を読み取るのが上手だったからでしょうか。が、授業が聞き取りにくいことが多々ありました。そんなとき、つまらなさそうに、でもまじめに聞いている彼のために、時々プリントを作っていました。だから、プリントを使った教養数学に、難聴の子が来たとき、ナイスと思いました。だって、教えないでできる教材だから、講義を聴く必要がありません。何枚かプリントを渡してやってもらうと、質問を紙に書いてきました。耳の聞こえない人とコミュニケーションを取るには、筆談がいちばんです。質問も当をえていました。これからが楽しみです。もし私が教師でなかったら、難聴の子どもと出会うことはなかったかも知れません。ありがたいことです。いろんな出会いを体験しながら、ひとり一人が学ぶためにどうしたらいいか、考えるチャンスが生まれます。それをありがたいと思えるかどうかが大事なような気がします。教師としての幅は、こんなところから生まれるのかも知れません。
2006.04.26
初めての鹿児島。金曜日、午前中授業をしてから、大急ぎで家に帰り、荷造りをして、出かけた旅でしたが、なんだかとても満たされて帰ってきました。いい研修でした。中身も、それから、場の雰囲気も。何より、去年の今頃病院に担ぎ込まれ、まわりを混乱におとしいれた平井雷太氏が、まるで何事もなかったように講演をし、講座のコーディネートをしていました。それどころか、前よりずっと柔らかく、それでいて、講座の中身が少しグレードアップした気がします。講演にもたくさんのお母さんが真剣に耳を傾け、それから、子育ての悩みがホッと解けていくのがよくわかりました。私は久しぶりに、長時間、聞き、書き、そして話しました。講座が終わるとき、なんだかじんわり涙がにじんできました。それは、私自身の中で、何かが少し変わったからだったのかも知れません。私は私でいいんだ、そのままでできることを精一杯やればいいんだ。そんなふうに心から思えたからなのかも知れません。参加した誰もが、そんなふうに感じていたような気がします。内容はセルフラーニングをどう伝えるか、具体的にどうやっていくかの話だったのですが…会場は姶良というところでした。会場は普通のおうちの2階でしたが、このうちが広いこと…実は鹿児島は寒かったのです。金曜と土曜は寒くてふるえていました。でも、普通のおうちだったからこそ、緊張感がなかったのかも知れませんね。隣のログハウスでは子ども達がわんさか遊んでいました。帰るときレンゲ畑を発見し、しばし思い出に浸りました。それから、鹿児島市の温泉に一泊しました。露天風呂から桜島が正面に見えて、いい眺めでした。お風呂に入ったら、全身の力が抜けました。自分で何とかしようと思わないで、流れに乗って行けばいいさと思いました。なぜか鹿児島で出会った人たちは、のんびりしていて、それが私のゆったりに拍車をかけたようです。薩摩揚げと鶏刺しを買って機上の人となりましたが、心から満足しています。幸せな鹿児島の旅でした。
2006.04.24
一時間目の授業は、なるべく車が混まないうちにと早めに家を出ているおかげで、遅刻せずにやっています。何せ、大学生が「先生が遅刻してくるのはけしからん」と文句を言う時代です。ちこくしないでください、という通知がメールボックスに入っておりました。教師だから遅刻していいとは思っていませんが、準備があると時々トラブルが生じます。印刷機が動かなかったりするんだよ。だから、早めに…授業の終わりに女の子がやってきて「先生、うちに来たことあるよ」と言います。「?」「Mです。Kくんの同級生の」あら~息子の同級生だったのね~道理で、PTA仲間のお母さんに誘われて、おうちに行ったことがありました。声をかけてくれてありがとう。おかげでしっかり名前も覚えたわ。なかなかカワイイ。一番前に常連で座っているKさん、「先生、子どもさんの同級生ですか」というので、「あなたいくつよ」と聞いてみました。明らかに年が多いとわかるのですが、医学部なので、何かの事情で医学部を受け直し、大学に入ってきたのはわかります。「高校生の子どもがいますよ~46です」「ひゃー私と変わらないじゃない」「ははは」医学部にはそんな学生が毎年何人かいます。それぞれ面白いのですが…そんなこんなで新学期を元気に過ごしています。書ききれないこともたくさん。あまりにひどい肩こりで、昨日、なじみの整骨院でマッサージと鍼をしてもらいました。少しはよくなっていますが、今回どういうワケか気功が効きません??体をいたわりなさいと言うメッセージなんでしょうね。それなのに、午後から鹿児島です。セルフラーニングの講座があって、スタッフになっています。それはそれで楽しみなのですが…とにかく行ってきます。報告はまた。
2006.04.21
土曜日は沖縄セルフラーニングネットの定例会でした。楽天の仲間たちも時々来てくださるのですが、特にこれと言って決まりはなく、参加した人たちがゆんたくをする場です。会場はぴゅあぐりーん前から「定例会に一度参加したい」とおっしゃっていたオーナーの話を聞き、会場に使わせてもらいました。参加者は7名。終わり頃、「与那国カウボーイ」の島監督もやってきて、初めからいたかのように(!)参加していました。それぞれの近況報告をしていく中で、最後に私が話したとき、なんだか涙があふれてきました。この一週間ほど、自分に自信がなく、こんなことで教師をやってていいのか、とても苦しかったのです。それは、自分の力の無さの自覚でもあるのですが、「教師は生徒より優れた知識を持ち、教える力を持たねばならない」という、友だちの言葉がきっかけでした。自分の子どもの通う学校の先生に対して出てきたこの言葉が、まともに自分に降り掛かってきたのです。