サリエリの独り言日記

サリエリの独り言日記

2009.10.10
XML
テーマ: 古典の日(312)
カテゴリ: 文学
 と、こう来れば、それから600年ほど後のイギリスの劇作家なら、完全に一大悲恋劇を仕立てあげるシチュエーションですが、紫式部はもちろんそんなことは、夢にも考えていません。

 二人が切ない和歌を交わしている間にも、あわただしく内大臣は邸内に入って来る。

― … との、入り給へば、わりなくて、わたり給ひぬ。
 をとこ君、たちとまりたる心地も、いと人わろく、胸ふたがりて、わが御方に、臥し給ひぬ。御車三つばかりにて、しのびやかに、いそぎ出で給ふけはひを聞くも、しづ心なければ、宮の御前より、「まゐり給へ」とあれど、寝たるやうにて、動きもし給はず。涙のみとまらねば、嘆き明して、霜のいと白きに、いそぎいで給ふ。「うち腫れたるまみも、人に見えむが恥づかしきに、宮、はた、召しまつはすべかめれば、心安き所に」とて、いそぎ出で給ふなりけり。道のほど、人やりならず、心細く思ひ続くるに、空の気色も、いたう雲りて、まだ暗かりけり。 ― (山岸徳平校注、岩波文庫)

 … (二人が歌を交わす暇もなく)殿が、邸に入っていらっしゃったので、(姫は)どうしようもなくて、(部屋に)お戻りになった。
 男君は、(一人)取り残されてしまった気分も、はなはだ居心地悪く、胸もふさいでしまって、ご自分の部屋に、横になっておられる。お車三輌ほどで、ひっそりと、急いで出て行かれる気配が聞こえてくるのも、落ち着かなくて、大宮のほうから、「(こちらへ)ご参上なさいませ」と言ってくるが、(そのまま)寝た振りをして、起きようともなさらない。涙が止まらないまま、嘆き明かして、霜の(まだ)とても白く降りている早朝に、急いでお出かけになる。「心なし腫れたような眼を、人に見られるのは恥ずかしいし、大宮も、また、お召しになれば(私を)離さないだろうから、心安い所へ(行こう)」と、急いで出られるのであった。道々、誰からというでなく、(一人)心細く思い耽っていらっしゃるが、(朝の)空の様子は、ひどく曇っていて、まだ暗かった。

 子供同士の睦み合いなど、しょせん強がってみたところで、内大臣という怖ろしい威勢の前では、風のように吹き飛んでしまう。それにしても腹の収まらないのは、結局自分を浅葱色の六位という卑しい身分にした父大臣、夕霧は頭は悪くなくて、父の大学寮で学問せよという意向には、要領よく従っているのですが、身分の格差だけは雲井の雁の乳母にまでバカにされて、ガマンがならないのです。
 ここで、夕霧と雲井の雁とのあえかな恋物語は終わります。しかし紫式部は二人を、このまま若やいだ悲恋物語として終わらせるつもりはなかったので、あとあと大人になった彼らの諸相は何度か出てきますね。

 ところで映画やテレビドラマを見知った我々が、こうした昔物語を読んでいくとき、たんに習俗や道具だてが馴染みがなくて違和感を感じるのではなく、今どきのフィクションの慣用手法に馴れ切っている、というところから出てくることが多いので、紫式部はもちろん近代的なドラマトゥルギー(作劇法)など、ここから先も知る由はなかったのです。

 それでなおかつ、そこに今と同じ気息を私たちがみとめてしまうというのは、方法は知らずとも関心の方向が普遍的なものであれば、ある種の天才は独自に今の私たちにとって馴染みの表現や方法までも、自前で手に入れてしまうことがあるだろうということなのです。しかしそれは同時に、今の私たちがついうっかりそれに乗ってしまうと、あとになって自己同一化した心地好い期待を、すっかり裏切られる危険を孕んでいるので、さしあたってこの後につづく話も、その部類に入るのかもしれません。

 彼女には一連のシーンの完結という、映画やテレビ的な作り事を構成することにはまったく関心がなく、事柄は常に実体的な人生の感触に戻っていくように思えます。
 これは例えば、それまでの「めでたし」や「おそろし」で完結する、昔物語風の語り口とも異なっているので、ひらたく言えば古物語が「結婚」で「めでたし」となったのに対し、彼女はむしろ結婚後の諸相に関心が向かっている。そこに悲劇を見るか喜劇を見るか、結論から言うとどちらでもなくて、面白くも悲しくも見えるのは、観ている側(書いている側)の気分であって、実体的な人生の感触というのは、ほとんど自然と同じようなニュートラルなものなのではなかったか?
 まあしかし、これについてはあまり話を急がないことにしましょう。

 とはいえ、ここまでみてきた一連のくだりの、やわらかな語り口(とくに会話)とか、プロットの巧みさなどが、先にみた「空蝉」や「夕顔」などに現われた源氏と空蝉に小君、夕顔と源氏に惟光と右近、といった描きかたとよく似ている事だけは、充分ご理解いただけたでしょう。

― つづく ―





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2009.10.10 10:09:47
コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

×

Calendar

Archives

2026.06
2026.05
2026.04
2026.03
2026.02

Profile

TNサリエリ

TNサリエリ

Comments

TNサリエリ @ Re[1]:Kyoto Tachibana High School Green Band 10.(09/07) ナガノさんへ  コメントいただき、ありが…
ナガノ@ Re:Kyoto Tachibana High School Green Band 10.(09/07) 2年遅れで、この文章を読んで泣けてしまっ…
TNサリエリ@ ふたたび、コメントありがとうございます。 cocolateさんへ 私自身、彼女の演奏に刺激…
cocolate@ Re:エレクトーンというガラパゴス 1.(06/17) 再びおじゃまします。 826askaさんのYouT…
cocolateさんへ@ コメントありがとうございます。 三年ほど前に826asukaさんのことを知り、…

Favorite Blog

まだ登録されていません

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: