*******************************
旦那と母の「頑張ってね!」という声を聞きながら、分娩室へ。
中に入ると、先に別の方が分娩台へ上がっていた。
その方は経産婦さんのようで、看護婦さんと何やら笑顔で話をしている。すごい余裕だな~。と感心しながら、私も隣の分娩台へ上がった。
この体勢になると、ますますいきみ逃しが辛いなあ・・・。とか考えてる間に、隣の経産婦さんのお産が始まったついさっきまで、あんなに穏やかに看護婦さんと話していた方が、「痛い~~」と叫んでいる・・・。経産婦さんの進行の速さにビックリした。
そして隣でお産が始まったことにより、私の周りには誰一人居なくなってしまった
そちらも始まっているだろうが、こっちだって相当痛い
まさか、忘れられてないよね・・と不安になり、いきみ逃しが限界のときに「ううっ」と声を出すと、看護婦さんがチラっとこっちを見てくれたが、それだけだった
あちらが終わらなければこっちには誰も来ない。と悟り、一人で分娩台の上で耐えた。
そうして何分経ったのか分からないけど、隣の赤ちゃんが無事に誕生経産婦さんは、産まれるのも早いんだなー。とまた感心。
すぐに先生は私の所へ来てくださった。忘れられてなくて良かった。
「いきんでいいよ。」と言われた。いきみ逃しがほんと辛かったので嬉しかった。
そして本で読んだことを思い出しながら、いきんでみた。「そうそう、上手よー」と言われてまた嬉しくなり、頑張っていきみ続けた。
何度かいきんだけど、なかなか出てこない・・・。
ちょ、ちょっと・・・まだ産まれないの???と思いながら、引き続き陣痛の波に合わせていきんだ
先生が、切開したようだ。が、陣痛のおかげで、全く痛くない。このときの私は陣痛が痛すぎて、「早く生まれるためなら、何でもやってくれ」という状態だった。この際麻酔ナシでもいいからもう腹を切ってくれ、とさえ思っていた。
そしてまたいきんだ。
看護婦さんが、お腹を押して助けてくれた。
そして・・・・・・。
2003年12月16日午前9時58分。
長男るうくん誕生
産まれたときは、赤ちゃんが無事産まれたこととかよりも、とにかく「痛いのが終わった」ことが嬉しかった
フニャフニャのるうくんを胸にのせると、また不思議な感情が湧いてきた。
わたしの子なんだ・・・。
先生が、「名前は決めてるの?」ときいた。
私は「はい。 るう です。」とこたえた。
妊娠中、何十日・何十時間かけて響きや画数を必死に調べて考えた名前だ。この子のために。
さっきまでこの子が自分のお腹にいたなんて。
さっきまで自分のお腹にいた赤ちゃんが、今目の前に居るなんて・・・。
言いようのない感動で、いっぱいになった。
すぐそこに、私のお腹の中から生まれた赤ちゃんが居る。嘘みたい・・・。
幸せだ。
今、私は世界で一番幸せだ。間違いない。
体の毛穴から、幸せがこぼれるんじゃないかと本気で思った。
*******************************
夕方には、私の家族や旦那の家族・そして友達も病院へ来てくれた。
産後の私は元気いっぱいでピンピンしていてイロイロ動き回っていたので、友達に「アンタ、今日産んだばっかりだよね?何でそんなに元気なの?」と驚かれた。
みんなが帰ったあと、旦那と二人で新生児室で寝ているるうくんを眺めていた。
すると、足形をとるということで、看護婦さんがるうくんを別室へ連れて行った。
すぐに戻ってきて、看護婦さんは私達に「この子は足が大きいから、大男になるよ~」と言った。
私達があまりにもずーっとるうくんを眺めてるもんだから、看護婦さんは「部屋に連れて行ってもいいよ」と言ってくださった。
私は初めて、るうくんを抱っこした。
小さい。でも重い。いのちの重さだ。
絶対絶対、この子を守ろう・・・そう思った。
*******************************
長男出産記はこれで終わりです。
今、毎日育児&仕事&家事に追われ、気持ちに余裕もなくイライラしてしまうことが多いけれど
初めて我が子を抱っこしたあのときの気持ちを忘れることなく、子供と接していきたいもんです。頑張ろうっ
この後、私は3回妊娠し、1回流産、2回出産を経験しました。
そのときのことは、また時間があるときにゆっくり書けるといいな