どうも「偉い先生」にはなれそうもないテレーズです。もっと知識を増やし、偉くならなければならないのだろうか…そんなことが急にできるわけもなく、立ちつくしていた私でした。参加していたTさんから「自分をいちばん許せないのは自分なんだよ」という言葉をもらいました。涙が後から後から出てきて、島監督がティッシュを差し出してくれました。その間どんな話だったか、あまり記憶にないのだけれど、終わった後、なんだかとってもすっきりしました。人前で泣いたのは何年ぶりでしょう。もしかしたら、生まれて初めてかも知れません。あるところから「泣かない子ども」いえ「泣けない子ども」になってしまっていましたから。なくと余計いじめられるということを学んだときから…ここちよい涙でした。泣いてもいいよ、と伝わってきました。そして、終わった後、Mさんが気功をしてくれて、「テレーズさん、パワー落ちてませんよ」と言ってくれました。帰ってから、うちに誰もいなかったので、娘のべッドに潜り込んで寝ました。夜はオットとヴァイオリンのコンサートに出かけました。そして…復活したようです。自分で自分をどうにか許せるようになっています。私は私なんだ。これでいいんだ、と思えるようになりました。ネコは虎にはなれないし、ネコにはネコの良さがあるでしょう。よりよいネコになればいいのでしょう。仲間たちに囲まれて、いい時間をもらいました。そして、ぴゅあぐりーんは素敵な空間でした。行くだけでホッとする場所です。どうぞ、行ってみてくださいね~
2006.04.17
突然娘からメールが来て「おじいちゃんが、今度の連休に帰っておいでってよ。飛行機代は出すって」ビックリしつつもよく読むと、名古屋の息子も、お正月に帰っていないからおじいちゃんに会いに行くと言ったらしく、みんなで連休をすごそうと書いてある。80歳を超える父が「会いたい」というのなら、行った方がいい、とすぐに思った。夫に相談すると、「別に予定はないよ」という返事。電話をしてみると、やや酔っぱらった父が、「死んでしまったらお金があってもしょうがないから、飛行機代は出してやるよ」という。孝行したいときに親は無し、という言葉がスッとよぎった。年金暮らしの父にお金をもらうのもちょっと気が引けるけど、こういうときには出してもらおうと即決。インターネットで切符を取ったのです。5月の連休の後半は5日間のお休み。往復割引で、どうやらゲットしました。素早く名古屋の息子の分の飛行機も取りました。父にすれば、みんなが集まることが最高の幸せなのかも知れません。夫も久しぶり自分の両親にも会えるし、素敵な提案でした。いつもなら飛行機代をけちるんだけど…今回ばかりは私もけちりません。こうやって、連休の予定がばたばたと決まってしまいました。息子に「飛行機の切符を取るよ」と言ったら、心なしか声が弾んでいました。みんなに会いたいんだろうな~連休の間一人だと滅入るだろうし、いい提案でした。父の大好きな島らっきょと、この前、気に入っていた豆腐ようを買って帰りましょうか。
2006.04.13
今日の雨は、ちょっと記憶にないくらいの大雨でした。出かける夫にレインシューズを出したのですが、この前いつ使ったのかわからない感じでしたから…でも、今頃の雨は恵みの雨でもあります。ちょっと晴天が続くと、ダムが干上がってしまう沖縄ですから。そんなわけで、午後から、少し小やみになったところを沖大へ今年から、沖大でも非常勤を持つことになっています。科目は、なんと「教養数学」フランス語の先生なのに~これにはふか~いワケがあり、教養数学で使うのは、セルフラーニングでおなじみの平井雷太氏が開発したらくだ教材なのです。今から6年ほど前、大学生の数学の力の無さに心を痛めたT先生が、東京に行って平井雷太さんにお願いをし、沖大でらくだ教材を使うことになったのでした。これまで何年も非常勤をやってきた友人の仕事を、事情があって、私がやることになったのです。さて、どんなことになるか、こちらもドキドキです。でも、プリントの力は確かなもので、大学生たちがちゃんと宿題をやってくれば、一年間で間違いなく中学3年までの数学はすらすらできるようになります。私の仕事は、数学を教えるのではなく、彼らが自分でプリントをやりながら数学を学ぶお手伝いすることなのです。何とも不思議な仕事です。事務室に行って聞いたところ、すでに満杯の登録で抽選になっているらしい。明日は教室に大学生が殺到することも予想されます。本当は全員受けさせてあげたいのですが、そんなことをすると、ちゃんと関わることができませんから、しっかり、「できないものはできない」と断らなければ…それにしても、新学期はいいですね。何となく新しい学年に向かっての希望のようなものが感じられます。図書館にもふらりと入って、新聞や雑誌をのぞいてきました。さあ、明日から、初めての講義です。私の思いがちゃんと伝えられますように。
2006.04.11
