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これがあなたとマーの最後の写真になるとは
この時全然思ってもみなかったなぁ・・・

実は旦那の祖母が私たちが帰国している3月末に亡くなりました
3月初旬の帰る頃にはICUに入っていたので危ないかな・・・
って思ってたんだけど一時ICUからも出てこのまままた帰宅?
なんて思っていたんです
祖母は7年ほど前タイに来たばかりの私に
タイに来た時の話を して下さいました
タイには中華系が何種かあるみたいですが家は
島から来たみたいで多くの中華系とはまた違った所から来ました
だからよく中華系の方は祖母の事を アマー と呼ぶけれど
うちは アネー だし話す言葉も違います
そんな彼女はその昔20歳の頃祖父と小さな船に乗り
海へと出ましたどこにたどり着くかわからないこの 恐怖
もしかしたらひっくり返って沈没・・・なんてこともありえるこの 恐怖
凄いですよねこの 勇気 & 度胸 ・・・・
幸運な事に大きな船に助けられ陸へと着いたそうです
タイで生活をしていく中でタイ語がまったく喋れなかった祖母
喋れなくてタイ人にからかわれたりしたそうで
大変な苦労をしたと話してくれました
それに比べて私なんて飛行機でちょいっと一人で来て
タイ語なんてまったく喋れなくたってこれだけ歓迎されて
ははは・・・頭が上がりませんよ
そんな事など色々話してくれて祖母からすれば長男の息子の嫁として
可愛がっていただいたなぁって思います
旦那にはこれでもかというほど甘甘で育てたそうですが・・・
それが今もわがままな旦那ですが・・・
そんな祖母は3月沢山の子供と孫とひ孫に見守られながら
逝くまえに笑顔を残して亡くなったそうです
お葬式は参加すべきって思ったんですけどちょうど義妹が
うちの実家に居候中直接の孫である彼女がここに居るって事は
私は特にそこまで必至になって帰らなくてもいいか・・・
というか旦那が別に帰ってこなくてもいいと言ってましたからね
帰れる距離なら帰りたかったんだけど帰って直ぐだったし
亡くなって49日の式には出れそうだったので帰りませんでした
そして行われた祖母のお葬式
写真見て気が付いた「如来」って名前の下に中国人も付けるのね

そしてあの世で住む家や車やベットやお金を作って持って行かせるそうです
これは面白いですね・・・興味津々でしたよ
それに火をつけ燃やすそうです

その後祖父の眠る横に埋葬
埋葬なんて日本じゃ無理よね・・・広い土地がいるしね・・・
その後49日後に日本と同じく49日の式があり
それは私もマーも参加してきました
マーは再従兄弟と奇妙な自転車のおもちゃで遊んでいました
このおもちゃほんと奇妙な音楽が流れるんで気持ち悪いんですよね
タイへ帰ってきてパパと会えて嬉しいマー

義姉にはまったく慣れないマー
9人のお坊さんが来てお経を唱え無事終了

49日でも同じくお金などを紙で作りそれも箱に入れ燃やす
これで祖母も天国へと無事いけたでしょう
過酷な人生を送り沢山の幸せも味わえ最期は皆に見送られ
幸せだったかな・・・
私も今は色々と試練があるけれど幸せだったと思える人生になるといいな
タイでは騒動がまた収まってないけれど
一つしかない命を殺しあうなんて馬鹿らしい
亡くなられた方の人生を他人が奪うなんておかしい
早く以前の長閑なバンコクへと戻って欲しい
多くの亡くなられた方々にご冥福をお祈りします
2010.05.21 Mali