サリエリの独り言日記

サリエリの独り言日記

2009.11.26
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 じつは先日の日曜日、「日本辺境論」で最近ちょっと話題の内田樹(タツルと読むそうです)という人の講演会が、奈良の県立図書情報館という所であったので、行ってきました。ところがこの県立図書館、以前は近鉄奈良の駅近く、県庁の横の文化会館に付属していて、奈良公園の中でなかなか風格を保っていたのですが、あにはからんや今ははるか市外の場末と言ってもいいような場所に移転していて、私もうかつだったのですが、歯噛みしながらバスに乗って雨の中を駆けつける、という仕儀になってしまいました。
 で、その時の内田氏の講演テーマが「現代社会における表現と図書館」なる演題だったのですが、予想どおりまったくテーマとは関係のない話題に終始して、主催の図書館側の希望は演者にまったく共有されていないのが露わな、まことに珍なる講演だったのです。とはいえ、すでに熱心な内田ファンらしき聴講者が会場を埋め尽くしていて(内田さんによれば、すでに「追っかけ」もいるらしい)、私のように先日「日本辺境論」を一読して、フッと出てきたような者の入れる余地など無いという雰囲気だったのですが、内田氏ならずとも図書館というものの、今どきの位置づけというのは、けっこう難しいのではないかという気がします。
 この人の本については、久しぶりに出たまともな日本人論として、いずれお話したいと思っています。しかしその前にお話したい本がいくつかあるのですが、なにしろ「源氏物語」が思わぬ「男の深読み」になってしまって、いつ始末がつくのか予測できなくなっています。

 さてこの奈良県立図書情報館という命名からして、すでに暗示的ですが、奈良のお役人達はこのたいそうなハコモノを構想したとき、図書館を情報の集積と発信の基地と捉えていたようです。そして情報の集積と発信だけに絞るなら、今どきのテクノロジーは図書館を街の中心に据える必然性は少しもないので、このように佐保川のほとり、およそ奈良公園のような歴史や文化の蓄積地とは縁遠い場所に、立地することに何の痛痒も感じなかったのでしょう。このあたりに奈良県の行政の見識が現れている、と言ったら奈良県の人が可愛そうですから、これ以上触れませんが、要はそういうことなのです。図書館の存在意義とは情報基地ではなく文化そのものではないのか。

 さて内田さんは、そこまでハッキリとは(著作の表現と比べて)おっしゃいませんでしたが、ご自身が図書館をメッタに使わないことは何度も触れられて、主催者側は大いに弱ったでしょう。かく言う私も図書館はあまり使わないのです。
 最近はハコモノに関してはその利用率のようなことが、さかんに指摘されるせいか、例の事業仕分けの対象にならないためにも、いやに利用者に媚びた図書館が増えている。ひらたく言えば、世のベストセラーや文庫本を並べたり、いつぞやはビックリしたのですが、視聴覚ライブラリーを覗くと音楽や映画のCDだのDVDがタダで借りられる図書館がありました。これでは文化の集積どころか破壊者と謗られてもしかたがない。
 そしたら図書館って、いったい何なんだ、ということになるのですが、これってけっこう人の本性にかかわっている問題のような気がします。

 図書館と街の本屋さん(紀伊国屋とか三省堂ではありませんよ)を比べた場合に、何が違うのかというと、どうも並んでいる本の乱雑さにあるのではないか、と思うのです。
 街の本屋さんの醸し出す乱雑さというのは、大げさな言いかたをすれば、無秩序に向かおうとするエントロピー拡散の圧力そのものであり、現に書架が崩れ落ちて、不幸にして子供が亡くなったという本屋さんもある。本屋さんに行く魅力とは、まさしくそうした無秩序の圧力に抗して、本を自分の意志で選ぶ、その選択の自由の快感に他ならない。無秩序の中からかろうじて秩序を見いだすとは、紛れもなく生きているという実感に結びついているのではないか?

 不思議なもので、だからと言って本屋から足が遠のくというわけではなく、むしろ書棚に雑然と並んでいる本の向こうに広がる世界は、ますます強い渇望に似た感じをともなって、私どもの想像力を刺激していったので、今でも本屋をブラリと見て廻るというのは、私の大きな楽しみの一つであります。それじゃあ図書館にブラリと入るかというと、やはりちょっと違うのですね。そんなに気楽に入られては困る、それこそが図書館ではないか?

 そこで図書館の特徴とは何なのかということですが、これはなかなか言いづらいことなのですが、本質的にはいわば情報の墓場に他ならない、博物館にも似た絶対的秩序に整序された静溢の世界だと思うのです。そこには生気は存在せず(エントロピー極大の)、ほぼ完全に化石化した世界が広がっている。図書館や博物館に時間は存在しないのです。

 同じようなことが、電脳空間での検索機能にもあるようで、ここでは雑然とした無秩序世界から、かろうじて秩序を選び取るという、本屋の快感は存在しない。整序された無機質の情報を、システマティックに選ばされているに過ぎないのです。ここには目的のものを、やっと手に入れたという快感は存在しません。そういえば、街の本屋さんでも目的の本を探し当てても、まったく快感を覚えないという区画がありました。受験参考書のコーナーです。手段としての本を手に入れるとき、ドキドキ期待に胸が膨らむなどということは、有り得ないじゃないですか。
 生まれて初めてエロ本を買って(レジがうるさいオヤジでも、若い女の子でもないことを何回も確認して)、家まで自転車で走って帰るときの高揚感は、はなはだ下世話な話ですが、生きている触感そのものに他ならないのです。

閑話休題
 しかしそれでも図書館に博物館とも共通した意義というのを見い出すとすれば、それはたぶん同じ死の静溢であっても、これらが質感を伴った死の世界であって、無機質に宇宙にバラまかれた情報の散乱(エントロピー極大の状態、たぶん死でもない世界)とは自ずから異なる点でしょう。であるならば、人々の墓場がそうであるように、そこには畏敬が払われなければなりません。当地の歴史と文化の神殿として、しかるべく祀り上げなければならないのです。かつての図書館はどんな小さな町の図書館であっても、街の本屋さんと同じく怖い館長さんがいて、子供の我々には何となく居心地の悪い場所でありました。館長さんは間違いなく祭司だったのです。
 もしあえて図書館とか博物館の意義を問い詰めていくとすれば、どうもこのあたりから入っていくしかないのではないか、という気がするのですが。

 以上、ムダ話でした。





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Last updated  2009.11.26 10:20:03
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TNサリエリ @ Re[1]:Kyoto Tachibana High School Green Band 10.(09/07) ナガノさんへ  コメントいただき、ありが…
ナガノ@ Re:Kyoto Tachibana High School Green Band 10.(09/07) 2年遅れで、この文章を読んで泣けてしまっ…
TNサリエリ@ ふたたび、コメントありがとうございます。 cocolateさんへ 私自身、彼女の演奏に刺激…
cocolate@ Re:エレクトーンというガラパゴス 1.(06/17) 再びおじゃまします。 826askaさんのYouT…
cocolateさんへ@ コメントありがとうございます。 三年ほど前に826asukaさんのことを知り、…

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