「第二外国語はフランス語にしたよ、辞書送って」と名古屋にいる息子からのメール。そんなわけで、今小包を作っています。商売柄たくさんあるフランス語の辞書と、忘れていったひげそり掃除の刷毛。目薬。それから、「おかあの作ったみそ汁と違う」というので、荒削りのかつお節。沖縄ではなんと言ってもダシは鰹です。みそはこの前行ったとき、ちゃんと合わせみそを買ってきたので、これで大丈夫なはず。それにしても、フランス語やる気になったのか、とちょっとうれしいテレーズです。娘も高校では第二外国語(国際人文だったので)にフランス語を取っていました。あんまり面白くないと言ってましたが…どうして?とも聞かなかったけど、私が一生懸命プリントを作っている横で、あれこれ聞いていましたから、なじみがある感じなのかも知れません。さて、どんな先生がどんな教え方をするのやら。私もあさってから授業開始です。教壇に立つと、学生たちと息子がかぶるかも知れません。娘が大学生になったときもそうでした。今度も、本土から沖縄に来た大学生たちの、ワクワクドキドキを、感じることになるかも知れません。時に、大学になじめなくて、私の授業で何となくホッとする新入生がいたりします。私が必ず名前を呼ぶようにしているからだそうです。「先生って、どことなくお母さんだよ」と言ってきた学生もいます。まあ、彼らの母親と同じくらいの年ですから。どこに行っても、自分のまわりがホッとする空間であればいいなと思っています。教師らしくない教師が売り物ですから…新学期になると、いろんな先生が「最初が肝心」と言います。何が肝心かと聞くと、「なめられるから、びしっとする」という答えが返ってきたりします。そうねぇ。そんな考えもありますねぇ。だけどさ、構えているとくたびれませんか?ほらほら、結婚するとき、男の人に「最初が肝心」とか言う人いるでしょ。「女は甘やかすと…」なんて。アレを思い出します。最初だけ突っ張っていても、あんまり関係ないと思うなぁ。教師という仕事は思いの外「人」が出てしまう仕事です。最初だけ偉そうにしてみても、どうせ、そのままを見破られるんですから。私は、あまり構えないことにしています。その代わり、約束をします。お互いに困ることを言い合って。「予告無しの休講はしない」というのが私の約束。「授業中に携帯は取らない。メールしない。」「勝手に席を立たない」というのが、大学生とする約束です。そんなこと常識、って思うかも知れませんが、約束しておかないとね。「いけない」って、わからない人もいるんですよ。大人だって、いるもの。この前ピアノのコンサートの最中にメールチェックしているオバサンや、こともあろうに電話を取った人を見たもん。私は大学生たちと同じところに立っていたいと思います。「大学生だからね。子ども扱いはしないよ」と言います。それは結局、泣きついても単位はあげないよってことでもあるんですが。少しずつ、楽しみになってきました。ホントはいつも、ちょっと緊張して教壇に上がります…そのドキドキも春ですね。大学の講義がはじまった息子は、どうしたでしょ?
2006.04.10
名古屋から戻ってきたのはおとといのことです。力尽きておりました。今朝、洗濯しようと思ったら、大きなかごに夫と私の下着と靴下だけ。がらんとしたかごを見て、ため息です。今日は洗濯はパス。水のムダだわ。夕飯の支度がおくれて、夫が帰ってきたとき台所に立ったばかりでしたが、30分で食べられるようになり、すぐ食べ終わってしまいました。子ども達が小さい頃から、朝と夜は家族で一緒にご飯を食べる習慣で、みんなよくしゃべるから、ホントにぎやかなのです。娘が帰ってきていた先月は久しぶりにぎやかな食事風景でした…が分かり切っていたことだけど、寂しい…名古屋はいろいろ大変でしたが、すべて首尾よく行きました。ネットで注文した机や布団、ホットカーペット、電気製品、すべてお願いした日の指定の時刻に届きました。洗濯機の置き場所がベランダで、傾きを直さなければ脱水ができないと言われ、ホームセンターを探したのですが、机を運んできたニトリの人が教えてくれました。歩いて15分のところに大きなホームセンターがありました。1階はナフコというスーパーです。歩いて5,6分のところに別のスーパー。隣はお米やさんで「2キロ買えますか?」と聞いたら、こころよく2キロ精米してくれました。近くには学生相手の食堂もあります。2分のところに24時間営業のコンビニ。もちろん、大学までも歩いて5分です。いいところだけど、大家さんが厳しいかもと思っていたら、挨拶に行くととても親切にゴミの出し方を教えてくれました。契約を決めて見に行ったときは気がつかなかったけど、屋根のある自転車置き場まであります。NHKはテレビがないので首尾よく撃退できました(関係者の方ごめんなさい)そんなこんなで幸運なスタートです。…が、息子も、私と夫も、さびし~来週から大学がはじまって、こんな泣き言を言っている暇もないはずですが。気を取り直して、新学期の準備だぁ。
2006.04.07
今、締め切りに追われて書いているのは、大学の共通教育センターで出している雑誌の原稿です。非常勤講師という仕事は、請負職人みたいなもので、自分の授業とその生徒だけとの関わりです。だから、会議に出たり、大学全体の運営に関わることは何もできません。パートタイムですから、予算の関係で…とすぐ首を切られてしまう悲しい仕事でもあります。が、申し出れば大学の出版物に原稿を載せられるよという話を聞いて、「書きます」と名乗り出ました。私のやっている授業は大学生たちには好評なのですが、他の先生方にはそれはわかりません。もっと、大学の授業は面白くできる、と思っている私は、情報提供したいなと思ったりしています。そんな機会を使って発表することにしました。数年前、公開授業をしたこともあります。本人は落ち込みましたが、学生たちが励ましてくれました。教師は自分の手の内を公開するのを、あまり好まないのですが、それは、批判にさらされることが多いからでしょう。現に、「教えない教師といって教えているじゃないですか」と言われましたもの。フランス語の授業ですから教えているに決まってるじゃないですか。A先生。「教えない」は、文字通り教えないのではなく、「教える」ことに自覚を持って、相手が学ぶ姿勢にならなければ、何も、教えたことにはならないと考えているということなのです。テストを学生と一緒に作るというと、「そんなことで、ちゃんと評価できるの?