サリエリの独り言日記

サリエリの独り言日記

2010.07.27
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テーマ: 古典の日(312)
カテゴリ: 文学
 ところが「若菜」に到ると、そうした中味の不備や出来ぐあいの疑問点を、いろいろ外から言い立てる余地はほぼ完全になくなって、ひらたく言えば、おとなしく拝読するしかない。要はそれだけ、いわゆる「文学的な完成度」が高くて、一介の素人などはもちろん批評を専門とするような人でさえ、いささか言葉数を控える感じがあるような気がする、もちろんここを誉め称える言葉は山ほど見かけるのですが。
 しかしこれは私の悪い癖なのかもしれませんが、無批判的な賛辞とか無条件的な感想だけは、出来れば避けたいというのが、我ながらおこがましい話ですが、このブログの信条というか、目下の「源氏1000年シリーズ」にかぎらず、これをしゃべり続けている理由のすべてと言ってもいいので、屋上屋を重ねるような退屈な話はしたくないのです。だいいちそれでは、しゃべっていても少しも面白くないじゃないですか、なんちゃって!?

 かといって、独自性にこだわるあまりの陥穽(かんせい、落とし穴)というか、何から何まで自身の言葉でしゃべるというのもなかなかしんどい話ではあり、しかも得てして独りよがりの言説をまき散らして、結果としてしゃべった本人さえ二度と読み返す気がしない、というような中味になっておしゃべりが行き詰る、ということもまたよくあるのです。
 その点「源氏物語」のような巨大な古典は、これも何度も触れましたが、相手が富士山のようにデカくて、多少の引っかき傷ではビクともしない。むしろ引っかけば引っかくほど、もとの巨大な山容がますますくっきりと見えてくるというところがあって、まことに手前味噌な話ですが、安心して思いっきり好きなだけ話が出来る、というところがあるのです。おしゃべりが妙な独善に陥りかけても、本文に戻ればそういう穴ボコに落ちた我が身を、いつでも現の世に戻して、シャンと正気にしてくれるような安心感があるのでした。

 しかし「若菜」の帖以降は、むしろ紫式部自身がいわば内心の狂気の一歩手前まで、我が身を追い込んで書いていったような節があり、その激流にいっしょに我から呑まれて行くのは、外から見ているかぎり、いささかの危険を感じざるを得ないところがあるのです。それは例えばワーグナーの楽劇に見られる、押しては返す無限旋律の奔流に巻き込まれる危うさに似ているので、その甘味な示導動機 (Leitmotiv)の生起に身を任せれば、現では絶対あり得ないはずの、永遠に持続するエロティックな至福の時間が、そこには流れているのです(というわけで、いまだに全世界にワグネリアンが輩出することとなります)。
 それはいったん入り込んだその天国的に居心地の良い別世界から、並の気力では現実の世界に戻ってくるのを困難にするほどの力を、時として人に及ぼすことがあるのかもしれません。ワーグナーは明らかにそれを意図的に狙って作品を書いたのですが、紫式部もまたこの「若菜」以下の数帖では、そうした悪魔的惑溺に読者を誘いこむことをためらわなかったのかもしれず、それは端から見るかぎりとても危うい世界なのです。

 このように、この世で有限な存在である人間が、永遠である美を見止めるときの、危うい気分というのは、例えばR・M・リルケなら、

― 天使よ、そしてたとい、わたしがおんみを求愛めたとて!おんみは来はしない。なぜならわたしの
声は、呼びかけながら、押しもどす拒絶につねに充ちているのだから。このように強い

腕だ、わたしの呼びかけは。そして掴もうとして花さいた指は、
捉ええぬもの天使よ、おんみを前にして
大きく押しひろげられたままなのだ
さながら拒否と警告のしるしとして。 ― (「ドゥイノの悲歌」から 手塚富雄訳 河出書房)

と、詠ったところのものだったでしょう。
 生身の人間というのは、こうしたあまりの美の奔流に対しては、本来的に生理的な拒絶を示すところがあるのではないか?

― つづく ―





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Last updated  2010.07.27 14:35:36
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TNサリエリ @ Re[1]:Kyoto Tachibana High School Green Band 10.(09/07) ナガノさんへ  コメントいただき、ありが…
ナガノ@ Re:Kyoto Tachibana High School Green Band 10.(09/07) 2年遅れで、この文章を読んで泣けてしまっ…
TNサリエリ@ ふたたび、コメントありがとうございます。 cocolateさんへ 私自身、彼女の演奏に刺激…
cocolate@ Re:エレクトーンというガラパゴス 1.(06/17) 再びおじゃまします。 826askaさんのYouT…
cocolateさんへ@ コメントありがとうございます。 三年ほど前に826asukaさんのことを知り、…

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