濫読屋雑記

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2006年02月28日
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テーマ: 本日の1冊(3761)
昨日は『 ギャラリーフェイク 』や『 フェイス・オフ 』などを書かれている 細野不二彦 さんの『 ヤミの乱破(1) 』と『 ヤミの乱破(2) 』(こちらは表紙画像無し)の2冊を紹介してみました。今日は、 その2冊を読んでいて思い出したことや思いついた本を並べてみたいと思います

この『 ヤミの乱破 』を読んでいて思い出したことは 戦後、進駐軍、つまりGHQ が日本占領中に犯した私が考える3つの誤りについてです 。1つは、以前書いた『 「警察」のお話の続きで、警察力と武力行使 』の中でも取り上げている 内務省の解体 。2つ目は今、話題となっている皇位継承権問題にも関連することですが、 宮家と華族制度の廃止 。最後の3つ目は、 旧陸軍の完全な解体 。以上の3点です。これとは別に、 GHQが押し付けた日本国憲法についての問題がありますが、これは明らかに国際法違反である、ということだけを書いておく事にします (この日本国憲法は、ホイットニー率いるGHQ民生局の弁護士経験者や法学部で研究をしていたり、その方面に詳しい若手将校や軍属を使って作らせたものです。実は、彼らはルーズベルトのニューデイール政策の影響を受けた世代でして、思想的に左よりの人間が多かったのです。オマケに若者特有の理想主義と、そしてアメリカ人の持つ変なお節介が合わさって作られたのですからさあ、大変!これを読んだ時の吉田茂たちの衝撃はどれほどのものだったのか…。まあ、さすがに連中も日本のことを研究して作ってくれてはいますが。この憲法、思想的にはかなり古くて理想主義に突っ走っているものだ、ということは頭の隅に入れておくと、今後の憲法改正論議の見方が変わってくると思いますよ)。

さて、先ほどあげた3つの誤りの中で「 旧陸軍の完全な解体 がなんで誤りなの?と思われる方が多いと思います 。戦後、旧陸海軍は完全に解体されて昭和25年(1950)の朝鮮戦争勃発による警察予備隊設立まで日本には軍事組織が無かったのでは?と思われている方々、 それは大きな間違いです 終戦後の昭和20年から昭和25年まで、旧陸軍の組織は綺麗に無くなったのですが、我が敬愛する海軍はしっかりしぶとく生き残っていたのです 。そして、 これも知らない方々が多いと思いますが、この生き残った海軍は朝鮮戦争に参加、戦死者まで出していたのです

これからは、 永野節雄 著『 自衛隊はどのようにして生まれたか 』(学習研究社、2003年)と 阿川尚之 著『 海の友情 』(中公新書、2001年)、そして 増田弘 自衛隊の誕生 』(中公新書、2004年)を使って「 旧陸軍の完全な解体 」がなんで誤りなのか、少し解説したいと思います。

まず、 なんで旧海軍が生き残ったのかと言いますと 、それは、 連合国側にとって海軍が必要だったからです 。まず戦後、 海外からの軍人や民間人の引き上げには船舶とこれを運用・管理する組織と人材が必要ですが民間船舶がほとんど残っていなかった終戦時、使える船と人材は武装解除した軍艦と海軍の将兵だったのです 。次に海軍が働かされたのが 戦中、B-29が日本の主要な航路にばら撒いた機雷を掃海するという任務です 。アメリカは日本の沿岸航路を機雷で封鎖して、日本の経済活動を麻痺させたのですが、戦後、この機雷により民間船舶が、主に瀬戸内海航路で次々と触雷・沈没して多数の犠牲者を出す事態となったのです。 これに対処すべく、旧海軍の現役の掃海部隊がそっくりそのままGHQの指令の元、航路啓開掃海作業に従事、戦後の目まぐるしい省庁の統廃合を規模を縮小しながら潜り抜けて、海上保安庁に引き継がれたのです