学生に甘いだけでは」と言われます。違うってば。テストの問題を作るけど、解くのは学生で、丸暗記してできるような問題にはなってないのです。自分たちが覚える必要があること、理解する必要があると思うことをテストにするから、やる気を出して勉強するのです。そんな、あれこれを、「よくわからん」と嘆きそうな先生たちの顔を思い浮かべながら、ちょっと頑張って書いています。教師は頭が固い。テストは教師が作るもの。教師は生徒より知識があって偉いもの。そんな固定観念で生きています。もしかしたら、学生は勉強しないものと思っているかも…近頃の学生は…ってよく言うけど、実は、そうでもないという例をたくさん見ています。だから、書いています。いちばん、わからない人たちかも知れないけど。書くことで自分が整理できるから、書くのは好きです。終わるまでは、結構大変なんだけどね…読みたい人がいたら送りますって、別に読みたくないか(汗)
2006.03.31
荷物を出しました。大きめの段ボールで4個。郵便局に持って行って、4月2日必着にして、完了です。私が運ぼうとしたら、息子が全部やってくれました。本のぎっしりつまった箱は、20キロ近くあって、確かに私の手には負えませんでしたので、運転手に徹しておりました。考えてみると、思いものを運ぶとき、男の子は労働力ですね~それだけでなく、ここ数日、掃除魔になった息子が、家中のホコリを退治しています。曰く「ここ一年、おかあの手伝いをしなかったから、罪滅ぼし」そういえば、割と掃除はまめに手伝ってくれる息子です。小学生の時、友だちのうちに預けられたとき、「おばちゃん、掃除機かけてあげようか」と掃除を引き受けたエピソードが残っています。小さい頃から行き来しているうちなので、「じゃ、お願い」と頼まれたらしいけど、友だちが、「男の子いいなあ」と言っておりました。家事をするのに、腰が軽いというのは、実は私の家系はみんなそうなのです。ただし、男たちが。80を過ぎた父も、サッと掃除はするし…もうなくなったけど、時々帰省していた伯父は、髪結いの亭主で、家事はお手の物でした。うちの父は台所はダメなのですが…女たちはおしりが重いのもうちの家系の特徴で…と思うと、ちょっと笑えるのですが。ず~っとほったらかしてあった夫の部屋のすみずみまで掃除をして「きたないなあ」と感想を漏らしている息子です。でも、個人的なところには立ち入らないのだそうで、捨てた方がいいものもそのままにしておくよとのことでした。行き届いているというか…何となく、嫁さんがのんびりコーヒーを飲んでいる横で、苦にもせず掃除をしている息子の姿が浮かんだりしましたが、さて。荷物を出したら、気が抜けましたが、そんなことを言っている場合ではありません。実は原稿書きが残っているのだ。荷物出しで、なかなか進まなかったの><;締め切りに追われて、今日もパソコンに向かっております。
2006.03.31
うちの中に大きな段ボールが転がっています。台所用品や、衣類を詰めているところです。息子の出発が後数日に迫りました。大学生を送り出した友だちに聞くと、向こうで買えばいいと思っても、知らない土地ではなかなかお店がわからず、それに車がないので、大荷物を抱えて四苦八苦したといいます。できるだけ、思いつくものは買って送った方がいいというアドバイスをもらいました。そんなわけで、私は、買い物の度にいろんなものをちょこちょこ買っています。調味料やポーク缶、レトルトのスープなど。台所用品も思いつくものを買いました。フライパンとちょっと深めのお鍋が一個ずつ。食器は、うちにあるものを出して、そこから、使えそうなものを選んでもらいました。だって、うちも食器がたくさんあるから…結婚するとき、母が、たくさん持たせてくれたのですが、あまり役に立たないものもありました。だいたい、母は昔風に一人分ずつ盛るのが普通なのですが、私流は大皿に盛りつけたものを取り分ける方式です。小皿があれば後は大きなお皿が数枚。それに深皿があればあまりいらないんです。「いらないものを俺にくれるって?」と言いながら、しっかり、必要なものだけ選んでいた息子です。ざるもいるし、洗い桶もいる…お玉もフライ返しも…となる私に、「最初からたくさんそろえないでよ。必要なものは自分で買うから」とのたまう息子です。それもそうだとあまりたくさん買うのはやめました。困るのも悪くない。本当に必要なものが何か、そうでないとわからないのですから。十ヶ月のイギリス暮らしで、借りていた家には、食器も鍋も備え付けてあったのですが、深鍋が2こと、フライパンが一個くらいしかなかったと思います。食器も、大きなお皿が6.7枚と、スープ皿が同じくらい。それですべてではなかったかしら…コップのたぐいはたくさんあったんですが。最初は、お茶碗がない、どうやって食べる!と思ったものですが、慣れると大皿一枚はなかなか洗い物が少なくていい感じでした。皿洗い機というのは、確かに、ぺたんと平たいお皿には適していると思います。使ったことはなかったけど…なぜかって?イギリスでは、ほとんどのお父さんが皿洗いをしているから。つまり私は皿洗いはしなかったことになります。そんなこんなのイギリス暮らしでもらったものは、代用の知恵。プディング用の米でご飯を炊き、薫製の鯖を焼いてみそ汁を作って、日本食を食べていました。こちらで見るより、かなり小振りな白菜が出ると、漬け物を漬けたり、アフリカ産のオクラでおひたしを作ったり…要するに、何でもあり。その気になれば、フライパン一つでいろんな料理ができるもので、ずいぶんとこだわりがなくなりました。道具が少ないのもいいものです。息子の一人暮らしは、あまり、物がないところからのスタートがいいかもしれません。一度買ったら、なかなか捨てられないもの。ものにあふれすぎた私の新婚生活でしたから、余計そう思います。ワイルドに、ワイルドに…鍋から直接インスタントラーメンを食べるというの、一度やってみたかったりする、変な人です…
