サリエリの独り言日記

サリエリの独り言日記

2015.07.29
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沖縄、そして大震災

 私がこのことで一番気に障るのは、そうした議論の途中でコマーシャルを入れる、あるいは割って入って他の論者に振るといった手法自体が、この番組というか田原氏の大きな「売り」になっていたことで、それってシビアな議論そのものを随分バカにしたやり口じゃないか、ということなのでした。まあこの手の批判は、今さら触れるまでもなく言われ続けて来たことでしょうが。

 じつは前回の「朝生」もたまたまなぜか観ていて、確か沖縄がテーマだったと思うのですが、ゲストの布陣を見ても明らかに旧態依然とした右左の論者ばかり。最初から自論の投げつけあい、相手の揚げ足取りの応酬に終始するばかり。というか、両者ともハナから相手の話を聞く気がないのだから、新たな視点を期待するだけムダという内容でした(全部観たわけではないですが)。
 では一体何の目的で、こんな番組を作っているのだろう、ということなのですが、立場のハッキリした論者を並べれば、論点は放っておいても明らかになる、とでも思っているのか知らん。しかしこうした手法は敗戦後無理矢理導入した、アメリカ製「民主主義」の一番古びきった論争形態なので、私たちはもうすっかり、その種の議論は「聞き飽きた」。しかも取り上げるテーマが、毎回「政治向きのシビア」なものなので、不毛な論争の継続がそのまま当事者たち(この時は沖縄県民)を傷付ける結果を招く場合もある、ということに誰も気付いていない、という滑稽な景況を呈するのです。

 一例を挙げれば、「ひめゆり学徒隊」に代表されるような沖縄県民の捉え方。左派というか沖縄はもとより大半の日本人は、彼らは一意的に「戦争の犠牲者」で、だから彼らを無益に死地に追いやった日本の施政者は永遠に糾弾さるべき、という見方をするのですが、果たしてそれで十分なのかどうか?当時の施政者たちの無能はともかくとして、私は沖縄をはじめ広島や長崎、あるいは東京大阪など一般市民の死者を、一律に「一方的に巻き込まれた戦争の犠牲者」という括り方で弔っていいものかどうか、というためらいがあるのです。
 断っておきますが、だから彼らの中には「愛国者」もいただろう、「天皇陛下万歳!」を叫んだ人もいただろう、という話ではないのです(右翼的な人たちには、ことさらにそうした事例を強調する向きが多い)。

 そうではなくて、日本軍の守備隊と同道せざるを得なかった沖縄県民は、果たしてその時我が身を「一方的に巻き込まれた被害者」と規定していたのかどうか、ということです。結果として洞窟に追い込まれ、赤ん坊を殺し手りゅう弾その他で自決せざるを得なかったとしても、彼らはその時、我が身を「理不尽な戦争に巻き込まれた、惨めな犠牲者」と思いつつ死んでいったのだろうか、と私など思ってしまう。「そんなことはないだろう。『酷いことになった。この先どうなるのだろう』と思いつつ、なおその上で『主体的に我が身を処そう』としたのではないか?」。なぜなら「一方的な被害者として死ぬことほど、人として惨めな死に方はないから」というのが私の読みなのです。
 アメリカ軍という圧倒的な敵を前に、彼らの心を占有していたのは明らかに「恐怖」であり、中にはその仮借のないアメリカ軍の火力に「怒り」を感じる人もいたでしょう。しかし、「理不尽に巻き込まれた戦争で、それを招いた日本軍が憎い」と考えながら同道した人たちは少なかったのではないか。もしそうなら、もっと集団投降があってしかるべしです。これまた妄想ですが、中国やその他の国ではもっと早く、いくら自軍の兵士が止めたとしても集団投降は起るでしょう。私はここにサイパンでも同じですが、日本人のエートスを見てしまう。
 誇り高い日本人などというのではもちろんなくて、ここに見止められるのは、どうしようもなく「あらかじめ規定された日本人のエートス」であって、それはたぶん先に触れた東日本大震災に現れた消防団や警察官の身の処し方に通底するものだろう、ということなのです。


 たんに「職務に忠実だった」では、とても括り切れない強い心理的な「行動規制」が、おそらく彼らには働いていた。しかもその多くがボランティアである消防団員だったというのが、私たちの心を痛めます。そもそも消防団は火事や洪水などの災害時に共同体維持に不可欠な成員として、その性質上主として若い人たちに付されていたものでしょう。消防や警察といった言わば公の機関に先立つ、内輪の成員としてそれらはあったわけで、その淵源はたぶん青年団のような若衆の組織だったのではないか。私の記憶でも、子供のころには町や村に青年団があって、祭りとか市民運動会のような各種行事には必ず顔を見せていたものです。
 しかし、そうした自治的な内輪の組織は、何も日本に限った共同体成員というわけではないでしょう。で、それでもなお、こうした内輪の組織における成員には、日本だけに特異的に現れる振る舞いというのがあったのではないか?
 それはたぶん「自己決定に先立つ、何ものか」を、意識しているか否かの差だったろう、と私は思う。





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Last updated  2015.07.29 12:03:16
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TNサリエリ @ Re[1]:Kyoto Tachibana High School Green Band 10.(09/07) ナガノさんへ  コメントいただき、ありが…
ナガノ@ Re:Kyoto Tachibana High School Green Band 10.(09/07) 2年遅れで、この文章を読んで泣けてしまっ…
TNサリエリ@ ふたたび、コメントありがとうございます。 cocolateさんへ 私自身、彼女の演奏に刺激…
cocolate@ Re:エレクトーンというガラパゴス 1.(06/17) 再びおじゃまします。 826askaさんのYouT…
cocolateさんへ@ コメントありがとうございます。 三年ほど前に826asukaさんのことを知り、…

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