そして、運命の朝鮮戦争が1950年に勃発すると、アメリカ極東海軍は日本の掃海部隊に目をつけるのです。この時期、米海軍は太平洋に3隻しか掃海艇を配置してなくて数が足りなかったのです。そこへ、 国連軍の総司令官となったマッカーサー元帥が仁川上陸作戦をやると言い出したのだからさあ、大変!きっと上陸地点には北朝鮮側がソ連製の高性能機雷を敷設しているに違いない。でも、艦もないし掃海する技術も心もとない。何か名案は… と考えてみたらすぐ傍に十分な経験と装備を持った掃海部隊がいるではないか!と思いついたのです。ですがこの時、 すでに日本は日本国憲法を施行していて海外への掃海艇派遣なんて…、という状況だったのに、占領下の悲しさ、米海軍はマッカーサーの指令だ!という「神の声」を使って吉田茂首相と大久保武雄海上保安庁長官を黙らせてしまったのです 。そして、 連合国軍最高司令部の指令で米極東海軍司令官の指揮下での戦闘海域での掃海作業を命じられてしまったのです

そして、海上保安庁の掃海艇部隊は下関に終結後、朝鮮半島へと向かい、それぞれ仁川、元山などで、掃海作業を始めたのですが、 1950年10月17日、元山沖で作業中の掃海艇MS14号が触雷、沈没して死者1名、負傷者18名の被害を出してしまったのです 。この時、日本側が米海軍側の威圧的な態度に対して抗議して、命令を無視する形で自ら日本へと帰っていってしまうという事態となりました。この事件は、米海軍の掃海部隊司令官が「 米海軍は朝鮮海域において制海権を喪失せり 」という報告を海軍作戦部長に行っているほどの衝撃を与えました(行きたいところに敵の妨害を受けずに行けることが「制海権の確保」ということです。この時、米海軍は機雷が敷設してある朝鮮半島沿岸部での作戦行動を制約されることになり、先の電文が打電される事となったのです)。

しかし、その後も海上保安庁の掃海部隊の作業は継続されました。これに対して米海軍は、 極東海軍総司令官直々に最高の賞辞「ウェル・ダン」という言葉を送り、その活動を讃えました やがてこの雰囲気は米海軍内部に広がり、海上自衛隊の前身、海上警備隊の設立に際しての全面的なバックアップに繋がっていくのです

元々、 日本海軍と米海軍は敵味方に分かれて戦ったとはいえ、戦後、その関係は意外と良好なものでした 。1つには、 日米両海軍は曲がりなりにも4年間、太平洋を舞台に五分と五分の戦いを繰り広げ、お互いの力量に一目置いていたということがあります 。また、 戦前からの海軍将校同士の交流があって、戦後、その関係が復活したということもあります つまり、海軍同士何か相通じ合うものがあって、それが日米両海軍関係者を団結させて、日本海軍の再興に向けて敵も味方も巻き込んで行動していたのです 。オマケに、旧海軍関係者は皇族の高松宮殿下の下に綺麗に団結して海軍再興に動いていました(陸軍側は、それぞれの思惑のもとにバラバラに動いていました)。また、開戦時の駐米大使、野村吉三郎元海軍大将と極東米海軍司令官の副参謀で、のちに海軍作戦部長(軍服組のトップ)となるアーレー・バーク海軍少将の交流などに代表される親密な交流などもありました。 このような状況の下、海上警備隊設立時には何と、日本側が日本側がアメリカ側に提案を行い、これを米海軍のバーク少将が調整し、海軍中枢部に取り次ぐと言う形で話が進んだのです 。この結果、 日本海軍は戦前の人材や伝統などをそっくりそのまま海上自衛隊に移行できたのです 。つまり、 旧海軍と海上自衛隊はしっかりと一本の糸で結ばれて今日まで任務を継続しているのです

一方 これに対して陸軍と陸上自衛隊は …、という話はまた次回へ。


自衛隊はどのようにして生まれたか 海の友情 自衛隊の誕生





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最終更新日  2006年03月01日 01時22分16秒コメント(0) | コメントを書く


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