2006.03.29
バレエ教室の女の子、「ふとった~」と今日も騒いでいます。何せ、いちめん鏡なので、バレバレです。私も、鏡に映る自分の姿に何度落ち込んだことか…どう考えても、細い方が動きやすいわけで、当然、バレエの先生は細いのですが…でも、実は、体の動き次第では、実際より細く見えるのだそうです。首をスッと伸ばして、肩胛骨を下げる。背中は反らすのではなく、お腹のしたの部分に力を入れると、ほら、お腹は引っ込んで、きれいに見えるのです…一瞬はできても、なかなか続かないのが難点ですが。実は深層筋を鍛えると、その体勢が維持できるそうです。で、もちろん、深層筋を鍛えないと、踊れない…というわけで、バレエの時間の半分はストレッチです。今日も、先生が私の体をギューッと押して「あいたた」状態ですが。今日は痛いのはそれだけではありませんでした。午後から癌検診。誕生日の月に行くことにしています。子宮癌と乳ガンの検診に行ったのですが、マンモグラフィー初体験してきました。触診で看たお医者さん、「マンモグラフィーがより正確なんだけど…」実は自慢ではないけど、小さなおっぱいなのですよ。従って、わかりやすいはずなんですが…乳ガン検診も数年ぶりだし、思い切って受けました。いや、なかなか、大変な機械です、マンモグラフィーって。要するにおっぱいのレントゲンを撮るわけで、レントゲンを撮るにはできるだけ薄くした方がいい。え、何をって…おっぱいです、もちろん。で、どーするかというと、機械で挟むんです。引っ張って挟むというか…小さいもんですから…挟むほどないんじゃないかと…別に大丈夫だったみたいです。で、結果も、大丈夫だったようです。しかし…レントゲンの余白が悲しかった…ちいさいな><40歳を過ぎると、乳ガンの発生が増えるのだそうです。閉経まで特に。実は私が気になっているのは更年期の方なのです。子どもが巣立ってしまうと寂しくなるよな~と思って、更年期の症状など起きないかと不安ですが…これも気持ちの切り替えが大事で、あまり大げさに考えると更年期も大変だと聞いたりもします。つまりは、あまり意識しない方がいいらしいのですが。冒頭の女の子と同じく、自分のことは気になり始めるとなかなか気持ちが切り替わらずなかなかです。別に症状が出ているわけでもないのだけど。「自分を好きになるのが大事っていうけどね」えらそうに言ってきましたが、自分を好きになる、自分とつきあうというのが、いちばんむずかしいのかも知れません…
2006.03.27
4月から一人暮らしを始める息子は、もともと料理は嫌いではないのもあって、自炊をするぞと張り切っています。はじめて料理を作ったのは、小学校高学年だったでしょうか。もちろん、インスタントラーメンだったと思うけど…9月に夫と二人で娘のいるイギリスに行った時、十日間は自分で何とかしていたようです。野菜、野菜と野菜をたくさん食べたい人なので、スーパーに行って、レタスやなにやら買ってきていたらしいのです。そんなこんなで、夕飯時、わたしが台所に立つと、「今日も何か教えて」とやってきます。オムライスとか、チャーハンとか焼きそば、スパゲッティのたぐいは結構作っているのですが、習いたいものが、きんぴらや肉じゃがだったりします。ちょっと渋いでしょ。お弁当に野菜を入れるとき、きんぴらが簡単で美味しいので、ゴボウはもちろん、人参、ピーマン、ジャガイモとみんなきんぴらにしていました。千切りにして、油で炒めて、味を付けるだけ…そーめんちゃんぷるーと餃子も作りましたっけ。ハンバーグも作ったし…後は何だろ?入学祝いにケンタロウの料理の本を贈りました。私の作らないような料理を作るようになるような予感がします。4月になったら、一緒に名古屋に行って、アパートのキッチンを料理ができるようにしようと思っています。狭いけど、料理は作れそうな台所です。安かったので、オーブンレンジも買ったし…息子の料理の腕がどうなるか、ちょっと楽しみです。しかし、八丁みそに慣れるかな~みそと醤油は持って行こうかな~(九州の醤油は少し甘いのですよ。沖縄の醤油とも違うので、いまだに九州の醤油を買っています…)桜はもう咲いた頃でしょうか…
2006.03.25
世の中には「自分とあわない人」というのがあって、何かどうしても、気が進まない交流もあるのだけれど、逆に、その人に会うと元気が出る人もいます。もちろん、「会いたくなる人」「会うと元気が出る人」でありたいわけですが、どこでそれが決まるのか、友だちとそんな話になりました。二人の結論は「幸せ度」「幸せ度」が高い人と、人は会いたくなるらしいのです。「幸せ度」って、幸せに敏感な人?幸せな自分を保つのが上手な人?小さな幸せを見つけるのが上手な人なのかも知れません。昔読んだ本に、幸せを人一倍感じる人は、不幸せも同じように大きいという話がありましたが、確かに、そんなところがあると、自分のことを思います。それでも、割と幸せを見つけるのは上手な方かも知れません。今日は、友だちと二人の勉強会の予定が、ちょっとした誕生会になっていました。ワインとおつまみ、ケーキを用意してくれていたのです。これは、かなり幸せでした。このひと月、うちの中に娘がいて、「おはよう」と起こしに行ったりする、それも、幸せでした。夜、寝る時間になっても、何となく、家族みんながおしゃべりをしている…そんな時間も幸せでした。生きていればたくさんの思いがけないことがあると思います。いいことも悪いことも、それなりに役割があって起きているのでしょう。そう思うようになってから、幸せ度は増したかも…幸せって、客観的な何かがあるわけではなく、自分が幸せと感じればそれが幸せなのだと気がついてから、幸せ度が増したかも知れません。ありきたりのいつもの一日が本当は大事なのかなと思っています。
