毛魂.com

PR

×

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

TIYO

TIYO

カレンダー

お気に入りブログ

還暦祝い ぴよぷるさん

トロリン。指数とア… トロリン。さん
華クッキングROO… コロボックル329さん
From today onward さんちゃん0707さん

カテゴリ

カテゴリ未分類

(0)

父さん

(217)

母さん

(236)

兄ちゃん

(238)

姉ちゃん

(228)

ちび

(244)

バックナンバー

2026/10
2026/09
2026/08
2026/07
2026/06
2004/06/25
XML
テーマ: 戦争反対(1263)
カテゴリ: 父さん
昨日の夜、風呂の中で息子からテレジンの話を教えてもらった。

自分と同じ年頃の子供たちが巻き込まれた悲惨な戦争体験だけに、かなりショックッだったようだ。

父さんもテレジンの事はよく知らず少し調べてみました。
野村路子先生の著書から、少しだけ紹介します。

戦争と殺戮という狂気の嵐が吹き荒れていた時代,ナチスドイツが支配していたヨーロッパ国々には、8000から9000もの収容所が作られていました。チェコスロバキア(当時)の首都プラハから北へ60キロほど離れた、テレジンという静かな街に収容所が作られたのは、1941年10月のことでした。
それから開放される45年5月までの3年半の間、テレジンはチェコ国内はもちろん西ヨーロッパ諸国の、抹殺されるべき運命を強いられたユダヤ人たちを送り込む収容所として使われました。

「アウシュビッツが地獄なら、テレジンは地獄への控え室だった」

テレジンに送られたユダヤ人の数は、およそ14万4000人、4分の1近い3万3000人が、病気や飢え、寒さ、過労、暴行、そして拷問や刑罰で亡くなり、8万8000人がアウシュビッツなどの殺人工場へ送られて殺されました。
その中に1万5000人の子供たちがいました。


ノミやシラミ、ナンキン虫のいる部屋、わずかな食料、浴びせられる怒号や罵声、振り下ろされるムチやこん棒・・・
そんな収容所の日々のなかで、子供達は、命の炎を燃やすように、絵を描き詩を書いていました。


 でも、生きて「いい明日」を迎えることが出来たのは、
わずか100人だけ、そして解放された収容所跡に、4000枚の絵と数十篇の詩が残されていたのです。
拾った紙切れに書かれた小さな文字が、子供達がこの世に生きた、たった一つの証になりました・・・・・

その絵と詩を紹介している文献が、
  「テレジンと小さな画家たち」「偕成社」 野村路子著

「テレジンと小さな画家たち、詩人たち」
               (ルック) 野村路子著

など出版しているようで一度、見てみたいと思ってます。

今なお、このような事が起こっている世界を・・・・

息子や娘に教えられること・・・・

色々考えさせられます。





テレジンの子どもたちから


テレジンの子どもたちから





子どもたちのアウシュヴィッツ

子どもたちのアウシュヴィッツ













お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2005/07/03 02:22:19 AM
コメント(2) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: