サリエリの独り言日記

サリエリの独り言日記

2015.07.30
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補足、および鎮魂

 現にお隣の国々では、死者(だけでなく生者の記憶も)を掘り返し、歴史を何度でも改変しようと試みています。今の都合で自身も含めた「過去を書き換えよう」とすると、それは結果的に「確かにあっただろう過去から、必ず復讐される」。要は過去に呪縛されて永遠に呪い続けられるという結果を招く。「死者(過去)をないがしろにしてはいけない」というのはそういうことなので、古代人はそれをよく知っていたのでした。私は今の思惑で以って死者(過去)を語ることは、死者(過去)に対する冒涜だと思っています(これは何も「従軍慰安婦はいなかった」「南京事件は存在しなかった」ということを言っているわけではないですよ。立論の仕方、あるいは過去や死者への向き合い方が間違っている、と言っているのです)。

 こういう場合、私たちに共有出来ることというのはただ一つ、愚劣な作戦の最中にあっても、あるいは惨烈な火力を前にしても、「ひめゆり」や沖縄の県民は死ぬまで、「自分の生を、必死に生きよう」としただろう、という一点だけであって、「天皇陛下万歳!」と叫んだか「お母さん!」と叫んだかは関係ない。極論すれば、どういう死に方をしたか、というのも死者からすれば関係ない(彼らは我々が生きている限り、永遠にたどり着けない別世界にいるのです)。生き残った側が死者に対して出来ることは、ここにかつて「ひめゆり」の女学生や沖縄の県民がおり、戦争によってその数多くが死んだ、という事実を記録に止め、それを語り続けることだけだということです。
 という意味で蛇足ですが、大岡昇平の「レイテ戦記」は数多くの戦記物が陥る、生き残った側の思惑や情緒を極力排除して、死者たちの経路だけをひたすら追い続けて記録した、という点でまったく別の表層に立っている。「鎮魂」という言葉を使うとすれば、それはたぶんこうした仕方でしか出来ないのではないか、と思ってしまうのです。その中でレイテ戦で行われた特攻作戦について、うろ覚えですが大岡氏は「参謀部の作戦がどれだけ愚劣なものであっても、それを自身の生き方として受け止め、米艦隊に突っ込んでいった特攻隊員の勇気は、どこまでも称賛されねばならない」というくだりは胸を打ちますね。「犬死」という仕方でこれらを罵倒する、あるいは「愛国行動」の英雄と称揚するとはまったく別の地点で、死者たちの「生き様」を見詰めているでしょう。「ひめゆり」も沖縄県民もまた、同じ地点で見詰めなければならないと思う。

 さて、話を戻します。
 これは完全な妄想なのですが、アメリカ人とか中国人といった、いかにもスタンドアローンな気質を持ち出すまでもなく、日本人以外の自治組織の成員が、東日本大震災ような状況に立ち至った場合に、「自己決定に先立つ、何ものか」を意識して、自分の振る舞いを規制することがあるということが、私にはどうしても想像出来ない。逆に言えば、そもそもそれを統べている国家権力自体、国民にそんなことは最初から要求も期待もしていないのではないか?「国が出来るのはここまで。後は自分たちで何とかせよ」というのは、何も開発途上国の話ではなく、米中はじめほとんどの国家と国民の間の了解事項なのではないか、と思うのです。
 彼らは「持ち場を守る」「職責を全うする」という自身の役目について、東日本大震災のような状況に置かれた場合、常に「自己決定を優先する」のではないか?その是非とか価値論は別として、肝心なことはそうした自己決定した振る舞いに関して、本人たちが「疚しさ」を感じることはないし、おそらく周囲も(どこかの船長みたいに、誰よりも速く真っ先に逃げたみたいな)よほどの場合は別として、「それを非難することは、あまりしないだろう」ということなのです。早い話、この自己決定の中には「自分の家族(一族)」の生存は、他の何よりも優先する」という判断も含まれるので、一概に「だからスタンドアローンな構えは利己的だ」と決め付けるわけにはいきません。

 では目前に迫った津波を前にした警察官や消防団の人たちの行動を規制したものは何だったのか?確かにそこには多少「世間の目」が働いていたかもしれない。それを全部否定することは出来ません。で、それをもって「日本人は自己決定出来ない」というのが、従来から面々と続いて来た(主として欧州帰りの)文化人の、言わばネガティブな立論でした。この人たちの言説に伏流しているのは、スタンドアローンな生き方に対する無前提な肯定です。しかし私はここで話を片付けてしまうのには違和感というか、もっと深堀りする必要を感じる。なぜなら、こうした断定には、無意識の「価値論」が潜んでいるからです。私は出来ればこうした他律的とか英雄的といった、安手の価値論を超えたところまで話を進めて、そこから現れるものを見てみたい。
 私がここに見止めるのは、何よりも本人たちが「ここで職務を放棄して、持ち場を離れた」場合、あとで「きっと自分は後悔するだろう」という、心の疚しさを抱えていたのではないかということなのです。大事なのは本人たちの意識内にあったもの、そして他の国ではなかったであろうものとは、何であったのかということです。





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Last updated  2015.07.30 17:46:42
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TNサリエリ @ Re[1]:Kyoto Tachibana High School Green Band 10.(09/07) ナガノさんへ  コメントいただき、ありが…
ナガノ@ Re:Kyoto Tachibana High School Green Band 10.(09/07) 2年遅れで、この文章を読んで泣けてしまっ…
TNサリエリ@ ふたたび、コメントありがとうございます。 cocolateさんへ 私自身、彼女の演奏に刺激…
cocolate@ Re:エレクトーンというガラパゴス 1.(06/17) 再びおじゃまします。 826askaさんのYouT…
cocolateさんへ@ コメントありがとうございます。 三年ほど前に826asukaさんのことを知り、…

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