2006.03.23
ブログを読んだ友だちから「テレーズさん、転勤なの??」と涙声で電話ありました。「?」「だってブログに転勤って…」そう読めたの?あれ、あれ、ばっちゃんにも、そう読めたみたい!!いやはや、主語のない文章を書いてしまったために、転勤と思われてしまったようです。文章力の無さを実感。沖縄に来て20年。そろそろと思ったひとがいても不思議ではないのですが、実は夫の仕事は、転勤無しなのです。定年まで沖縄にいるはずです。なぜなら、夫は「沖縄に米軍基地がなくならない限り、沖縄にいる」という人なので…基地反対の運動(?)をコツコツやっているから。テレーズはそんなわけで今年も沖縄に居座っています。今年から、セルフラーニングの教材「らくだ教材」をもって、別の大学にも行くことになりました。フランス語の授業と、教養数学の授業を持ちます!!教養数学で使う「らくだ教材は」、小・中学校用の算数・数学の教材なのですが、大学生にも十分通用する教材です。どこかでつまずいて、これまで「算数が苦手」と思っていた大学生のための授業です。さて、どうなりますやら。ところで、娘が今日、久留米に帰りました。帰った先は私の実家で、ホントは私が帰るべき??という複雑な心境ですが。実家に下宿中なので…無事、留学を終えて、久留米で大学3年生になります。本格的に教職の授業が始まり、ゼミも始まり、忙しくなるようです。持って帰ってきたナルニアの原書、ほとんど読んでなかったんだけど、大丈夫かね…二人であっちコッチ遊び回ってましたから…息子のスーツを一緒に買いに行ったり、友だちと会ったりしてたものね。成人式の写真も撮って帰りました。留学費用で一杯一杯なので、振り袖は貸衣装ですが。娘がいると、うちの中がにぎやかで、私は楽しい一ヶ月を過ごしました。夜中まで、家族で色々しゃべっているので、みんな寝るのが遅くなってしまいましたが。男の子と女の子はこうも違うかと思ってしまいます。その息子も、後2週間で名古屋に行きます。いよいよ私も、仕事に取りかからねばならない時期になりました。ほんと季節労働者なんですよ。2月半ばから休みですから…(その間給料も入らないし…)なんだかんだで、3月もあと少しです。
2006.03.22
3月生まれの私は、誕生日を迎える頃に、別れの季節でした。学生時代は卒業、そして、結婚してからは転勤の季節です。沖縄にしっかり根を生やしているから、転勤族とはあまり縁がなくなってしまったのですが、今年は一人、千葉に転勤です。三越の催事場でモンブランを買おうと出かけたある日、長蛇の列で、隣に並んだのが縁で出会った若い友だち。誘われてパーチメントクラフトという、繊細な手芸を習っていたのですが私がどたばたし始めて、それも、いけなくなってしまいました。だいたい予測はついたのですが、やはり転勤でした。来週、最後におしゃべりをしに行こうと思っています。ちょっとした記念品を持って。別れることはつらいけど、出会いの不思議の方を大事にしたいと思います。縁というのは不思議なもので、人は必要なときに出会うようになっているのだと…その意味がすぐにはわからなくても、きっと、何かあるんだろうと思っています。出会った人とのご縁を大事に、今日も一日を大事に…
2006.03.19
西海岸のリザン・シーパークホテルは、4人部屋もエキストラベッドではなく、ちゃんとしたツインのベッドルームが、続き部屋になっていました。しかも、海が見える部屋だったので、窓を開けておくと、波の音が聞こえて、しみじみとリゾートという感じです。金曜日はいいお天気でしたので、部屋から淡い水色の海が見えました。曇っていた今日も、やっぱり、海はきれいでした。ホテルの中で、ゆったり過ごした誕生日でしたが、ケーキはないとね!という事で、ケーキを買ってきて、ローソクもつけてもらって、部屋でお祝いをしました。いろんな誕生日がありましたが、こうしてホテルで過ごしたのははじめてのこと。家事もしなくていいし、の~んびり過ごす誕生日は幸せ。家族4人でいると、自分が家族に支えられていることを感じます。ゆったり、のんびりした時間を過ごすと、自分がとても、おだやかになっている気がします。さあて、新学期も頑張るか。
2006.03.18
2月末に娘が来てから、久々の4人暮らしです。まず驚いたのが、ゴミの量。それから、洗濯物。2年前までは、そうだったはずなのに、すっかり忘れています。ゴミ出しの度に、ぎゅうぎゅうのゴミ袋…人が多いと、家事も忙しいのですが、よく考えると、子どもは労働力なのですね~「掃除機かけようか」「お茶碗洗うよ」と、手伝ってくれるので、結局はそれほど忙しくないのかも知れません。それでも、名古屋行きの準備で、家電を買いに行ったり、インターネットで布団やホットカーペットを注文したりと、やることはたくさんです。(ホットカーペット、あちこち品切れです!)けれど、明日は私の誕生日。誕生日にはホテルに泊まるぞ、と宣言して、北部のホテルを取りました。うちなんちゅプランって、まだ健在ですね。リゾートホテルがずいぶん格安です。4人1部屋にしたから、わいわい楽しいはず。家族4人でホテルに行くなんて、久しぶり~というけど、一昨年、娘の大学が決まって、行ったのを思い出しました。行きたい大学には推薦入試でダメで、あれこれあったけど、「この大学に決めた」と、合格通知の来た大学に手続きをして、すべて完了。父が長いことつとめていた大学だったこともあって、後はとんとん拍子。実家に下宿が決まり、ホッとした後、みんなで小さな旅に出かけたのでした。帰ってきたら、別の大学から補欠の通知が来ていて、笑ってしまいました。そんなこともあったっけ。夏冬は、実家に帰省して、家族旅行をしたことがないので、春にはこんな風に泊まりに行くことが多いのです。夫の仕事の合間を縫ってなのですが…今回も息子の下宿の準備、80パーセント終わりました。後は荷造りをすること、入学式のスーツを買うこと、くらいかな。とりあえず、明日は行ってきます。息子は風邪気味なのですが…入試が終わった後、一年分の埋め合わせをするみたいに、体調不良が続いています。気が抜けたのでしょうね。私は、この年まで大きな病気もせず、夫と仲良くやってこれたのを感謝しようと思います。それから、私を生んでくれた母と心配性だけどいつも愛してくれる父に感謝です。自分だけの力でここまでこれるはずもなく、ともすれば、自分の力ですべてやってきた気持ちになるのですが、やはり、神さまに感謝です。
2006.03.16
息子が「これ面白かったよ」と出してきたのは、なかなか分厚い本「ダ・ヴィンチ・コード」何でもキリスト教のうんちくがすごいけど結構面白いのだそうだ。今日は娘がレポート書き、息子が学校へ出す入試体験のレポートを書いていたので、ふっと手にとって読み出したのが運の尽き。とうとう、一日かかって読んでしまいました。フランスの美術とキリスト教に興味のある人にはお勧めです。ルーブルに始まって、ルーブルで終わるお話しです。夜のルーブル美術館に行く話があるのですが、想像して、背筋が寒くなりました。(どうも、西洋のお化けは苦手です)まさかキリストが…結婚していた…というような話が、実に綿密な裏付けを持って語られています。キリスト教とは因縁があります。院生時代、専門の作家を決めるとき、さんざん迷って、モーリアックというキリスト教作家を選んでしまいました。もともと、遠藤周作という作家が好きで、慶応時代のテーマがモーリアックだと知っていたからでした。が、これがとんでもない話で、ただの日本人には思いもよらないことばかり。結局、普遍的なことを書いてお茶を濁したのですが、どうもそのときから、血にしみ込んだ宗教観というのはあるなと思っています。日本人だと誰にもある自然信仰。対してヨーロッパの人にとっての教会の存在。フランスでも信仰する人は年々減っていると言われますが、心の奥底に眠っている神への思いというのはあるんだろうと思います。それが、イスラム教徒ぶつかり、時々思いもよらない論争になります。この前のモハメッドの絵を掲載して問題になった話など、日本人にはわからない感覚です。だから、この本を読みながら、自分が当たり前のように信じてきたものが覆されるとつらいんだろうなと思いました。フランスに行って、初めのうちは教会の絵が珍しかったのですが、次第に辟易してきたものです。何でこんな絵ばかり…小さかった子ども達は、キリストの磔の絵を怖がって仕方なかったのです。そりゃそうですね、信仰心がなかったら、アレはただの死刑ですもの。そんな感情を抱くのは、私が日本に生まれ、キリスト教文化のない家庭に育ったから。いいも悪いも、そうなのです。教会というのは権力や富によって、さまざまなドラマの現場になってきたのでしょう。いつもいつも清いことばかりではなかったはずで、そう考えると、何となく宗教の力が及ばない現代も悪くないなんて思ったりします。信じることは悪くないけど、「これだけが正しい」と思い始めるときりがなく、もう少しだけ相手を受け止める懐の深さを持ちたいと思います。
2006.03.13
子どもがまだ手が離れないうちに、声をかけられて仕事を始めてしまったために、何をしようと迷うことはなかったのですが、実はもっと前から「母親だけではダメ」と思っていました。理由は単純で、どうも自分は母親として、失格何じゃないかと思っていたからです。赤ちゃんを抱いても、なかなか泣きやまないし、おっぱいは出なくなるし、もう、さんざんでした。母親に徹することができないから、仕事を探すというのも変ですが、そのときはかなり真剣にそう思っていました。だから、自分が母親として落ち込んだ時には、仕事があるや、と思い、仕事で落ち込んだら、母親だからと逃げていたのかも知れません。まあ、いわば中途半端の兼業主婦でしたが、それはそれで、精神的にはらくだったのかも知れません。真剣に仕事を自分の中心に添えよう思わなかったから、専任講師にはなれずただの非常勤講師やってます…子どもが手を離れてきた年齢の人が何かをやろうとして、なかなかやりたいことが見つからないと言いはじめています。そう言う人にどんなアドバイスをするかというと、何でもいいから初めて見たらいいといっています。もし、パートで働くのならやってみればいい。自宅で、教室を開くならやってみればいい。結局、適正というのは、いろいろ言うけど、やってみないとわからないものです。そしてもう一つは、3年は何とか頑張ること。3年やると何かの形ができます。主婦が何かを始めると、色々しわ寄せができてくるから、障害にぶつかるのは当然です。そんなとき、めやすになるのが3年。手順が頭に入り、いろんなことを考えなくてもできるようになるのが3年。学校の先生をしている友だちから電話がかかりました。「そろそろやめようかと思う」23年働いて、組織や時間の拘束から逃れたいという友人は、小さな塾を開くつもりのようです。「やってみれば」と言いました。そんな電話をかけてくるところを見ると、家族にも了解を取った後だろうと思いました。同い年、46歳です。そろそろ女性として、更年期をにらみながら働かなければならない年齢です。やっぱりやってみるしかない。彼女を応援したいなと思っています。何によらず、新しいことを始めるときにはいろんな障害があります。でも、子どもだけではなく、大人にとっても、人が成長するには、それが大事なのかも知れませんね。
2006.03.12
沖縄に来てから、初めて仲良くなった友だちは、沖縄生まれの沖縄育ち。同じ頃に妊娠し、出産予定日も同じ頃で、仲良く検診に通ったものだった。ところが私は切迫早産で、緊急入院。2週間の入院の後、強引に実家に帰って里帰り出産をした。その娘がいま20歳になる。里帰り出産の前に、夫の10ヶ月の東京行きが決まり、子どもが3ヶ月の時川崎へ。だから、最初の子どもが1歳までは、どうも、まわりに子育て仲間がいなくて、孤独だった。再び沖縄に戻ってきたとき、子どもは歩くくらいに成長して、そして、私のおなかには二人目が…そのとき、最初に知り合った友人は、本土に転勤になった。二人目の子育ての頃知り合った友人は、北国生まれ。同じ階段の3階と2階だから、まるで、どこが自分のうちかわからないように子ども達は育った。7年前、我が家が一家でイギリスにいたとき、突然の転勤で、那覇に引っ越してしまうまで、本当にお世話になった。兄弟がいない私にとって、心強かった。今日は、そのAさん家族と一緒に息子の合格祝い。子ども達は、20歳19歳、18歳そして16歳。20歳と18歳がうちの子です。兄弟みたいに育った子ども達は未だに仲良し。幼なじみというのは、こういうのを言うのでしょうね。なんだかしみじみ、いいなと思います。私は久々にごちそうを作り、夫は久々に酔っぱらって、いい日でした。私が皿を洗って、娘が拭いて、息子が片付けて…みんな、大きくなっていく。子どもの成長が、楽しみです。
2006.03.11
息子の同級生たちの受験状況が次々に入ってきます。昨日は今年最後のPTAでしたが何とも気まずかったのは、部長のお子さんが不合格だったからでした。「浪人確定」と明るく言っている割には、ショックが感じられて、何ともつらかったのです。東大に何人、慶応に何人と、学校の先生が言う度に、「わたしゃ、それはどうでもいいよ。うちの子どもが行きたい大学に合格してくれれば…」と言っていたのですが、本当にそうなのです。外野が、そんな風に、数を数えても、それはただの好奇心。野球のチームのどこが強いかとしゃべっているようなもの。学校がすごいと言いたいむきもあるようですが、本来、学びはひとり一人のもの、学校や教師はその援助をするに過ぎません。いい学校に入れたから、必ず東大に行けるなんて、そんな甘い話はないのですから。ふう~っとため息をついて、学校から帰ってきました。もう、これがPTAも最後の最後です。それにしても、親ってどうしてこうなんでしょうね。子ども達はひとり一人がそれぞれの場所で頑張っているのだから…たとえ自分の子どもでも、言ってはいけない言葉があります。「○○くんが受かったのだったら、あなたも受ければ良かったのに」Tさん、本当にそう言ったのでしょうか?子どもが不合格になってがっかりしたからって、それはやばいと思う。しみじみと子どもの受験を引いてみていてよかったなと思います。彼は一人で決めて、一人でパスしました。推薦を受けると決めたのも本人なら、志願書を書いたり、先生に小論文の指導を頼んだりしたのも本人です。願書に目を通して多少の意見は言ったのですけどね…結局、やったのは、飛行機の切符の手配と願書を出しにいったことだけ。だから、結果がどうあれ、見守るしかないと思っていました。高校3年生の親は、それでいいのだと思います。でも、面白いですね。過干渉の親を持っていると、子どもは上手に逃げていきます。子どもなりの防衛本能を持っているみたいです。やっぱり子どもはそれぞれたくましい。よっぽど子どもが大人です。それとわからないように、親から逃げています。お母さんたちも、もう少し大人になったら、って思ったりしています。
2006.03.10
息子の下宿が決まったら、次は引っ越しの日程…それから、電気製品と家具を買わないと…次から次へとクリアすべきことが出てきて、アップアップしています。友だちの話では、インターネットで配達日指定をするのがいいらしい。確かに沖縄から家具を買って送るのはムダだし、かといって、名古屋で即家具を買いに行くのは難しいし…というわけで見始めたインターネットショッピング。いまいち気に入るものがなく、昨夜は疲れておりました。今日も、疲れていますが、だんだん絞られてきたようでもあります。電気製品は、来れも友だちの経験談で、J○SCOで買うと、向こうの最寄りの配送センターから同じ商品を配達してくれて、配送無料なのだそう。友だちの情報に助けられています。いや、何もかもが初体験ですから、いろいろありますね~なんだかんだと口出ししたいところですが、本人が決めるのが一番かと…どうも自分が、完璧主義なのに気づいて、もっと、なるようになると気持ちをゆったり持てないのか、と感じています。本当は私はまじめで、完璧主義なんでしょうね。そして、完璧すぎて、最後にどこかでテーゲーになる…だから、何とかなっているものです。合格が決まって、寮に入れないことがわかってから、頭の中はずっと息子の一人暮らしのことが引っかかっています。自分がしたことのないことだからなのでしょうね。夫が「何とかなるよ」と言ってくれるので、ブレーキかかっていますが。人は最低限何があれば生きていけるかと、それくらいのところでいいのかも知れません。深呼吸して、もう少し適当になろうっと。
2006.03.07
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